第2話

 4週間と1日前。我が街の作戦室にて。


「お兄ちゃん。今回の採集だけど板橋区栄町で、どう?」

 サイカが作戦室の大モニターを見詰めながら言った。

「……いいと思うよ。だけどあそこらは、かなり汚染物質が残されてるだろ」

 マイクに向かって俺は言った。みんなを汚染させてしまうので、俺はもう作戦室には入れない。自分の部屋から作戦室内の映像と、モニターの内容を確認している。

「そこが逆に狙い目じゃない。まだ良い獲物が残ってる可能性があるでしょ。わたしなら60メートルは潜れる。多少の汚染は覚悟してる。場合によっては100メートルは行ける」

 相変わらず強気な妹だ。そして感情的過ぎる。周りのみんなも苦笑している。

「40メートルまで……。40メートルまでなら行かせてもいいと思うわ」

 こちらも大モニターを見詰めながら、ドクターが言った。神経質そうに眼鏡を押さえて、モニターの詳細に目を凝らしている。

「70メートルは行けるわよ!」

 サイカがドクターに楯突くように言った。

「あなた何言ってるの! リスクが大きすぎるわ。自分で60メートルって言ったじゃない。実質45ね。45メートル」

 ドクターも強気だ。どうして俺の周りの女たちは、こうも強気なんだ。男たちも少しは見習って欲しい。

「お前らポーカーをしてるんじゃないんだぞ。リスク計算で駆け引きすんなよ。サイカ、正直な所どこまでいけると思う? 正直に言え」

 俺は、妹とドクターの会話に割り込んで言った。

「リスクを取らなきゃ収穫だって無いのよ……。55メートル。55メートルならリスクはほぼ無いけど、でも」

「じゃあ、50だな」

 俺は言った。妹が顔を真っ赤にして怒りをあらわにしている。体が小さいくせに妙に迫力がある。

「ドクターもそれでいいよな」

「仰せの通りに」

 仕方ない、という顔をしてドクターが言った。彼女にも直接会えなくなってもう2年だ。ほとんど化粧無しで、相変わらずの美人だな。作戦会議終了、と俺は言って音声通信をオフにした。


 深夜午前2時。板橋区栄町方面、作戦開始。今回は調査がメインなので、俺と妹のサイカだけで出る。

板橋区栄町。これはあくまで場所を示す言葉で、今ではほとんど何も残っていない。現実世界はもちろん、ネット上にも街があるわけではない。

 妹がマシンの中に入った。マシン室の中にはもともと、マシンが4台あった。1台は死んだオヤジの部屋に移動され、墓標のようになって眠っている。だから実質、稼動出来るのは3台だ。

 2年前に俺の体の汚染率が15%を超えた所で、その3台の内の1台を強引に俺の部屋に移した。今や俺の体が汚染源になっている。同じ免疫系である妹のサイカにさえ、ダメージを与える恐れがあった。汚染率が20%を超えた今なら、なおさらの事だ。

 このマシンは年代物だ。大戦前の時代に作られたのだから、ざっと120年物というところか。こんなアンティークのような機械に、残された人間達は命を預けている。故障してしまえば、二度と修理することは出来ない。メカニズムを記したデータは残っているが、データを読み解くことの出来る人間は、もはやどこにもいない。

「3号機起動させるぞ、OK?」

 俺は音声通信で言った。

「1号機OK。起動します」

 サイカが冷静に言った。頼むから最後まで冷静でいてくれよ。

 コントローラーに両手を乗せると、マシンが俺の生体記録を認証して、ブーンという低い音と共に動き始めた。意識がネットワークにシンクロしていく。マシンのマニュアルには「入眠」と書かれている。人間の意識が、機械で作られたネットワークの世界に入り込んで行く。肉体は眠ったような状態になるが、意識は目覚めている時よりも活発になる。

 この「マシン」はそもそも、人間の脳の、眠っている能力を引き出す為に開発された物らしい。誰が言ったか知らないが、人間の脳は、通常ではその機能の10%も使われていない。その使われていない部分を、無理矢理機械の力で活性化したらどうなるか。それを実現したのが、この「マシン」だ。

 適性と訓練が必要だが、ネットワークの世界で超人のような働きが出来る。それまで使われていなかった脳の力を使って、人間は膨大なデータの海を、自由に泳ぐことが出来るようになった。

「板橋区まであと15キロ。兄さん起きてる?」

 弾むようなサイカの声。マシンに入ると、サイカはいつも生き生きとしている。普段の仏頂面が嘘のようだ。

「ちょっとスピード出しすぎだろ。汚染区域に触れたら後でドクターに殺されるぞ」

 俺は言った。しかし実を言えば、俺と妹は汚染区域をそんなに気にしなくていい。免疫系だからだ。

「あと10キロよ。ああ! 生きてるって感じがする!」

 マズイな。サイカがハイテンションだ。サイカのチャンネルから、ロックミュージックが聞こえてくる。確か21世紀頃のアメリカのロックバンドで、レッチリとか言う奴だ。

「お前、レッチリはヤメロ。前回俺が吐いたのを忘れたのかよ!」

「……」

 スルーされた。俺は基本的に、シンクロ中は余計な情報を脳に入れたくない。ノイズを極力減らしたい。そうしないと感覚が鈍る気がする。しかし妹によれば、シンクロ中の音楽は感覚を研ぎ澄ませるのだという。兄と妹でこうも違うか。どうせかけるならクラシックにして欲しい。

「あと5キロ。燃えてきたぁ!」

 小さな子供みたいに、嬉しそうな声を妹が出した。17歳。他に楽しみもないだろうし、しょうがないよな。とはいえ、少し押さえておかないと危ない。

「一気に突っ込むなよ。区画のマーキングを忘れるなよ。それと今日は、俺が先に入る」

「ええ! わたしが先よ! そんな殺生な」

 軽い言葉遣い。もうラリっている状態に近い。脳を開放しているのだから、ある程度はしょうがない。しかし限度というものがある。

「俺が先だ。分かったな?」

「わかったよ。クソブラ!」

 クソブラって、クソなブラザーっていう事? 初めて聞いたぞ。よっぽど今日は調子がいいらしい。妹はマシンに適性がありすぎるのだ。父親より、母親の資質を多く受け継いでいる。俺は逆だ。父親そっくり。無骨なディフェンダー。

 ネットワーク上に映される人間の姿は、基本的には現実の姿を踏襲する。目鼻立ちや髪型など、細部まで同じ。生身とネットワークの体が一致していないと、上手くシンクロ出来ないからだ。ただ、一度ネットワークに入ってしまえば、拡張した体を使うことが出来る。例えば俺はディフェンダーなので、体全体に装甲が施され、背中に亀の甲羅のようなごっつい盾を背負っている。戦闘時にだけ出せばいいのだが、面倒くさいので俺は出したままにしている。オヤジがいつもそうしていた。見た目が野暮ったいので、10代の頃は盾を極力隠すようにしていた。しかし、いつの間にか気にならなくなってしまった。

 一方妹のサイカは、かなり派手な格好になっている。腰まである青いツインテール。ピチっとした黒いブレザーと緑のネクタイ。短すぎるチェックのスカート。サイカが言うには、21世紀の女子高生をイメージしているのだそうだ。戦闘に不必要なアクセサリーをいっぱいつけている。極め付きはサイカのスピードガンだ。クワガタみたいな形のピンクのエレキギターがモデルになっている。本当、ぶっ飛んでるよな……。

 貧しい現実の世界では、オシャレをするのにも限界がある。せめてネットワークの世界では、ということだろう。だけどアレ、センスがいいとは思えないんだけどな……。はっきり言って、若者の趣味は理解出来ない。まあ俺の格好も自慢できるようなモノじゃないけどな。妹にはオヤジくさいとさんざん言われている。オヤジ結構。シンプルなのが一番だ。

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