第7話 帰ってきた仇敵

「ふざけるなよ、貴様は本当にあの銀月の君ユスティーナか!? 何が月の女神の生まれ変わりだ、満月みたいな体型になりやがって……」


 もう我慢ならんとばかりに怒りをまき散らすのは、暗赤色の長い髪を奔放に伸ばした青年だった。顔色が悪いのと猫背気味なせいもあり、一見やせ型に見える。だが現在は寝台から剥ぎ取った薄手の布団を腰に巻いただけ、という格好で胸を張っているため、実はみっちりと筋肉の詰まった、たくましい肉体を持つことが分かりやすかった。


 今では悪名のほうが知れ渡ってしまったとはいえ、王妹の部屋に唐突に出現した半裸の男。警備兵にその場で切り捨てられても文句は言えないだろうが、ユスティーナは彼に見覚えがあった。なにせ悪名が知れ渡る羽目となった原因である。左肩に残った矢傷の痕が生々しい、彼の名は、


「あ、あなた……まさか……ヴァス……!? 生きていたの……!?」


 あ然として見つめた男は、金色の瞳をにやりと微笑ませる。……あの猫と、同じ。いや、逆だ。赤毛の猫を一目見て、「彼」を思い出したのは正しかったのだ。


「ふん、さすがにオレの顔を忘れるほど面の皮が厚くはなかったか。ああ、そうだ。貴様と一対一で決着を着けるはずが伏兵に取り囲まれ、哀れにも崖に落とされた、あのヴァス様だ!」


 整った顔を憎しみに歪め、声高にヴァスが言い立てるのは、内乱の最終局面である。八割方の戦力を失ってなお、玉座を諦めず剣を置かないナインと、彼の腹心である戦士ヴァス。心優しいアルウィンの、できれば従兄弟を殺したくないとの願いを知っているナインは、時に自らを盾として使うなどして強引な勝利を許さなかった。


 このままでは無駄に戦いが長引くばかり。そう案じたユスティーナはイシュカと相談し、互いを代表する戦士である自分とヴァスの一騎打ちを提案した。なおイシュカ自身はあまりにも強すぎるため、本人は直接戦わないのが神話の時代からの習慣である。


 ナインたちにしてみれば、怪しさは感じていただろうが、劣勢を一気に覆せる可能性があるのだ。あの銀月の君が負けたとなれば、国王軍の士気はがくんと下がる。イシュカが付いていようとも、一対一であればオレのほうが強いとヴァスが断言したこともあり、一か八か彼らは乗ってきた。


 だがそれこそが、ユスティーナの作戦だったのだ。約束の場所自体は広々とした荒野だったが、約束どおり一人で来たヴァスは突然現れた国王軍の兵士に取り囲まれ、崖の側まで追い立てられた。後ろは虚空、左右は敵兵。その状態で孤立したヴァスにユスティーナは得意の矢を放ち、肩を貫かれた彼は真っ逆さまに崖の下へと落ちていった。


 全て事前に仕込まれていた兵士たちは、銀月の君万歳と叫んでユスティーナを褒め称えた。そしてめでたく、内乱は終わったのだ。


 終わったのだ。銀月の君として、ユスティーナはやるべきことをやったのだ。それを思い出した瞬間、彼女の背がぴんと伸びた。戦場の女神として多くの人々を救っていた、在りし日のように。


「下がりなさい、おぞましき獣返りめが! 図々しいのはそちらでしょう、夜間に女性の、それもこのわたくしの部屋へ上がり込むなど、恥を知りなさい!!」


 獣返り。真正面から最悪の侮蔑を浴びせられ、ヴァスは激しく瞳を揺らした。が、威風堂々と立つユスティーナの後ろ、及び彼女本人の変わり果てた姿を改めて眺めやり、余裕を取り戻した。


「……猫の姿を取っていたとはいえ、それに気付くこともなく、夜間にオレを部屋に連れ込んだのはお前自身だろうが」

「うっ」

「しかも、召使いどもに隠れ、浮かれ調子で大量の菓子を貪ろうとしていただろうが。今さらそれっぽい態度を取ったぐらいで、ごまかせると思うなよ?」

「うっ、ううっ……」


 形勢逆転。ぐうの音も出なくなったユスティーナだが、冷たく吐き捨てたヴァスのほうもなぜか心に傷を負っている様子だ。せっかくきれいにしてもらった髪をぐしゃぐしゃにしながら、悲痛な声を上げ始めた。


「ああ、それにしても、くそッ……! このつぶれた饅頭みたいな食欲の権化が、オレが命懸けで追い求めてきた女神だと……!?」

「えっ?」


 妙な言葉を聞いた気がして、きょとんとするユスティーナの勘違いに気付いたのだろう。ヴァスは青白い頬を髪より赤く染めた。


「あ、ああ、だってそうだろう。貴様を倒せば、我が盟友ナインが王となる! そしてオレの名は天下に轟く!! そういう意味だ! それだけの意味だ!!」

「そ、そうですよね。失礼しました。私が大変もてたのは、見た目も中身も月の女神の生まれ変わりに相応しかったからで……」


 イシュカという運命に定められた婚約者がいても、ユスティーナに言い寄ってくる男は後を絶たなかった。当然だ。なにせイシュカの婚約者としても恥ずかしくない少女なのだ。誰もに愛され、求められるに決まっている。


 それも遠い昔の話である。具体的には半年しか経っていないが、あの頃とは何もかも変わってしまった。


 だが、そうであるからこその喜びもあるのだ。悲しみに落ちていくまぶたを、ユスティーナはしっかりと持ち上げた。


 静かに見つめたヴァスが、さも不快そうに力を込めてにらみ返してくる。半年前なら罵倒合戦が始まったところだが、内乱も終わり、イシュカに見放されたユスティーナにとって、彼はもう敵ではない。舌戦で傷付け合う必要はないのだ。

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