第19話 山籠もり開始

 翌日の早朝、ユスティーナはヴァスと共に離宮を離れ、双子たちに見送られながらカイラ山中へと足を踏み入れた。出発の申し出自体は急だったが、ほぼ身一つで赴く山籠もりであるため、行くと決めれば始めるのは簡単だ。


 訓練着に身を包み、弓と小刀を手にしたユスティーナ。長いおさげを揺らして歩き始めた彼女は、五分ほど経ったところで枯れた大木の洞の中から大きな袋を取り出した。それを持って、さらに歩くこと数十分。離宮の姿は完全に消え去り、見えるのは森の緑ばかりだ。


『……そろそろ、いいな』

「そうですね。人の気配も完全に消えました」


 王家の離宮が建てられた山であるため、ヴァスのように無害な獣を装ってでもいなければ、カイラ山に許可のない者は入れない。時折聞こえてくるのも鳥の声だけである。念のため探査の風を巡らせて周辺を探ったが、自分たち以外は誰もいない。


 そこまで確認したユスティーナは立ち止まり、抱えていた袋を近くの茂みの向こうに置いて戻ってくる。入れ替わりに茂みの向こうへ行ったヴァスも、十分ほどで戻ってきた。


「くそ、目線の高さに慣れんな……」


 人型を取り、離宮の警備兵たちが着用している制服の替えを着たヴァスは、さかんに瞬きをしながら腕を振っている。この日のためにと、ヴァス自らがひそかにくすねてきたものだ。


 離宮に滞在中もそうだが、ユスティーナを捜し当てる前も、人目を避けるのと体力温存を兼ねてほぼ猫の姿で過ごしていたらしい。そちらに馴染みすぎて、人型での活動がやりづらそうなヴァスを見てユスティーナはつい笑ってしまった。


「……ふふ。あなたがそんな格好をしていると、不思議な感じがしますね」

「……うるさい。なんでも似合うだろうが」


 警備兵の衣装も、威嚇の意味を込めてマーバル王家を意味する大陽と月の紋章をでかでかと刻まれた派手なものなのだが、戦場でよく見かけたヴァスの格好に比べれば地味だ。他に男性用の衣服が手に入らなかったとはいえ、マーバルの紋章も含めてヴァスの趣味には合わないだろう。ふて腐れる彼を、謝罪の意味も込めてユスティーナは熱心に褒めた。


「ええ、それはもちろん。ヴァスはいつでも、とってもかっこいいですもの!」


 異性の美醜にさほど興味はないとはいえ、あのリラが認めるほどだ。ヴァスの容姿が整っている、らしいことはユスティーナにも分かってはいる。何より獣独特のしなやかさと力強さを駆使して戦う姿の荒々しい美しさは、誰もが認めざるを得ない。──イシュカ以外は。


 それに、自分が毎日ブラッシングしたからだろうか。ヴァスの石榴のような暗い赤毛の、艶々とした輝きを見ていると、少しばかり触れてみたい気持ちにもなった。


「イ、イシュカにはどうせ劣るだろうが!」


 顔を赤くしたヴァスの口からも出てきた名前に背筋が冷える。穏やかに、優雅な口調で、しかし絶えずヴァスと獣返りたちを蔑んできたイシュカ。当然のことだと思っていた態度に疑問を覚え始めても、その行き着く先で彼に反抗し捨てられても、五歳の時から……いや、創世の時代より刻み付けられた愛は捨てられない。


「あ……ええ、もちろんイシュカ様のほうが」

「悪かったな! 答えんでいい!!」


 いらいらと吐き捨てたヴァスを、ユスティーナは必死に「でも本当にかっこいいですよ、イシュカ様には負けますけど」「特に大弓を引き絞り、放つあなたは最高です! イシュカ様のほうが素敵ですけど」と持ち上げ続けた。


「……もういい」


 何かを諦めたような様子ではあったが、弓の件については響くものがあったのだろう。制服と同じように拝借してきた、背負った矢筒に触れながらヴァスは許してくれた。期待に満ちた視線を送るユスティーナであるが、先にやるべきことがある、と気持ちを切り替える。


「さて、まずは寝床の確保ですね。二人いますし、期間も長いですし、土台からある程度しっかりしたものを作りましょうか」


 特に元が太っていた場合、体重はある程度までは簡単に落ちるが、途中からがくんとやせにくくなる。そこを乗り越えて銀月の君らしい姿に戻るためには、相応の期間が必要だ。一月を予定しているが、付き合わせるヴァスのためにも、できれば期間を短縮したいものだ。


「それとも、木の上にします? 虎などもたまに出ますものね。交代で見張りをしてもいいですが、夜はしっかり寝たほうがやせますし……」


 魔獣とまではいかないが、野生の獣は十分な脅威だ。二人いれば一人が夜間の見張りに立てるのは便利だが、本来の目的を考えると、樹上に寝床をこしらえても良い。ただし一人の時より広さが必要な分、枝ぶりなどを慎重に選ぶ必要がある。


「……寝る時オレは、猫になっていてもいいぞ」


 木々を見上げて考えているユスティーナに、ヴァスがつぶやくように言った。


「それは……私はふかふかの温もりがあったほうがありがたいですけど、あなたは猫の姿になるのは嫌なのでしょう?」

「貴様、オレを暖房代わりにする気だったのか? つ、つまり、身を寄せ合って夜を過ごす気で……!?」


 にわかに慌て始めたヴァス。図々しい、と怒られたと勘違いしたユスティーナは急ぎ首を振った。


「あ、ありがたい、という話ですから! 寒さに耐えることも修行の一環ですし……未熟な私は……きちんと修行しないと、やせることもできませんし……」

「いや、お前が気にしないなら、オレは人型で構わんが……まあいい。しかしお前、木の上で熟睡……できるんだろうな。向こうに見える木はどうだ? オレも以前使っていた」


 期待したオレが馬鹿だった、という表情を隠し、ヴァスは一際目立つ大木を指した。

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