第3話

サイカが手早く、区画のマーキングを済ませた。板橋区は大戦中、特に被害の大きかったところで地図情報が安定していない。少しずつ手探りで、地図を作りながら進むしかない。

 先にいくぞ、と妹に手を振って合図してから、俺は情報の海に身を沈めて行った。果たして今回は、リングが見つかるかどうか。


 なぜ人間にリングが見えるようになったのか。なぜ突然、それが現れたのか、結局詳しくは分かっていない。

 今から150年ほど前。人間の意識と、コンピューターのネットワークをリンクさせる技術が生まれて、情報の交換が凄まじいほどに効率化した。頭の中で考えたことが、そのまま情報の世界に反映される。人間の意識がデジタルの世界に組み込まれていった。ネットワークは世界中に広がり、その情報量は現実世界とほぼ同じになるまで膨張した。例えば、現実の世界の板橋区と、ネットワークの中の板橋区の情報量は、ほぼ同じになっている。世界がコピーされたと言ってもいい。

 その後、ネットワークの世界が情報量として、地球のサイズを越えなかったのは、単純に言えば「そのほうが都合がいい」からだ。板橋区から台東区へ情報を運ぶ。現実と同じルールをネットワークに適用できる。とにかく人間は、その二重になった世界を行き来しながら生活をするようになった。

 そこまでは良かった。というか、それがこの仕組みを作った人間達の、想像の範囲だった。


「お兄ちゃん、あと3秒で50メートルなんだけど」

 地上にいるサイカがボソッと言った。

「おっと危ねぇ」

 慌てて俺は、両手を振り回して沈むスピードを緩めた。うっかりしてた。自分で言っておきながら、50メートルをあっさり超えるところだった。深いところほど、汚染物質に触れる危険性が高まる。

「お兄ちゃんちょっと感覚が麻痺してるんじゃない? 自分はもう、いくら汚染されたってかまわないと思ってるんでしょう。まあ死にたいなら別にいいけど? でもそれなら、私に文句をつけるのもやめてよね」

 案の定突っ込まれた。身内に対する優しさというものが無いのか、妹よ。

「3号機、50メートル地点到達。1号機続いて来い。ゆっくりとだぞ」

 俺は言った。

「1号機、了解」

 サイカが極めて不機嫌そうに返事をした。


 生まれた時から、脳がネットワークに接続されている世代。いわゆるリング世代が生まれたのが、今から120年前。最初に、幼稚園ぐらいの小さな子供たちの間でうわさが広まった。子供たちは大人に向かってこう言った。

「ネットワークの中に『輪っか』がある」

 「輪っか」はいつしか「リング」と呼ばれるようになった。初めはただの都市伝説だと思われていたが、それが実際に存在する物質だということが、長い調査の末分かった。調査に時間がかかったのは、その「リング」が当時の子供たちにしか見えなかったからだ。

 ネットワークの中にあるのだから、正確に言うと物質ではない。しかし「リング」は、ネットワークの世界から現実の世界に持ち出すことが可能だった。人間の脳に蓄えるという形で。

 まるでオレンジを絞ってジュースを作るように、人間の脳から「リング」が取り出された。それは忌まわしき方法だったが「リング」の価値をいったん知った人間たちは、後戻りが出来なかった。なにしろ一回の手続きで、当時最先端の原子力発電所の、一日の発電量に匹敵するエネルギーを得られる。

 初めはかなり強引な方法が取られていたが、やがてそれなりに安全な方法で、リングを脳から取り出す方法が確立された。エネルギー問題は解決し、世界に平和が訪れた……なんて上手く行くはずも無い。

 ネットワークの中に存在するリングの量は、どうやら限られている。この分析も今では本当だったかどうか分からない。しかし戦争を始めるには丁度いい理由だった。リングの発見により市場経済が混乱し、各国の政情も不安定になっていた。人間は元々、好戦的な生き物なのだろう。リングの覇権を争うという名目で、現実とネットワークの世界を又にかけた大戦争が始まってしまった。「リング戦争」ってやつだ。つまらないネーミングだよな。

 現実の世界がほぼ壊滅状態になったのが、だいたい100年前。人類が20年も戦争を続けられたのは、リングという無尽蔵なエネルギー源があったからだ。そのおかげで地球は、生物の住むことの出来ない星になってしまった。核の放射能や汚染物質だらけで、人は自由に外を歩けなくなった。

 そして現実世界のみならず、その後の20年でネットワークの世界も破壊され、汚染された。人間の意識にダメージを与える、汚染物質やウイルスが大戦中に数多く発明され、ばら撒かれた。だから今ではネットワークの世界でも、人は自由に飛ぶことが出来ない。

 

 上から降りて来た妹の足が、俺の頭の上に乗っかった。

「少しは兄に敬意を払えよ。これでも俺は、東京都文京区(とうきょうとぶんきょうく)、自治会長様だぞ」

「市民が1000人もいないじゃない。貴族に睨まれたら逃げるだけだし。せいぜい生徒会長ってところじゃない?」

 サイカが笑って言った。どうやら潜って来る間に機嫌が直ったらしい。

「俺は実際、高校で生徒会長だったぞ。生徒は18人しかいなかったけどな。もう10年ぐらい前か。懐かしいな」

 俺は言った。

「リングのニオイがする」

 そう言ったかと思うと、サイカが俺の頭を蹴飛ばしてさらに深く潜っていった。

「馬鹿! お前何やってんだ!」

 俺は慌ててサイカの後を追った。


「サイカ、汚染区域に入ってるぞ!」

 俺は妹の右手を掴んで引っ張った。妹はシーフ(泥棒)タイプなので、腕が繊細に出来ている。ディフェンダーの俺が掴むと、握りつぶしてしまいそうになる。

「お兄ちゃん! ほらよく見てみて」

 俺に引っ張られて体にかなり負担がかかっているはずだが、落ち着いた口調でサイカが言った。だが今はそれどころじゃない。だいたい70メートル付近まで潜ってしまった。サイカの汚染が心配だ。

「一旦戻るぞ、サイカ」

 強引に引っ張ろうとしたら、妹が俺の脳天に足蹴りを喰らわせやがった。

「お前!」

「馬鹿兄(ばかにい)! よく見てみろ!」

 仕方がないのでサイカが指差す方向を見てみる。なにかチラチラと光っているものが見える。まさか。

「この距離で光って見えるってことは……」

 俺は言った。

「大鉱脈よ! リングの大鉱脈!」

 興奮したサイカが光に向かって飛んで行こうとした。しかし俺は、妹の腕をしっかり掴んで離さない。

「サイカ、一旦(いったん)戻ろう。今行かなくてもリングは逃げないよ。ちゃんと計画を練ってから街に運ぶんだ」

 じたばた暴れる妹に、言い聞かせるように俺は言う。

「わたしが見つけたのよ!」

「分かってるよ。あのリングはお前のもんだ。誰も盗らない」

 もちろんサイカは、リングを独り占めするつもりなんて無い。脳がオーバーヒートしちまってる。フッと妹の体から力が抜けた。俺は妹の体をかかえて、地上を目指して浮き上って行く。

 サイカを採集に連れてくるのは、やはりリスキーだ。妹の体にとっても、作戦の遂行においても。ただ、サイカは凄くカンがいい。リングを見つける為にはこの種の才能が欠かせない。そして、その才能を持つ人間は非常に限られている。だから、こんなに不安定な17歳を、現場に出さざるを得ない。

 リングがなければ、俺たちは生活を維持できないのだ。街のみんなの命が、俺たち兄妹(きょうだい)の仕事にかかっている。多少の汚染は覚悟しなければならない。俺たちは汚染に強い免疫系だ。責任がある。

 俺はもう覚悟を決めている。オヤジと同じように汚染を厭(いと)わずに、死ぬまで仲間に尽くそうと思う。それが生きがいでもある。でも妹はまだ子供だ。いろいろ背負わされる前に、もう少し遊んで生きる権利がある。

 俺は地表を吹き飛ばして一気に地上に飛び出した。板橋区の上空1キロまで飛んで、ドクターに緊急連絡する。

「ドクター? サイカが汚染されたかもしれん。浄化装置の準備をしておいてくれ」

「死ぬほど急いで」

 ドクターが乾いた声で言った。サイカを抱えて俺は、全力で街に向かって飛んだ。

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