美しい香水の瓶(1)



「カセットプレイヤーはお母さんが持って行くの?」

「そんな重いもの持っていけない、行く先で買ってあげるから、それはあきらめて」

「これからどこへ行くの?」


アフメドが最も知りたいことだったがこの質問に母親は答えてくれなかった。もしかしたら答えてくれなかったのではなく、答えられなかったのかもしれない。父親は中々玄関に来ない二人に苛立っているようだった。「早くしろ、時間がないぞ」聞いたことのないくらい大きな父親の声だった。どれだけ緊迫した状況なのかが伝わってきた。


「アフメド医師、今いいですか?」

今度はエムレ医師の声ともに現実に引き戻された。今思えば、その時の父親の年齢は今のアフメドと同じくらいだろう。ある手術について彼は確認しておきたいことがあり、そのことについてアフメドは説明した。


研修医の頃からの長い付き合いだった。彼とは長い時間を過ごす中で、医師としてだけではなく、人としてのエムレ医師も段々と顔を覗かせていた。お互いをよく知っていたし、手術の癖も把握していた。これから新しい医師と仕事をすることはできれば避けたかった。それほどエムレ医師のことを信頼していた。


アフメドは残った仕事を終えて、家に帰るところだったが、看護師が彼を呼び止められた、電話が来たようだった。「アフメドです」医師の誰かであろうと考えていたが、そうではなかった。久しぶりに聞くブシュラの声はあらゆる事を思い出させた。「久しぶり、今仕事なの?」長い間彼女とは顔を合わせていなかった。


「なぜ電話を掛けてきた?」

「新聞記者がここに来たの。何も答えてくれないそうで、困ってるみたいよ。少しは協力してあげたら?」

「日曜日の夕方に話す約束をした、悪いが仕事に戻る」と言ってアフメドは受話器を置いた。




                  *


電話は唐突に切られて、ブシュラも受話器を置いた。「力になれなくてごめんね、彼はそういう人なの」

「いえいえ、とんでもありません。ところで、アフメド医師とはどのくらいの付き合いがあるんですか?先ほど説明したように彼についての記事を書くので、ブシュラさんから何か聞ければと思ってここに来たのですが・・・」


何気ないウムトの言葉はブシュラを動揺させた、アフメドについて知らないことの方が少なかったと言っても過言ではなかった。


「残念ながら、役には立てないと思う。ただの身内の話しになりそうだから。もし、他の記事を書けるのであれば、すぐにそうした方がいいと思う。アフメドは新聞記者に丁寧に対応するような人じゃないし、記事を書くのも好意的に受け取ってないと思うから・・・」

「そうですか、本当は政治に関する記事を書きたいと思っているのですが、そうはいかなくて。この記事が評価されれば、少しは優遇されるかもしれませんが・・・」「そうなることを祈るわ。そろそろアトリエを閉めますね」と言ってブシュラは席を立った。

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