若と侍

雨宮羽音

若と侍

 薄い壁一枚を隔てて、一人の侍と一人の少年がいた。

 二人はまるで背中合わせをする様に、それぞれが壁に背を付けて座り込んでいた。


「のう、侍。聞いてもよいか?」


「……何でございましょう。若」


「そなたはどういった経緯で、わらわの家に仕えておる」


「……古い話になります。二十と数年前、拙者がまだ年端も行かぬわっぱだった頃。野盗に襲われたところを先代の当主様に助けて頂きました。両親を失い身寄りも無い拙者を、先代は当家に連れ帰り居場所を与えて下さったのです」


「そうであったか……しかし何故侍になった」


「それは……文字が読めませんでしたし、勉学にはからっきし才能が無かった様で……しかし、体は人一倍丈夫でした。そして何より、先代の強さに憧れていましたので……」


「先代……お爺様はそれほどの剛の者であったのか?」


「その強さたるや、山を越えて名の通る程でした。私が命を救われた時も、お付きの者を置いてけぼりにして馳せ参じ、野盗共をお一人でねじ伏せられて……拙者はその姿に憧れて、御恩を返す為にも先代を護れるだけの力が欲しかった。それ故に鍛練に励み、侍となったのです」


「恩……か。しかし、お爺様はすでに無うなっておる。父も病で死んでしもうた。今となってはその忠義を尽くす意味も無いのではないかのう?」


「何を仰います。当家には若がおるではありませんか」


「わらわが……? だが、わらわはそなたの名前も知らぬ。それどころか、当家に仕える従者達の名すら殆ど分からぬのだ。こんなわらわに、当主を名乗る資格などあろうものか……」


「……何の問題もありませぬ。若が拙者を知らなくとも、拙者は若を知っている。若がお産まれになった時、まるで自分のことの様に嬉しかった。それは当家に仕える者達も、皆同じ気持ちであったはずです」


「そうであろうか……」


「若は運動が苦手で、それにも関わらず蹴鞠が大好きで在られる。生き物に優しく、落ちた鳥の介抱をする様なお方だ。更には笛が得意で、よく奥方様と縁側で演奏しているのをお見かけ致します。あの音を聞いていると心が安らぐと、街の民の間では有名で……」


「や、やめんか恥ずかしい! わらわの知らぬところでつぶさに観察しておったのか! 侍とは随分と暇を持て余す職の様だな!」


「暇では御座いません。それでも……尊いものは自然と目の端に入り込んでしまうものです」


「尊い……?」


「ええ。当家に拾われ、幼少より育ってきました。仕える主は尊敬出来る父の様な存在であり、この家は拙者にとって我が家も同然。共に働く者達はもはや家族と言っても差し違えない。そこで起こるどの様な出来事であっても、それは良き思い出になる……そんな中に産まれた若は、まるで我が子の様に尊い存在なのです」


「わらわが……そなたの子……」


「おっと、失礼な物言いをしてしまいました。申し訳ありませぬ……」


「……いや、よいのだ。不思議と悪い気はせぬ。むしろ嬉しい。……他の従者達も、そなたの様に思ってくれていたのだろうか……?」


 少年の問いに、侍はしばし沈黙した。


「…………もちろん。そうでありましょう。だからこそ皆、身命を賭して若を護ろうと散っていったのです……」


 その言葉を聞いて、薄い壁の向こうから少年の泣きじゃくる声が侍の耳に届いた──。


 その場所は老朽化が進んだ薄汚い牢屋の中。若い当主を残し棟梁の居なくなったこの家は、領主の座を狙う不届き者達の手によって実権を奪われたのだった。


 そして邪魔者を生かしておく必要は無く、二人が待つのは処刑の行われる時間であった。


「わらわは……こわいぞ……死ぬのがこわい……」


「……拙者が不甲斐ないばかりに、面目次第も御座いませぬ……」


「何を言う……そなたは最後までわらわを護ろうとしてくれたではないか……」


「……若。この命が尽きようとも魂は当家と……ひいては若と共にあります。たとえあの世に行ったとしても、どこへ行ったとしても、必ず若のそばにおります」


「ほんとうか……?」


「ええ、本当です。向こうには他の皆も居る。だから……恐れる必要はありません……」


 その時、侍の牢屋の扉が開かれる。

 処刑の執行人に連れられて、侍は壁から離れていく。


「待ってくれ! のう侍よ、そなたの名は!? 名を教えてくれ!」


「若……」


「頼む、知りたいのだ! 最後までわらわの為に戦ってくれた者の名を! 家族の……名を……」


「…………では、それは向こうで再会した時にお教えしましょう」


「向こうで……そうか、それは……それは……っ」


 少年の頬を大粒の涙が走る。


「楽しみだっ! 早うそなたの名が知りたいっ! 他の者の名もだっ! 先に行って待っておれ、わらわも……すぐに追いかけるからな……」


「ええ……拙者も、若に名を呼んでもらうのが楽しみでございます」


 その言葉を最後に侍はどこかへ連れて行かれた。


 数刻の時を経て、次は少年の牢屋が開かれる。しかし少年は再び涙を見せることをしない。

 むしろ、どこか希望に満ちた真っ直ぐな瞳を、最後の時まで変えることはしなかった。





若と侍・完

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若と侍 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

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