第6話


 勧められるまま裏返したビールケースに座ると、周りの客と同じように食べものを与えられそうになったので慌てて断った。メリノは食べなくても平気な身体だし、オーシャンはお腹がすいていないという。食糧はすくない。わずかな資源を擦り減らしながら人々は生きていて、こういった末端の町に暮らすのなら生活はそれなりだった。


「ここは店だけどよ、お代はもらってねえんだ。金なんぞ、いざというときにはなんの役にも立たん」

「今はどこもそうでしょ。メリノのいるセントラルだって」ね? と奥さん。

「んん、お金は久しく見てないけど、どうだったか」


 ちらりとオーシャンに助けを求めると、得意そうにふふんと笑って補足してくれた。


「通過は少し前に廃止された。貨幣の原材料が足りないんだってさ」

「なんかもう、いよいよって感じだなあ」旦那は苦笑して「そういやあんたは? メリノの友達かい」

「彼はオーシャン。つい昨日会ったばかりだよ」答えたのはメリノだった。

「そうか、いいねえ! じゃあマリィに紹介しなきゃだ」

「ああ、それなんだけど──」


 やっぱりその話になるよな。メリノは少しだけ口ごもって、「彼女とは、もう」とだけこぼした。


「ええっ!? 本当に?」奥さんが驚いて、手に持っていたヤカンを取り落としそうになる。

「お似合いだったのに残念だなぁ。ま、気を落とすなよ!」旦那はメリノを小突き、ガハハと笑った。


「わ、危ないって──」


 勢いあまったメリノが体勢を崩し、不意に足もとに落ちていた手のひらサイズの石ころをスニーカーの先で蹴っ飛ばす。ころろ、とそれは床を滑って、たいして距離をのばすことなくピタリと停止した。


 ──メリノが、顔をあげる。


 そこには誰もおらず、ただただ、荒れ果てた屋内の寂れた景色が広がっていた。黄土色の壁にはいくつものひびが入り、そこから植物の芽が吹いている。薄いベニヤ板の継ぎ目は経年劣化でゆがみ、四方を囲む壁という壁がぎしぎしと風鳴りに軋んだ。


「メリノ」


 オーシャンが隣にいた。


「話せたか?」


 うん、と頷く。


「ありがとう」


 ぼやけた灰色の景色の中で唯一はっきりと輪郭のあるオーシャンの存在に、これほど安堵することはない。メリノは何度かありがとう、と小さく呟いて、ああもう本当に、誰もいなくなってしまったんだと理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る