12/そうやって見上げている





 遠くから聞こえる祭囃子を背にふたりで歩いていく。


 海側に近付くほど歩道には人が多くなった。


 家族連れ、カップル、何人かの友達と来ているもの、ひとりのもの。

 テンションや楽しみ方に違いはあれど催し物の雰囲気は等しく明るい。


 誰もがどこか、普段とは違った感覚に呑まれつつある。


「とりあえずなにか食べる?」

「……っ、そ、そう……だね……」

「出店が海岸道路のほうに並んでる筈だから……もうちょっと向こうかな」

「……うん。だと、思う……」


 だからなのか、なんなのか。


 渚の心境はさっきからずっと落ち着かないままだった。

 いつもなら気にならない些細なコトがやけに引っ掛かる。


 精神の状態だけでいえば緊張しているのだろう。


 問題は、なにをそんなにというところ。


「……大丈夫? 優希之さん。なにかあった?」

「へっ!? あ、いや、なんでもっ……うん、なんでもないよ、全然……」

「それなら良いんだけど……辛かったら言ってね。下駄、履き慣れてないと鼻緒ずれとかしちゃうみたいだし」

「ぁ、えっ、と……一応、ベビーパウダーつけてるから、早々ならないとは思う……」

「……そんな対策方法あるんだ、知らなかった……」


 へぇー、なんて感心した風に彼女の顔を見てくる肇。

 それにやっぱりどこか堪えきれないものを感じて、そっと渚は視線を逸らした。


 鼻緒ずれの予防についてはわりと一般的なものである。

 彼が知らないのは単にそのあたりの方面に詳しくないだけだろう。


 なんとなく、それをらしいと彼女は思った。


「……優希之さんはなにか食べたいものある?」

「と、特にこれといっては……見てから選ぼうかな、って……」

「あぁ、いいねそれ。実際見て回るだけでも楽しそう」

「…………、うん」


 きゅっと浴衣の端を握りながら息を吐く。


 震えていた声音は時間と共に戻ってきていた。

 心臓だって会ったばかりの時に比べれば幾分か大人しい。


 そもそも、いつまでも吃ってばっかりでは折角の時間が台無しだ。


 よし、と気合いを入れてひとつパチリと瞬きをする。


「――ほんとに大丈夫? 熱とかない?」


 と、そのとき。

 急に渚の額へ触れるモノがあった。


 なにかは分からない。


 正体を探るために一周回って冷静になった思考が働いていく。


 ほのかに熱を帯びた柔らかな感触。

 至近距離には隣を歩いていたはずの肇の顔。


 ――手を、当てられている。


「――――っ!?」

「あ、平気……? ん? ある? ……ごめん、分かんないや」

「ぃ、いい! 平気! ね、熱とか、ないっ、から! うん! うんうん!」

「……そうかな?」

「そ、そう! そうだから! 大丈夫っ」


 ぶんぶんと首を振って必死に肯定する。

 すると、珍しく彼にもその気持ちが伝わったのか。


「……たしかに。そこまで元気だと、大丈夫なのかな」

「――――っ」


 口元に手を当ててくすくすと微笑む純朴少年。

 その表情は相変わらず影というか、邪気みたいなものがない。


 困ったように笑うのも、曖昧に口元を緩めるのも渚は見たコトがあるが。

 今みたいな顔はなによりも、彼に似合っていると思った。


 そうあってほしいと、どこかで望んだのだ。


(……あぁ、もう――……なんなんだろう、私……)


 自分自身に呆れるようため息をこぼす。


 彼女だって自覚できるぐらいに、今日の優希之渚はなんだかおかしい。


 小さなコトで鼓動が跳ね上がる。

 少しの接触で熱っぽくなる。

 わずかに視線を向けただけで気分が変になる。


 本当、どうしてしまったというのだろう。


 騒がしい空気にやられたのでもなければ、なにかしらの病気にかかっているとしか思えない。


「あ、なんか良い匂いする……」

「…………――、」


 くんくんと鼻を動かす彼の様子は年相応だ。

 それを新鮮とも珍しいとも感じるのは偏に普段の態度が静かすぎるからだろう。


 決して大人びているワケではない。

 肇にある余裕はあくまで生来の性格故のもの。

 人付き合いに慣れきった人間の出すそれとは違っている。


「…………、」

「――――――」


 ひとたび会話が途切れると、気持ち鼓動が落ち着いた。

 温度を下げた思考はそのまま辺りへと意識を向ける。


 花火の時間まではもうしばらく。


 出店が近付いてきたからか、周囲の人集りは結構なものだ。

 重なるように色んな音が響いて、溶けて、交ざり合っている賑やかさ。


(…………、)


 そっと、覗き込むようにして彼に視線を向ける。

 身長差のせいで渚としては見上げる感じ。


 肇はわずか遠く、屋台の並ぶほうを見ていた。

 横顔を見詰めている少女にはまだ気付けていない。


 ……それで、ちょっとだけ。


 ほんの少し、気にしなければ見落とすぐらいのコトに気付いた。


 ほんと、口にすればどうでもいい気遣いだけど。


 例えばそう、道を歩くときに必ず車道側に居たりとか。

 時折先行しすぎないように、歩く速度をちょっぴり緩めたりとか。

 並んでいても他の人にぶつからないように、さりげなく位置を変えたりとか。


「――――水桶くん、ってさ……」


 どくん、と心臓が跳ねる。


 さっきまでとは違う、どちらかというと嫌な響き。

 なんとなく気になったコトを聞き出そうとしただけなのに、冷や汗が頬を伝った。


 理由はあまり、分からない。


「? うん」

「……か、彼女とか……居たこと、ある……?」

「ないよ」


 回答はスパッと、不安の根を切るように歯切れよく。


 少年はなんでもないかのように言い切った。

 嘘をつく意味もなし、意地を張る必要もなし、躊躇うワケもなし。


 そういうコトはなかったなあ、なんてどこか懐かしむように。


「……ほ、欲しいとかは、思わない……の……?」

「……どうだろう。でも、急だね。なんで?」

「えっ、あ、いや……私たちぐらいの、男子だと……そういう、ものかな……って……」

「ああ、たしかに。うちのクラスも男子が何人か集まって叫んでたなー」


 からからと笑う肇は件の光景を思い出して楽しんでいるみたいだった。


 大人しい雰囲気には包まれているものの、彼自体は騒がしいほうが好きらしい。

 自習室の静けさを好んでいるのは勉強をする上での環境の問題だろう。


 ……だからそう、勘違いしがちだけど、決して彼は冷めているワケではないのだ。

 ただちょっと、疲れたようにぼんやりしている風なだけで。


「でも、そういうの考えたコトなかったなあ……そっか、彼女かぁ」

「……好みのタイプとか、あるの? 身長が高いとか、か、顔、とか……?」

「どういう人と付き合いたいかってこと?」

「う、うん。……まあ、そんな……感じ……っ」


 言いながら恥ずかしくなって、俯きつつ渚が口を噤む。


 対する肇は頭の中から抜け落ちていたコトを指摘されて楽しそうに悩み出した。


 前世では早くから体を壊してそんな余裕もないまま病死。

 恋人といえば絵か筆、というぐらいに没頭していた彼に色恋沙汰などあるはずもなく。

 ここに生まれてからも、知識としてはあってもどこか自分とは関係のないことだと思っていた。


 けれどもよくよく考えれば、一応健康なままなのだし。

 まあ、そういうコトもあるものかと。


「そうだね……」

「――――」


 こくり、と生唾を飲み込む音。

 どちらが出したかなんて言うまでもない。


 彼女から話を振っておいてなんだが、聞きたいような聞きたくないような。

 怖いような、でも若干楽しみなような。


 複雑な心境のまま、至近距離から放たれる彼の言葉を待ち続ける。



「笑顔が似合う人」



 どういう答えが返ってきても少しは揺れる。


 そう思っていたのに、その答えは不思議なぐらいあっさりと受け取れた。

 驚きや衝撃より先に、なるほど、なんて納得してしまうぐらいのもの。


「太陽みたいに笑う人。付き合うなら、そんな人が良いなって」

「…………そっか」


 胸に去来したのは正体不明の感触だった。

 掴んでみてもまったくこれっぽっちも分からない。


 複雑だ。


 姿形も生き方もまったく違うのに、重なる部分がどこかにある。

 そう言えば、最愛の家族がよく言っていたっけ、なんて。



 〝――姉さんは、なんというかお日様みたいに笑うよね〟



 あのときは意味が分からなかったけれど、ここに来てやっとそれが理解できた。


 暗くなってきた夜の中。

 向き合って、淡い出店の光を背に立つ彼を見る。


 浴衣の向日葵もようと同じように。

 眩しいものでも見たかのように、渚はそっと目を細めながら。


「……たしかに素敵だね。そういう人……」

「そう?」

「……うん」


 引き摺る面影に胸を痛める。

 締めつけるような苦しみを大事に抱えて仕舞い込む。


 本当、今日はおかしなコトだらけだ。


 のコトを思いだしておきながら、こんな程度で済むなんて。





 ◇◆◇





 腹の奥、地面の中まで伝わるような震え。

 遅れて飛んでくる鈍い音。


 夜空は晴れるように光っていた。


 色とりどりの花火が連なるよう咲いていく。


「おぉー……」

「……綺麗、だね」

「ほんと。直で見ると何倍も」

「……うん、たしかに」


 落ちる火花と、ふわりと漂う煙の群れ。

 それを照らすようにまた新しい花火が打ち上げられる。


 下から放たれる歓声もかき消されるほどの轟音。


 やっぱりいいな、と肇はそわそわと指を動かした。

 いつからか消えていたクセの再発だというコトを、当然彼は気付いていない。


「――――……、」


 むしろ、目敏く気付いたのは渚のほうだった。

 頭上の絶景から視線を切って、ぼんやりと彼の手を眺める。


 肇の指は綺麗だ。

 それは別に悪いことでもなんでもない。


 ただ、彼女の大好きだった誰かさんの手はもっと汚れていて。

 中指には大きなペン胼胝を拵えて、なかなか取れない油絵の具をつけて、様々な画材を握る手はいつもボロボロだった。


 ……渚が勝手に思うに、誰かさんならどんな姿になってもそこだけは変わらないだろう。


 あれだけ必死に描いていたのだから、きっと今でもどこかで、ずっと筆を握っているはずと。


「……綺麗すぎるね」

「あはは。うん、そうかも」


 花火を見上げながら肇が返す。


 見下ろした彼女の意図なんて伝わらなくて当然だ。

 渚としても、こんな情けない未練を伝えたいとは思わない。


「いいなあ、花火」


 どこか弾んだような少年の声。


 その横顔を彼女はそっと覗き込む。


 目をきらきらと輝かせる姿は子供っぽくて、いつもの落ち着いた様子が嘘みたいだ。

 それで幻滅するような心だったなら、もっと付き合いやすくて良かったろうに。


(……浮かれてるのかな)


 ふと、そんなことを考える。

 誰がどうとかは関係なしに。


 彼にとっても未知数であるように、彼女にとってもそれは初めてだ。


 答えに辿り着くのはまだまだ先。


 いまはもう少しだけ、隣に居られるだけの時間が続く。


「――――、」

「…………、」


 ふたり並んで空を眺める。

 同じだけのものに囲まれて過ごしていく。


 その居心地がどうかなんて語るまでもなかった。


 鏡がなかったコトだけが残念なところ。

 きっと自分の表情を見られたならば、彼女だって先の言葉を意識しただろうと――



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