2022 夏 6

翌朝。雨が降っていたため仕事は午後からになった。師匠は古い友人の家にある、桜の木の剪定と病気の処置について相談をすると言って、午前中は事務所にいないと連絡してきた。


俺は、勇志と穂乃と共に駐在所に行ったが、卓馬はいなかった。

穂乃が電話をかけると、警察署にいることと、荻原への取り調べが難航しているという話をしてきた。

「それがね。荻原について調べていたら毎月彼の口座に謎の入金があったんだ。この前穂乃さんが荻原の家から持ってきたメモの謎の数字はこの金額と一致していた。そして、彼のアリバイについて3件目の事件の夜、姉の怜子は午後6時すぎに学校を出て行くのが何人もの人が証言しているんだか、荻原は午後5時50分に県道でバイクのスピード超過で補導され、午後9時まで警察署にいた記録が見つかった」

荻原のアリバイを警察が作っていたとは、少し驚いた。

卓馬の言うことをまとめると、荻原は3件目の事件には関与していない。しかし、手紙は彼が書いた事になる。一体どういうことなのだろうか。

「さらに興味深い事実が分かった。荻原の空白の3年、ある港町で過ごしていた。そこでの仕事も住居も偽名である人物が手配していた。しかし、事件の関係者の妻の出生地だったんだ」

電話のスピーカーから聞こえる卓馬の声は興奮していた。

「茜時子。34年前に自殺した漆間時子の旧姓だ。つまり…」

その時、卓馬の後方で野太い声が聞こえた。

「すまない。呼ばれてしまった。午後には戻れるはずだから、あまり動き回らないように。特に正暉くん、頼むよ」

すると俺たちの声も聞く前に電話は切れた。

最後の「頼むよ」という言葉は俺のこれからしようとしていることを見越しての言葉だったのだろうか。

たとえ、止められても俺の行動は決まっていた。


「勇志、穂乃。ついてきてくれないか。確かめたい事がある」

穂乃の表情は何かを悟っていたが、勇志はいまいちピンと来ていないようだった。

「なんだよ、正暉。どこに行くんだ、説明してくれ」

勇志が歩き始めた俺の背中に言葉をぶつける。

「ああ、歩きながら聞いてくれ。俺の予想を」


桜城公園の事務所前に着いた時には、勇志も全てを理解し終えていた。

荻原から預かった袋は大事に俺が持っている。

雨は強くなっていた。

青々と茂った樹木の葉の隙間から絶え間なく水滴が落ちる。

「もっと早く気づくべきだった」

俺はそう言うと、事務所の扉を開けて中に入った。

勇志と協力し棚をずらし、この前見つけたオノの入ったケースを引っ張り出す。

軍手を着けると、そのケースを開けた。

穂乃は少し後ろで見守っている。

きっと34年前のままだろう。古びたオノは欠けていた。

荻原から預かった欠片を取り出す。

オノと欠片は完全に一致した。

その時、ドンッと何かがなぎ倒される音がした。

3人が素早く振り返ると、薄暗い事務所の入り口に人影がいた。

イスを蹴り飛ばしたらしい。

その人影の手にはオノが握られていた。

まさに、俺の見た枝の記憶そのままの人物だ。

漆間涼司。

彼の殺気だった目は、血を渇望していた。


俺は素早くケースを閉じ、オノをしまった。欠片も袋にしまい、3人は事務所の端と端で対峙した。

「正暉。何してる」

「師匠こそ、友人の桜の病気はどうでしたか。終わるのが早かったですね」

会話の最中もじわじわと距離を詰めてくる涼司。

「荻原が捕まった事を知って、山小屋に行っていたんだ。俺が建てた小屋だからな」

するとオノを机に叩きつけ真っ二つに割った。

「どこまで知ってる!いや、血だ。生かしちゃおけん」

さらに早足で距離を詰める涼司。

「全てです!師匠!あなたの犯罪の全てだ!」

「うるさい!死ね!」

涼司は全力で切りかかってきた。

穂乃と勇志を押し飛ばし、俺も何とか避ける。出入口に近づけない。

勇志は穂乃を立ち上がらせるとイスを涼司に投げつけた。

信じられない反射神経でイスをオノで叩き落とす涼司。

その隙に、俺は小さな剪定用のハサミを取ることが出来た。

「正暉。赤だ。血だ。血が足りない!荻原も花になって貰えばよかった。いや!男はダメだ。美しくなければ、血が純粋でなければ!」

訳の分からない事を喚きながら、オノを振り回す涼司。

穂乃と勇志は机の下に隠れた。

「師匠!いや、漆間涼司!」

俺は彼の間合いに飛び込んだ。

オノが振り上げられる。

俺はハサミの先を前腕に突き刺し、血を流した。

「血だ!見ろ!」

その瞬間、涼司の目は視点が合わず、震え出した。オノを落とし、頭を抱え膝から崩れた。

穂乃は外に飛び出し、警察を呼んだ。

勇志は叫ぶ涼司を抑えた。

俺は予め持っていた包帯を前腕に巻き付け、温室に走り、ヒガンバナを一輪枝から折り、涼司の元へ差し出した。

「ああ、真っ赤な花よ。美しい」

そうして、少しすると涼司は静かになりイスに座り込んだ。

お気に入りのおもちゃを離さない子供のように、花を握りしめて見つめている。


「師匠。これから話すのは俺の想像です。ちょっと聞いてくれますか」

俺の問いかけに小さく頷く涼司。

警察への連絡を終えた穂乃も事務所に戻ってきた。

俺は34年前の事件の流れを話し始めた。

「あなたは、8月28日に公園で桃瀬勝夫さんを待っていた葵田ひかりさんを殺した。そして、10月19日におそらく荻原順弥さんを待っていた桜下真紀子さんを殺した。おそらく、この時に現場を荻原さんに見られたんだと思います。それで彼を脅し利用する事にした。たぶんケースの中のオノには荻原さんの指紋だけが残されているんだと思います。それをネタに脅し、2枚の手紙を書かせた。ひかりさんと真紀子さんの家族に向けたものです。

だから、葵田家と桜下家には同じタイミングで駆け落ちを示す手紙が届いたんだと思います。11月30日の手紙については、毎日のように夜公園で会っている怜子さんと梅名光一さんを見て、計画的に怜子さんを狙ったんだと思います。だから、先に手紙を荻原さんに書かせた。そして、11月30日に怜子さんを殺した。

逆に言えば、はじめの2件は衝動的な殺人に近いと思います。

次に、なんで殺人が終わったか。あの温室が完成したからだと思います。だから、血への執着を忘れることが出来て、殺人から解放されたんだと思います。

そして、怜子さん殺害の時に、オノが欠けている事に気づいた。おそらく真紀子さんを殺した時に欠けたんでしょう。欠片を荻原が持っている可能性がある。本人は認めなかったでしょうが完璧な証拠品だ。だから、3年間妻の時子さんの生まれた港町に移り住まわせた。

しかし、次第に心配になったので、小屋を建て、自分の近くに置いて置くことにした。さらに、口止め料を毎月支払い、外界との接触も断たせた。」

涼司は俯いて何も言わない。

ここまでは、さっき勇志と穂乃にも話してあった。

「正暉。結局、動機はなんだよ」

勇志が聞いてきた。

「動機は分からない。あなたにしか」

俺は、涼司を見た。彼は花を見ながら笑っていた。

「はっは!可憐な花だ。可憐な血だ」

「師匠。奥さんの自殺の原因について教えて下さい」

「時子か?ああ、全てバレてしまったな時子」

涼司は真っ赤なヒガンバナに話しかけていた。

「時子は、元々精神が弱かった。自殺の3日前に、彼女は流産してしまった。それで精神を病んだ。包丁で首を切った。俺の目の前で、真っ赤な血が花のように咲き乱れた。そして、俺にも、花瓶の花にも飛び散った。その血にまみれた花が美しくて美しくて、血を浴びた樹木や花は美しく咲くんだ!だから若く、美しい時子のような女性の血を公園の木や花に与えたかった。これが俺の考えだ」

時に情熱的に、時に冷静に語る涼司は普通ではなかった。

俺たち3人は、何も言えなかった。


パトカーの音が聞こえ、真っ先に卓馬が事務所に飛び込んできた。

「君たち!ほんとに何やってるんだ!正暉、その腕はどうした」

「大丈夫です。自分で切ったんです」

「え?自分でよく分からないけど、無事で良かった。あとは警察に任せて」


今日は俺が病院に連れていかれた。

病院に行く途中、卓馬にさっき語った事を話した。

同じ事を警察も考えており、もう少し調査をする予定だったらしい。

もちろん、オノの欠片は事務所で警察に預けた。

「俺も、昔の警察も1番身近な人を疑ってなかったんですね」

「ああ、正暉くんはともかく。警察の失態だよ」

「師匠はどうなりますか」

「3人の殺害について、荻原への脅迫の容疑と、もし君の言うことがホントなら偽名の銀行口座の件でも立件されるかもね」

「そうですか。わかりました」

「まだまだ、調べることは多い。分かったら全て伝えるよ」

俺は雨も上がり、晴れ渡った空を見ながらパトカーに揺られた。


後日、事件の細部について幼なじみ3人に説明があった。

この時点では、34年前の事件に関係者があるかもしれない人物が逮捕されたとしか報道されていなかったが、村の中では荻原について漆間について少なくとも、世間の報道よりも詳しく伝わっていた。

勇志も穂乃もお盆休みを貰えたらしい。

駐在所では、卓馬が氷でキンキンに冷やした麦茶を出してくれた。

「さて、漆間涼司が自供したよ。」

卓馬がそう切り出した。

「まず、3人の殺害と、荻原への脅迫、口止め料、3年間港町でくらすための資金について全てだ」

やはり、師匠が犯人。俺の予想は当たっていた。いや、当たってしまったと言った方がいいかもしれない。

「ケースの中のオノだけど、やっぱり荻原の指紋がついていた、さらに刃からは僅かに被害者のDNAも検出された、銀行口座も偽名を使って作っていたことが銀行の防犯カメラから分かった」

「荻原さんはなにか喋りましたか」

俺が質問する。

俺は荻原が真紀子の死体を見つけた事で脅され、同時にオノの破片を入手したと考えたがこれは想像の域を出ていなかった。

荻原の証言が聞きたかった。

「ああ、漆間が自供したと伝えた瞬間ペラペラと話したよ。34年前の10月19日、真紀子を探していると、漆間が少し離れていたタイミングで、オノによって惨殺された遺体を発見したらしい、その時オノを握ってしまい、欠片を見つけた。その様子を偶然見た漆間は手紙を書かせ、なんと死体の処理も手伝わせたらしい、それで罪の意識が芽生え今までしゃべれなかったらしい」

ここまででだいぶ事実か解明された。

しかし、1番の謎が解明されていない。

その事について俺より先に質問したのは穂乃だった。

「あの!叔母さんと他の2人の遺体はどこですか」

「その事なんだけどね。荻原は遺体をバラす作業しか手伝ってないから分からないの一点張りで、漆間本人は埋めた事は話してるんだが、木が多すぎて分からないとか、燃やして灰にして埋めただの言うことが2転3転しててね。正直分かりかねてる」

分からないのか、教えたくなのか、はっきりしないと思った。

俺の役目は終わっていないと思った。

祖父と母、穂乃の家族、白椿家の人々のためにも遺体を見つけないと全て終わったとは言えない。

3人はそれぞれ家に帰った。

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