第12話 価値を取り戻すために

 親に捨てられたという出生や、獣返りという特殊性もあってヴァスの年齢は本人にもはっきりしないようだが、三十を越えているということはあるまい。復讐を果たした後のほうが人生は長いのだ。今や評判は地に落ちたとはいえ、あの銀月の君も認めた実力者なのだと、ヴァスが胸を張って生きてくれるならユスティーナも浮かばれるというものである。


「……それをやめろと言っているのだろうが……」

「……ごめんなさい。いつも、イシュカ様が導いてくださっていたので……」


 オレこそが最強の戦士と自信満々なくせに、どこか卑屈さが抜けきらないヴァス。なんとか彼に本物の自信を付けてもらいたいのだが、ユスティーナの言葉では届く様子がない。しゅんとするユスティーナに、はあ、とため息を零したヴァスもまた、この場でこれ以上話しても無意味と悟ったようだ。


「とりあえず、オレも疲れた。今日は眠って英気を養っておけ。明日からはオレの知る貴様の体型に戻すため、猛特訓を開始するぞ」

「も、猛特訓、ですか……」


 ヴァスの考える猛特訓、さぞかし過酷なものに違いない。不安に震えが走り、ただでさえ脂肪が多めでぷるぷるしている全身の皮膚が波打ったが、今のユスティーナはヴァスに従うしかない。


「分かりました。やせて、せめて美しさぐらい取り戻さないと、今の私には殺される価値すらないのですものね……」

「……分かったならさっさと寝ろ」


 にべもなく切り捨て、あごをしゃくるヴァス。ユスティーナもうなずいた。


「承知しました。ヴァス、ではどうぞ、こちらへ」


 寝台を指し示すと、ヴァスは盛大に動揺した。


「は!? な、なんだ、まさか共に」

「とんでもありません。私は床で寝ます。あなたはどうぞ、寝台を使ってください」


 どうせ布団も腰に巻いているのだし、そのまま横になれば丁度いいだろう。


「正しき復讐者であるあなたを床に転がすほど、私は厚顔ではありません。ささ、どうぞ。床で眠れば、少しはやせるかも……あっ」


 絨毯ぐらいは敷いてある。明日から始まる地獄の猛特訓に備え、今から準備を始めるぐらいでいこうとユスティーナは張り切るが、ヴァスは何を思ったかいきなり猫の姿になってしまった。


『やせる以前に体を壊すだろうが、馬鹿が。いいから寝ろ。オレはこの姿なのだから、ここでいい』


 赤黒色の毛をなびかせ、跳躍したヴァスは寝台の下のほうで丸くなった状態で心に語りかけてきた。にゃんにゃん言うだけではなく、念話を使って話すこともできるらしい。肉体の変化と同様、八方いずれの術にも属さぬ、獣返りだけが持つ特殊能力だ。


「ですが……」

『夜中に警備兵が見回りに来る可能性もあるだろう。オレに人型を取らせ、王妹の寝台で眠らせようとするのは、奴らに始末させるためか?』


 その手には乗らんぞ、とわざとらしく鼻を鳴らされ、ユスティーナは渋々引き下がった。


「い、いいえ! ですが、確かに……そう、ですね。分かりました。ならばあなたは、私の前以外では猫さんの姿で過ごされるですね」

『そうするしかあるまい。着る物もないしな』


 人から猫へ、猫から人へと姿を変えることはできても、衣服まで一緒に調達することはできないようである。ユスティーナの着替えなら豊富にあるが、女物であるし趣味も体格も合わないだろう。


『その代わり、オレの世話はお前がやれ。他の者任せにすると、オレだとばれる可能性が出る。特にあの、リラとかいう小娘には触れさせるな!』


 猫だと思われていた状況とはいえ、あんまりな仕打ちを受けたことを根に持っている様子だ。確かにリラに任せると、なまじ見た目を彼女好みに整えてしまったばかりにいじり回され、正体がばれるかもしれない。


「分かりました。ならば表向きは、あなたは私の飼い猫ということにしましょう」


 野良猫に餌をやって一晩過ごしたら情が移った。ありがちな話である。侍女たちも簡単に納得してくれるだろう。


 明日の朝、彼女たちに説明すべきことを頭の中に並べつつ、ユスティーナは手押し車に布を掛けた。これについても明日説明すると決め、ヴァスが床に落としたままの布団をどうにか拾い、寝台に乗ってそれにくるまる。


『……お前、猫とはいえ仮にも男と同じ寝台で眠ることに、なんというか……抵抗はないのか?』


 一連の動作を横目で見ていたヴァスが、微妙に機嫌の悪そうな声を出した。


「えっ?」


 思わぬ質問にユスティーナは戸惑ってしまった。同じ寝台で云々以前に、ヴァスは自分を殺しに来たはずなのだが。


 そもそもヴァスは、出自と口の悪さとナインを担いだせいで誤解されがちだが、忠義心にあふれた天才戦士なのだ。他の女性ならとにかく、ずっといがみ合ってきたユスティーナにおかしな真似をする必要はない。


 リラも「あの男、悪趣味ですけど見た目は悪くないんですよね」と言っていたことだし、その腕に抱かれたい美姫は多いだろう。銀月の君の名に相応しい美少女だった頃ならまだしも、生きたクリームの山になってしまったユスティーナになど、触れる価値はないだろうに。


 反論が山のように湧いてきたせいで、突発事項に弱いユスティーナは逆に言うべきことに迷った。それを言い淀んでいる、と取ったヴァスの眼が温度を失う。


『──ふん。イシュカ以下の男など、男ではないか』

「ああ、ええ、まあ……、そうですね」


 ヴァスもすばらしい男性ではあるが、イシュカを引き合いに出されるとユスティーナは条件反射で同意してしまった。途端、ヴァスの尾がぶわっとふくらむ。


『明日から猛特訓だ! 死ぬ気でやれよ、分かったな!?』

「はっはい、分かっております! あなたに殺されるために、死ぬ気でがんばります!!」


 本気であることを示すため、できれば立ち上がりたかった。腹肉に邪魔され、即座に動けなかったユスティーナは、せめてと顔だけでも持ち上げて誓った。

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