最終話 時を経て、ここを統べる者

 金色の夕陽の中、白香は千々秋月を手に佇んでいた。

 目の前には力なく横たわる鹿声の姿。その口が弱々しく開く。

「白香といったな……」

 風に消え入りそうなしわがれた声だった。白香はじっと見つめている。

わしを兄の仇と言うか……」

 白香は切っ先を鹿声の眼前に突き出した。

「それ以上言うな」

 だが、鹿声は先を続けた。

「楡沢の主を狩った奴だろう……。あれを冥府に送ったのは儂ではない……」

 満身創痍の身体を引きずってやって来た川葉が眉間にしわを寄せる。

「どういうことだ」

 鹿声は力尽きゆく中でも、笑みを浮かべた。

「そして、お前は〝ここ〟を守ることになる……」

「何を言ってる?!」

 川葉が詰め寄るが、鹿声は呵呵大笑かかたいしょうした。そして、そのまま息絶えてしまった。風が吹いて、その身体は無数のもみじ葉となって千々と秋の夕空に溶けていった。


 がらんと音がして、剣を落とした白香が崩れ落ちた。

「白香!」

 川葉が駆け寄る。白香は額に玉のような汗を浮かべていた。熱っぽい身体が震えていた。川葉は彼女の腰の傷の具合を見て、少しだけ安堵したようだった。

「安心しろ。急所は外れている」

 白香は口元に微かに笑みを浮かべた。彼女の眼が〝天狗の座〟から山々を見下ろした。

「見て……山が」

 ここに来るまで一枚も紅葉していなかった山々が、鮮やかな衣を纏うように色づいていた。ここからなら、世界の全てが見えるのではないかと二人は思った。

「あれは?」

 川葉の指さす方、災いの地の方角に紅葉を切り拓くように黒い筋が走っていた。白香が目を凝らす。その黒い筋を滑るように駆け巡る何かがあった。

 立ち上がる白香は千々秋月を手に取って、それを杖のようにして眼下を見つめた。黒い筋を時折行き交う鈍く光る箱……。

 白香は川葉の腕を取って、意識を集中させた。

「白香、何を……?」

 川葉が言い終えるより先に、二人の身体は大空に飛び出していた。二人が目を向けていた黒い筋が足元に見える。

「これは……?!」

 勢いよく降りる白香が黒い筋に立った時、光をこちらに投げながら耳をつんざくような音を立てて高速で近づいてくる箱がやって来た。その箱は黒い地面を滑りながら、崖のそばの白い帯のようなものにぶち当たって止まった。


「なんなんだ、あんたは!」

 箱の中から血を流した男が転がり出てきた。

 白香と川葉は茫然とその様を見つめていた。

「無視してんじゃねえよ! 急に飛び出してきやがって!」

 男は怒っていた。壊れた箱を指さす。

「新車だったんだぞ!」

 そう言って、思い出したかのように壊れた箱に戻っていく。

「な、なんだ、これは……?」

 川葉が自らの目を疑うように、黒い地面と壊れた箱、白い帯を見つめる。しかし、白香の目を奪うものはたったひとつだけだった。

 壊れた箱のそばに、夕陽を閉じ込めたような色の細かい石が散らばっていたのだ。箱から光を発するところに同じ色の石が嵌っていて、それが割れたのだ。


 ──兄さんのそばにあったものと同じ……。


 箱のそばで男が小さな黒い板のようなものを耳に当てていた。

「──……違うんだよ! 急に飛び出てきやがったんだよ、ガイジンが!」

 白香は剣を携えながら、男のそばに近づいて行った。

「お前か」

 彼女に話しかけられ、男は怒りを露わにした。

「話しかけてくんじゃねえ!」

 男の手にしていた黒い板を奪い取って、白い帯の外側、崖の下に投げ捨てた。

「何しやがるんだ!」

 掴みかかろうとしてきた男を白香は一太刀で斬り伏せた。


「白香!」

 川葉が駆け寄って来たが、男はすでに息絶えていた。

「どうしたんだ、白香?」

 心配そうに顔を覗き込む川葉を無視して、白香は千々秋月で箱を滅多打ちにした。

「お前が! 兄さんを!」

 ぐしゃぐしゃにひしゃげた箱を前に、川葉が白香を抱きしめる。剣を投げ捨てて、白香は泣き出した。まるで、幼い子どものように。

 箱から千切れ落ちた波ひとつない水面のような欠片が、二人を映し出す。白香をそれを見て、目を見開いた。

 赤い肌、高い鼻……。

 彼女の耳朶に鹿声の最期の言葉が蘇る。


 ──そして、お前は〝ここ〟を守ることになる……。


──了

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時を経て、ここを統べる者 山野エル @shunt13

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