03:見えない壁
これからどうしよう。
ヒカルの証言が本当なら、自宅も燃えてしまったし、僕自身も死んでいるのだから仕事に行くのもおかしな話だ。
ヒカルが言っていることを信じなければ説明がつかないことがあるのは間違いない。
けれど、突拍子もない状況に心が追い付いていないというのも事実だった。
他にも何か状況を裏付けることが見つかれば信じていけると思う。
「ねえヒカル、僕の家は燃えたって言ったよね。遠目からでいいから確かめに行ってもいいかな?」
知り合いに遭遇して、死んだはずの人間が生きていると騒ぎになってしまう危険があるのはわかっている。
それでも自分の目で一度確認しておかないと、今の状況に納得ができない気持ちもあった。
けれど、ヒカルは困った顔をしながら僕に教えてくれた。
「それなんだけど、今の私たちは春原市から出られないの。だから
「出られないってどういうこと?」
「ちょっと駅の方まで来てもらっていい? 来てもらったらわかるからさ」
僕とヒカルは最寄駅である春原駅まで歩いてきた。
春原市は地方都市にやや近いため、駅もそれなりに大きい。
駅近くに小さめのショッピングセンターやビジネスホテルがかろうじて存在する程度の栄え具合といえばわかるだろうか。
要するに、都会とはいえないものの田舎というには人口が多い場所にある駅だ。
ちょうど住みやすい街と言えるかもしれない。
今は混み合う時間ではないのか、人通りは少ない。
僕たちは駅から線路に沿って少し進み、踏切のある場所までやってきた。
辺りを見回しても人影はない。
踏切周辺には監視カメラの類もなさそうだ。
電車は少し前に通過したばかりで、どれだけ早く見積もっても10分以上は通過しないだろう。
「ちょっと待っててね。たぶんこの辺りだと思うんだけど」
ヒカルは踏切を渡ろうとする……かと思いきや、線路の手前で立ち止まる。
そして何もない前方に両手を伸ばしながら、おそるおそるといった様子でヒカルは少しずつ前進し始めた。
「……何してるの?」
「だって、痛かったら嫌だし」
痛いってどういうことだろう。
「ヒカルが怪我するようなこと? もしそうなら実演はしなくていいよ。言葉だけで大丈夫」
「まあ、最悪でもガンッとなるだけだから気にしないで。大怪我とかは絶対無いもん」
再びヒカルは手を伸ばして動き始めた。
けれど、一歩の距離はどんどん短くなって亀の歩みになっている。
ヒカルの様子を見る限りだと、その辺りに透明な壁のようなものがあるのかもしれない。
確かにそれなら精々が突き指くらいで大怪我をすることはないだろう。
「あれ? この辺りにあると思うんだけど、もう少し奥? 透明だからわかんないなー」
何があるかはだいたい想像がついた。
それならヒカルが変なぶつかり方をする前に、僕が当たってしまおう。
大した怪我じゃなくても、ヒカルが痛い思いをしたら悲しいし。
そう考えて、僕はヒカルの傍を通って線路の向こう側へ近づく。
ヒカルが立っている所から大股で1歩くらい先に透明な壁があった。
「あっ! ユウちゃん、大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫だから安心してね。どこも痛くないから」
「よかったー!」
それにしてもこの透明な壁はなんだろう。
何もないのに通り抜けられないなんて、普通じゃ考えられない現象だ。
「これはエインフェリア対策の1つなの。エインフェリアになったばかりの人が好き勝手しないようにね。普通の人はここを通れるけど、北欧の神々から信頼を得ていない未熟なエインフェリアは通れないようになっているんだよ」
北欧の神々が人間の死者をエインフェリアとして蘇らせているのは、人々に危害を加える怪物を人知れず退治させるためらしい。
エインフェリアはスコルの子のような怪物と戦えるような強大な力を持っている。
けれどヒカル曰く、その力を犯罪行為に使った人が過去にいたのだとか。
そういった悪質行為を防ぐために、神々から信頼を得られていないエインフェリアは厳しく行動を制限されるようになったそうだ。
「実はユウちゃんの記憶も、北欧の神々が一時的に封じているんだよ」
「そうなのか……。でも記憶を封じることと、エインフェリアの行動を制限することに何の関係があるの?」
「正確に言えば、エインフェリアから大切なものを取り上げて、人質みたいにしているんだよ。何か良からぬことをしたら、大切なものは返さないって」
人によって取られるものは違うそうだが、僕の場合は去年の春からの記憶を取られているようだ。
大切な記憶……だったのだろうか。
人質代わりに奪われたくらいだから。
「たぶん、私に関する記憶だと思う。私がユウちゃんと初めて会ったのがその頃なんだよね」
「じゃあ北欧の神々から信頼してもらえれば記憶も戻ってくるし、透明な壁を通って自由に行動できるようになるんだ」
「そういうこと。エインフェリアとして戦果を挙げ続けていれば信用されやすいみたいだよ」
逆にエインフェリアのことが世間にバレるような失態を犯したり、力を悪用したり、北欧の神々に叛逆を企てた場合は厳しく罰されるそうだ。
他にも大切なものを奪われたり、最悪の場合は処刑されたり……。
神々が遣わせた使い魔が監視役を担っていて、その辺りの判断をしているらしい。
「まあ、エインフェリアのことが世間一般に知られないように、気を付けて化け物退治をしていれば大丈夫だよ」
「力を悪用するつもりはまったくないからそこはいいけど、一般人にばれないようにってのはなかなか難しそうだね」
「多少ならバレても大丈夫……かな? 神々の活動に支障が出ない程度ならOKだから。『化け物を見た!』なんて話しても誰も信じないと思うし」
スコルの子は写真には写らないそうで、仮に一般人に目撃されても証拠が簡単に残ったりはしないという。
それなら1人や2人に目撃されたとしても、それ以上に情報が出回ることはない。
「スコルの子との戦いを一般人に見られたくらいじゃ、罰則を受けることはないのかな。それよりも知り合いと遭遇してしまう可能性を気にした方がいいのかも……。春原市って僕の家からそこまで遠くないしさ」
「でも非公開になってるエインフェリア対策が他にもあるから、意図的に会いに行っていろいろしない限り、実質的な遭遇率は0%だけどね」
……ヒカルがさらっと非公開の対策があると言ったけど、なんでヒカルが非公開情報を知っているんだ?
ヒカルだって透明な壁に阻まれているから、神々から信頼を得られていないエインフェリアのはずなのに。
「あっごめん、なんでもない! 今の聞かなかったことにして!」
「聞かなかったことにして、と言われてもな……」
「少なくとも今は絶対話さないから! 話したら私が北欧の神々に怒られるから!」
普通のエインフェリアに公開されていない事柄もヒカルは知っているような口ぶりだ。
どんな内容なのか、なぜ知っているのか問いたいが、ヒカルが神々に怒られるなら無理に聞き出すわけにはいかないだろう。
そのうちポロッとまた機密情報を漏らしそうだなと思いながら、透明な壁の話に戻すことにした。
「この透明な壁って車とかに乗っているときでもぶつかるよね。バスやタクシーで移動していたら、気づかないうちに透明な壁にぶつかって大怪我を負う可能性もあるのかな」
「そうだね。その場合、車の走行スピードで透明な壁にぶつかった挙句、透明な壁と車の内壁に挟まれて酷いことになっちゃうね」
エインフェリアだからそれほど問題ないだろうけど、バスのような大型車両だったらさすがに危ないかも……とヒカルは言う。
むしろエインフェリアは中型程度の車になら轢かれても、割と耐えられることに驚く。
想像以上にエインフェリアの身体は強靭なようで、行動を制限されるのも頷ける気がする。
「どんな車だとしても、怪我をするのは間違いないから試さないでね」
「試すつもりは微塵もないから」
怪我ももちろん問題だけれど、車内で透明な壁に衝突して潰れるなんて間違いなくニュースになる。
一般人からすれば突然の怪奇現象だ。
そんなことになったら、命が助かったとしても北欧の神々から処罰を受ける対象となるだろう。
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