第7話

 虫の知らせという言葉があるけれど、今回は本当に虫が知らせたのだと思う。土手の虫が。冬には冬眠してるだろうに、精霊の危機を伝えてくれたのだ。


 その日僕はなぜか部活に行く気がしなかった。そんなこといままでにほとんど無かった。それでさぼった。月曜日の午後は授業が短い。午後2時くらいに土手を歩いていた。澄み切った空に太陽がさんさんと輝いているけれど、恐ろしく寒い。風も強い日で、これなら部活に出て夕方の土手を歩くほうが、気持ち的に楽だった。そう思った。

 別所さんはいなかった。彼女がいるときはなんとなく分かるようになっていた。これは不思議だけれど、今日は会えないなという気がした。この感覚は割と今まで外れたことがない。残念だな、と思いながら空を見ながら歩いていたら、盛大にすっころんだ。別になにかにつまづいたわけでもない。

 土手に敷かれたアスファルトの上にダイビングしてしまった。かろうじて手をついたけれど、片方ポケットに入れてたので、片手で着地をした。

 周りに人がいなかったので良かった。恥ずかしいほうがむしろ痛い。でも着地した手のひらをすりむいてしまった。血がにじんでいる。それを見たら、なんだかものすごく気分が悪くなった。「まずいな」ということだけに、気持ちが動いた。

 ちょっと立ち止まってぼーっと考えていた。だけど、土手で気になることと言えば別所さんのことだ。なにかあったのかと勝手に思って、とりあえずあたりを見回した。でもなにも見えない。ここであきらめたら、普通の人だから、もっと探そうと思った。無駄になっても話のネタにはなる。僕は走った。

 なぜか、ものすごい熱心に僕は別所さんを探した。土手は広いけれど、けっこう見晴らしがいい。探すとしたら人目に付かないところだと思った。それで、僕が夏休みの間に素振りをしていた場所を目指した。川を挟んで別所さんのマンションが見えるところだ。

 草を掻き分けて川辺にでると、別所さんがいた。別所さんは体育座りをして、ひざの間に顔をうずめていた。別所さん、と言っても返事がないので、肩に手をかけてもう一度、

「別所さん、大丈夫?」

 と言ったら、別所さんが横に倒れた。顔が真っ赤で、額に手を当てたらすごい熱だった。僕の手が凍えていたので、温度が高まるまでの時間がとても長くて、どこまで熱くなるのか心配する暇があった。緊急事態だ。

 僕は普段めったに使わないし、学校にはほとんど持って行かないのに、なぜか今日は持ってきている携帯で救急車を呼んだ。僕は他人のことならば、大胆に行動ができるタイプだ。ただ、今いるこの場所をどう伝えればいいのかだけ、少し迷った。

 

 別所さんは肺炎になっていた。仕事先から駆けつけたお母さんと病院でお会いした。別所さんは母子家庭だった。病状が安定しなかった。体がかなり弱っていたらしい。別所さんのお母さんは普段の仕事がかなりの激務らしくて、娘の心配をして涙を流しながら、自分も倒れそうになっていた。

「あの子、ほんと、なんでもないように見えたのよ。でも3日前の話なの。うかつだったわ」

「僕もうかつでした。学校を休んでいるのに、土手では会ってましたから。別所さんがなんとなくそうしているだけだと思っていたんです。昨日まで、ほんとに普通に見えたんです。辛そうでもないし、むしろ元気そうに見えたんです」

「なんかね、ゆかりは昔からそうなのよ。自分で自分の体調が悪いのに気が付かないの。それで、突然倒れたりして。体は丈夫な方だと思うけれど、体調を整えるとかそういう意識がないの。なんかね、体をほったらかしにして、魂だけ、どこかに遊びに行っているみたいな。分かるかしらこういう感じ」

「よく分かります。別所さんは自分で自分のことを土手の精だと言ってます。僕はまったく違和感ないですよ。もちろん普通の女の子だとも思ってますけど、話の次元が違うというか」

「そうなのね。だからあなた、ゆかりとお友達になってくれてるのね。土手の精か……。確かにそんなこと言ってたわ。そうなのよ。違和感無いの。わたしの娘なのに、なんか違う生き物みたいに感じるときがあるのよ。あの、悪い意味じゃなくてね。育ててみたら、天使みたいになっちゃったという感じ?」

 別所さんはまだ重態なのに、ぼくらはそこで爆笑してしまった。そこで別所さんのお母さんは今まで張り詰めていた緊張が解けたようで、急に疲れた顔をした。

「別所さんは僕が見てますから、一度休まれたほうがいいですよ」

「ごめんなさい、お願いできる?ほんと、申し訳ないけどちょっと限界だわ。ほんとごめんなさい、他に頼める人がいないの。少し寝て、お昼過ぎにはまた来るから」

 なにかあったら携帯に電話してと言って、電話番号を交換した。朝の5時になっていた。この病院は土手沿いにあって、家まで自転車で15分くらいの距離だ。僕は徹夜になったけれど、別所さんのお母さんはたぶんもっと寝ていない。3日も家に帰れないほど忙しかったわけだし。

 病室に入ることができないので、看護婦さんに言って、待合室でだらだら過ごした。なぜか悲壮感が無い。心配という気持ちが薄い。別所さんなら大丈夫だと思った。この大丈夫というのは、生きようが死のうが別にいいじゃないかという酷いレベルの大丈夫だった。徹夜したせいで、僕のテンションもおかしくなっているみたいだ。眠くは無いのに、なんだか夢の中にいるような変な感じで、もしかしたら別所さんも今、近いところをさまよっているのかも、と思ったりした。

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