2016年 謎の解明

「え、もう一通の手紙?」


 正月に娘の挑戦を受けた聡君は、思いのほか、その謎解きに手こずっていたように、見えた。しばらく封筒の中身を見つめてから、おもむろに彼は僕の許へやってきて、真剣な面持ちで言ったのだ。もう一通、手紙がありますよね、と。


「はい。多分、この封筒の前か後に、もう一通手紙があったと思うのですが」

「……そういえば」


 はじめに、この手紙の隠し場所を書いた、手紙があった。……どこに行ったかは、分からないが。


「内容は、覚えていますか」

「うーん……おぼろげに」

「そこには、ねがわくば、という言葉は、書いてありましたか」

「……‼ あったと、思う。でも、どうして……」

「これで、おそらく、分かりました。しかし、確証は、もてません。俺に、確認させていただいても、よろしいですか」


 聡君の瞳は、謎解きの最中特有の興奮に、底光りしていた。



「本当に、大丈夫ですか」


 隣の聡君は、白い息を吐きながら、気づかわし気に僕をのぞき込んだ。彼は、コロコロに着ぶくれている。


「……そうだね、もう少し……」


 両手をこすり合わせながら、僕は答える。3月の長野の寒風は、骨身にこたえた。

 彼は、携えて来た大きなバッグからポットを取り出し、中身をカップに注ぐと、僕に差し出してくれた。


「ただの、お湯ですが。少しは、温まります」

「……ありがとう。ずいぶんと、準備がいいね」

「俺は、2月に一度、来ているので。……それにしても、俺の馬鹿な好奇心ですよ。空振りの可能性の方が、高いです。お付き合いいただかなくても、良かったのに」

「……いや、僕が、来たかったんだ」


 3月の力ない太陽が沈み、ようやく、空が暗くなる。そして、満月が東の空に顔を出した。


 あの謎解きの手紙を娘が見つけ出して以来、僕は祖父のことを思い出すことが多くなった。20年前、75歳で突然亡くなった祖父。祖父との思い出深い日々は、もう30年近く前になる。

 祖父は陽気で闊達な人で、子供をしかりつけることもほとんど無かったという。孫にも、いつも優しく接してくれていた。そんな祖父が、いつもとは違うひどく寂しげな横顔を見せる季節があった。庭の桜が咲く季節だ。


「さくら、きれいだね」


 そんな祖父の横顔を見たくなくて、僕は殊更に明るい声を上げる。すると祖父は我に返り、いつもの笑顔を見せるのだ。


「人生には、もしもはない。お前に一つだけ言い残すとすれば、守れない約束は、するなということだ」


 もう少し僕が大きくなった時、祖父は背中を見せて桜を眺めながら、つぶやいた。

 祖父の言葉の意味が、今夜、分かるかもしれない。

 僕は、まだ花芽の膨らむ気配もない桜の木を見上げる。


 その時、サクサクと土を踏む音がして、遠くから人影が姿を現わした。

 その人は、まっすぐに僕たちのいる桜の木の方に歩み寄ってきて、そして僕たちに気がついて、びくりと立ち止まった。

 その手には、夜目にも白い封筒が、月の光を反射して鈍く光っている。


「……内田幸三さんの、お知り合いですか」


 聡君が僕の祖父の名を告げる。

 相手の目が見開いた。




「 『願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月の頃』 ――西行法師の、辞世の句ですね」


 聡君はつぶやくように言う。


「ここからは、俺の推測ですが……あなたがその手紙を託された女性と、内田幸三さんは、約束をしていたのではないでしょうか。いつか必ず、『如月の望月』、つまり旧暦の2月、現在の暦だと3月の満月の夜に、この桜の下で、再び会おうと」

「ええ、その通りです。内田幸三さんの約束の相手は、私の、大叔母に当たる女性です」


 僕と同じくらいの年頃の女性は微笑んだ。



 祖父がここ、長野県大町市を訪れたのは、この地に開館した、山岳博物館の調査に協力するためだった。終戦直後の混沌とした社会情勢から立ち上がり、郷土文化の興隆を目指す、北アルプスを愛する若い面々に、祖父は強く感銘を受けたという。そして、そこで、一人の女性と出会った。

 

 祖父が女性と初めて出会ったとき、彼女は、小さな女の子の手を引いていた。

 満開の桜の木の下で、祖父と女性と女の子は、いつまでも飽きず手遊びをした。そして、眠ってしまった女の子を抱きながら、女性は祖父とたくさんの話をした。

 その女性の理知的なまなざし、打てば響くような軽妙で深遠な会話。祖父はあっという間に、恋に落ちた。女性の祖父を見つめる眼差しもまた、熱かった。


 しかし、彼らには乗り越えなければいけない壁があった。少なくとも、祖父はそう信じていた。

 祖父は苦しんだ。そして、決断をした。彼は愛する人に告げた。

 自分はこの地を去る。もしも、自分と共に来てくれるならば、『如月の望月の日』、この桜の木の下に、来てほしい。自分は何年でも、その日、あなたをここで待つ。

 その年の3月の満月の夜、桜の下に、彼女は、来なかった。

 

 おそらく祖父は、本当に、毎年『如月の望月の日』に、この桜を訪れるつもりだったのだと思う。

 しかし、それは叶わなかった。失意の中帰郷した祖父を待っていたのは、跡取りである兄の死、そして兄嫁を娶り家業を継ぐという、逃れようのない使命だった。



 祖父の想い人、北山かねさんは、当時のこの土地では珍しい、教師と言う手に職を持った女性だった。祖父と出会った頃、彼女は悪阻つわりの重い姉の手助けをしていた。連れ歩いていた姪を娘だと誤解されていると気がついたのは、祖父から一時の別れを告げられた時だった。

 誤解を解き祖父と共に生きるために、かねさんはその年の3月の満月の夜、桜の木の下を訪れるつもりだった。だが、その日、産後の肥立ちの悪かった姉が熱を出し、かねさんは家を出ることができなかった。


 かねさんは、それから毎年、3月の満月の夜、あの桜を訪れた。彼女は生涯、独身だった。


 桜の木の下の約束を引き継いだのは、かねさんの姪だった。そして、その娘である女性が、この日、この場所を訪れたのだった。



「じいちゃん……もう少しストレートに遺言でもしてくれていたら、僕がすぐに、ここに来たのに。……やっぱり、言えなかったのかな」


 心の中に想う人がいたとしても、生きている間は、二度と会わない。それが、別の女性と夫婦となった祖父なりの、けじめだったのだろう。


「あの……手紙の中身を、見て、いただけますか」


 女性は静かに、僕に手紙を差し出した。

 僕は軽く黙とうすると、その手紙の封を切った。

 そこには、美しい筆跡で、歌がしたためられていた。


 居明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜はふるとも




意味:

(一晩を寝もせずに明かして君を待っていよう。私の黒髪に霜が降りようとも。)

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桜の下の置手紙 霞(@tera1012) @tera1012

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