11/太陽みたいなアナタに





 玄関で靴を履いていると、後ろから声がかかった。


「――兄さん?」


 ぱたぱたと裸足で近付いてくる音。


 顔を見ずとも声だけで誰かは判別できた。

 家の中で肇をそう呼ぶのは一人しかいない。


「なに、了華りょうか

「どこか行くんですか? さっき塾から帰ってきたばかりなのに」

「うん。ちょっとデートしてくる」

「ッ!?」


 がたたたっ、と背面でなにやら大袈裟に驚く妹君。


 ひとつ下の彼女は中高一貫で全寮制の女子校に通っている。

 今は夏休みで帰省しているが、基本的に家に居ることは少ない。


 たまに電話したりメッセージでやり取りしたりはするが、当然ながらそれだけで肇の交友関係について知っている筈もなかった。


「でっ、ででで……!? 兄さんが!? 嘘でしょう!?」

「ごめん、冗談」

「ですよね! びっくりしました!」

「塾の子に誘われて、一緒に花火見に行くことにしたんだよ」


 きゅっと靴紐を結びながら立ち上がる。

 振り返ると、妹――了華はどこか難しい表情をして顎に手を当てていた。


 むむむ、と眉間にシワを寄せながら向けられる鋭い瞳。

 じろじろ、というよりはぎろぎろ、みたいな感じの尖りよう。


「……ちなみに、一応……訊いておきますけど」

「? うん」

「…………男性の方、ですよね?」

「一緒に行くのは女の子だよ?」


「なんでッ!!」


 がんっ! と靴箱に向かって振り下ろされる小さな拳。

 思わず肇も肩がびくんと反応した。


 中学一年のときから寮に入って中々直接会う機会も少なくなった妹である。

 それまでは断然兄妹仲は良くて、これまでも特に問題なく育ってきたのだが――ここに来て彼女の何かが爆発したらしい。


 肇にはさっぱり分からない何かが。


「……了華……?」

「っ、ご、ごめんなさい。取り乱しました」

「あ、そう……」

「んんっ……、……花火、と言いましたけど。兄さんは今年受験生でしょう? 遊んでいても良いんですか? 私は心配です」

「息抜きだよ。夏休みの課題は全部終わってるし、朝からずっと塾で勉強はしてたしね」

「――まさかそのお方と?」

「? うん」


「どうしてッ!!」


 がんっ! と都合二度目のハンマーが打ちつけられる。

 結構作りの良い靴箱は気持ち若干凹んで見えなくもない。


 普段は礼儀正しい、巷ではお嬢様学校として有名な女子校に通う了華だ。

 幼いときは可愛く、存分に甘やかし、大きくなってからは清楚で可憐な美人さんに成長した自慢の妹である。


 そんな彼女がどうしてこんな風になってしまっているのか。

 残念なコトに水桶肇ポンコツにはさっぱり分からない。


「兄さん……!」

「あ、うん。どうしたの?」


「久しぶりに帰ってきた妹を置いてどこの馬の骨とも知らない女子と会っていたんですか……!?」

「言い方。了華、言い方。どこでそんな言葉覚えてきたの。お兄ちゃんそっちの方が心配だよ」


「塾に通っているのもそのためですか!? 不心得でしょう!? 兄さん!!」

「進学のためだからね。そもそも優希之さんとは偶々交流があるだけで」


「ユキノさん!? 下の名前ですか!? 名前呼びですか!?」

「いや優希之は名字だから……」


 ふーっ、ふーっ、とヒートアップしてきた妹の頭をぽんぽんと撫でる。


 成る程どうやら渚と仲良くなっているのが気になるらしい、と天然ボケ男子はここに来てようやく彼女の心理を汲み取った。


 数字で言えばたぶん一ミリぐらい。

 下手するともっと小さく、一ミクロンぐらいかもしれなかったが。


「っ、兄さんは受験で大事な時期だからあんまり勉強の邪魔はしないでおこうって久々の帰省でも遠慮して距離を取っていた私を放っておいて別のところで他の女の子と遊んでるとかふざけてるんですか兄さん!! 私のことはどうでも良いんですか!?」


「落ち着いて、了華。早口すぎて何言ってるか聞き取れないよ」

「私にも構ってください!!」

「うん、ごめんごめん。ありがとうね」


 おそらく家に帰ってからあまり時間を取れなかったので寂しかったのだろう、と肇は自分なりに考えて納得した。


 実際、今年は家族との時間がそこまで取れていない。

 大半の時間を塾で過ごして、帰宅してからもずっと勉強だ。


 歳が近いとはいえ了華はまだ中学二年生である。


 きっと見ず知らずの相手に兄を取られるとでも思ったのかもしれない、なんて。


「今度一緒に買い物行こっか。一日ずっとは難しいけど、お昼からなら大丈夫だよ」

「……駅前の水族館」

「そっちの方がいいの? じゃあ都合のつく日に――」

「明日」

「急だね。良いんだけど。……よし、分かった明日ね」

「…………、」


 目線を合わせるようにして再度撫でるもぶすっとした表情は崩れない。

 彼はシンプルにコミュニケーションが少ない所為で機嫌を損ねたと思っているのだが、実際のところはもちろん違う。


 というのも、彼女が全寮制の学校へ入学を踏み切ったのはすべて兄のせいなのだ。


 生まれてからずっと、物心ついてからもすぐ傍で育ってきた兄妹同士。

 肇自身の認識どおりふたりの仲は良好だった。

 喧嘩だって小さい頃から滅多にしたことがないぐらい。


 問題があるとすればそれは――彼の感が前世でぶち壊されていたことだろう。



『彩斗ー! ふぉーえばーらぶゆー! 大好きー! 愛してるー!!』



 幼い時分に虐待を受けて、母親の死と共に引き取られた先で出会ったのが件の姉。

 当然ながら彼の姉弟に対する愛情の向け方というのはそこが原点になる。


 肇はできるだけ同じように接した。


 ぶっちゃけドの付くレベルのブラコンが入っていてもおかしくないほどの姉を、そうとは知らずに模してそれはもうデロッデロに甘やかした。


 了華自身がわりとそれを異常だと認識できたのは不幸中の幸いか。


 ――このままだと兄無しでは生きられない身体になる。


 そんな未来を危惧した彼女は、齢十二歳にして家族の元を離れるコトを決意。

 断腸の思いで女子校の入試に挑み、見事合格して寮生活となった。


 ……そう、断腸の思い、身を切るほどの痛み。


 気付けたは気付けたが、それが間に合っていたかどうかは言うまでもない。


「それじゃあ行ってくるよ。了華も友達誘って行っても良いんだよ?」

「……私はまだ課題が終わってないので」

「そっか。頑張ってね、なんなら手伝――」

「受験生の手を煩わせるワケにはいきませんので大丈夫です。……はやく行って、はやく帰ってきてください」

「遅くはならないようにするよ」


 可愛いお願いだなぁ、と笑いながら手を振って家を出る。


 けれど、良い切欠だと肇自身思った。


 たしかに勉強ばっかりでロクに妹とは遊べていない。

 ずっと居ないワケじゃないけれど、一年を通して見れば貴重な妹と過ごす時間だ。


 なにより、人間なんて分かったものじゃないし。


 勉強も大事だけれど、やっぱり偶には他のコトもして然るべきだろう。





 ◇◆◇





 待ち合わせ場所は町中から少し外れたコンビニだった。


 塾からはそれなりに遠く、肇や渚の通う中学とも離れた位置。


 それもそのはず。


 花火の打ち上げは海の近くで行われる。

 海岸があるのは街の南側だ。

 普段の行動範囲よりもっと外になるところ。


 嗅ぎ慣れない強めの潮の香りを浴びながら、肇は携帯のマップ片手に歩いていく。


(たぶんここら辺かな……?)


 同じ町内とはいえ彼の生活圏からはよっぽど逸れている。

 残念なコトに好奇心旺盛な冒険家こどもでもなかった肇に地理感はあまりない。


 これで地図も読めなければ絶望的なのだが、そこは腐っても文系男子。

 地理・歴史・公民ともに一応ではあるが得意科目のひとつだ。


(…………あれか)


 ――と。


 次に出た大通りの向かい側に、それらしき建物を見つけた。


 マップの情報を照らし合わせてみても間違いない。

 少し横に歩けばちょうどよく道路の上を大きく跨ぐ歩道橋もある。


 長めの階段を上り下りしなくてはいけないが、現役中学生としては苦でもない程度。


 事もなげに上りきって、反対側に向かう。


「…………」


 時刻は夜の七時過ぎ。


 お互いで決めた集合時間は七時半だ。

 約束のリミットまではあと二十分以上ある。


 これなら待たせることもなく、十分じゅうぶんに間に合うだろう。


「――――……、」


 ゆっくりと階段を降りていく。


 祭りの日だからか、町中の空気はどこか熱っぽい。

 夜に入ろうとしているのにむしろ明るさは増していくようだ。


 どこかから聞こえてくる独特な太鼓や笛の響き。


 いつもならコツコツと固い地面を叩くだけの靴音は、今日に限ってカラカラという下駄の音がよく混じっていた。


(ああ、なんていうか――)


 ……久々に。

 少しだけ、食指が動いた。


 もう出すものは出し切ったと思っていたし、実際こうなってから一度もが顔を出すことはなかったけれど。


 どうにもまだ、筆を握る理由が少しは残っていたらしい。


(……昔ほどではないけど。あの頃は凄かったもんな……身体の痛みも忘れて一日中描いてたっけ。あそこまでの意欲はもうないかなぁ……)


 服も肌も汚しながら無心で手を動かしていた時期を思い出す。


 ――鼻孔をくすぐる油の匂い。

 ――何層も色を重ねていたパレット。

 ――数十と転がる筆とナイフと多くの画材。


 自分でも不思議なぐらい頭にはイメージが湧いていて、それを吐き出すのに夢中だった。


 焦りとも衝動とも違うとめどない創作意欲の膨張。

 それが破裂したのはきっと終わったときなのだろう。


 だからまた描こうなんて思わなかったし、こうやって何とはなしに生きてきた。


 そんなものが今更復活したのは良いことなのか悪いことなのか。

 当面、勉強でを持つ気もない彼にすればどちらにせよ関係ない話。


(…………あれ?)


 ふと、コンビニの近くまで行くと目に留まる光景があった。


 店の前にある駐車場の片隅。

 邪魔にならないような端っこで、静かに佇む人影を視認する。


 いつか見た景色をどことなく想起させる風景だ。


 声をかける人はいない。

 ひとり待ち続ける少女には不思議と他人を強く拒絶する雰囲気が濃い。


 誰もがそれを大小の差はあるとはいえ感じ取っているのだろう。


(……ほんと、目立ってるなあ……)


 遠巻きに眺められる視線に本人は気付いているかどうか。

 いつも通りの彼女の態度を思い返して、肇はくすりと微笑む。


 乙女ゲーの主人公ヒロインならもっと愛想を振りまいても良いだろうに、彼女のタイプはどちらかと言うと愛想をほうだ。


 そのあたり、彼の中でもわりと良かったのかは分からないけれど。


「――――……」


 力を抜いて歩を進める。

 向かう先はもう目前。


 これならマップを見る必要もない、と携帯はポケットにしまった。


 ふたりの間は縮まっていく。

 距離にして五メートル。


 そろそろ声をかけようか――なんて肇が口元を緩めたところで、うつむき加減だった少女の顔がぱっと持ち上げられた。


 ぱっちりと、視線が合う。



「……こんばんわ、優希之さん」

「えっ、あ――こ、ここっ……こん、ばんわ……」



 やあ、と彼が手をあげると、渚もひょこっとちいさく手をあげて返す。


 顔が若干赤いのは焦って挨拶を吃ったからか。

 わずかばかり視線を逸らしながら、密かに窺うようにちらっと肇の方を向く。


「浴衣、着てきたんだ」

「あ、うんっ……お、お母さんに……友達と花火見に行くって言ったら、無理やり……」

「……そっかぁ。普段着で来ちゃったな、俺」

「あはは……それでいいと、私も思うんだけど……」


 曖昧な笑みを浮かべながら恥じらうように頬をかく渚。

 肇の言った通り彼女の格好はいつものそれとは違っている。


 黒を基調とした向日葵の柄があしらわれた浴衣。

 帯は白く、足は黄色い鼻緒の下駄を履いていた。

 いつもはふわりと流されている銀髪も今日は片側で巻かれ、灰色の簪をさして緩めのサイドアップになっている。


 まだまだ学生ではあるのだけれど、なんとなく色気がある感じ。


「……うん」

「…………、……?」


 それを彼は呑み込むようにして頷いた。

 意識を切り替えるように瞼を閉じて、そっと視界を確保していく。


 視線を切ってもその鮮やかさは変わらない。


 少年は純粋に、どこか甘いものを噛み締めるみたいに。





「――すっごい綺麗。優希之さんにとても似合ってる」




 率直な感想を、少女に囁いた。



「――――――ぇ……ぁ……っ」



 ほんのりとか、かぁっ、なんてレベルではない。


 賛辞を受けた渚の表情は溶けるように崩れた。


 ぼおっ、と顔が赤くなっていく感覚。

 今までで一番、これまで生きていて感じたコトのない衝撃に胸を打たれる。


「ぁ……そ、その……っ」


 唇がわななく。

 視線が固定できない。


 顔を見られても一瞬だけ。


 瞳はあちらこちらを行ったり来たり。

 まったくもって落ち着かない。


「…………っ」

「――?」


 ……それでも、きゅっと。

 浴衣の端をちいさく握りしめて、彼女は全身に力を込めた。


 返事一つかえすのになんてコトだと思うだろうが、しょうがない。


 このままなにもしないでいたら、足下からなにか、盛大に倒れていきそうだったし。


 精一杯の気合いを込めて、意を決して――洩れ出たのはほんのか細い声。


「――――ぁ、あり、が、と……っ」

「ううん。本当、綺麗だと思うよ」


 情けないぐらいの小声だったのに、彼はちゃんと聞き取って言葉を投げ返した。

 追い打ちじみた一撃は胸に刺さるどころか同じ場所を叩いて砕くように響いていく。


 ……顔に集まる熱は留まることを知らない。


 彼にとっては変に意識することもない、心に抱いたものをそのまま口にしただけの台詞なのだろう。

 事実、真っ赤になった渚とは打って変わって肇の表情はいつも通りだ。


 悪意もなにも知らないような笑みのまま、ニコニコと彼女を見詰めている。


 ……だから余計に心臓が跳ねるのだというコトは、きっと知らないし伝わりもしないけど。


「少し早いけど行く? どこで見るかも決めないとだし」

「っ、そ、そう……だね……あ、あと、屋台とか……見て回りたい……し……」

「遊ぶほう? それとも腹ごしらえ?」

「……た、食べ物のほう……で……」

「ならそっちで。俺も夕飯は食べてないから、お腹は空いてるんだ」


 焼き鳥とかあるかなー、なんて言いつつ歩く肇の隣についていく。


 周囲の空気はハレの日につき本当賑やかだ。

 いつもなら閑散とした道にも浮ついた空気が流れ込んでいる。


 音は溢れている。


 けれど、そのどれもが今の彼女にとって遠く離れた残響に過ぎない。


 やけにうるさい胸の鼓動。


 落ち着かない気分と共に抱えたそれを持て余す。


「…………っ」


 綺麗も、似合ってるも、なんてコトはない褒め言葉。

 はじめて言われたワケじゃない。


 生きていれば本心かどうかは別としても、何度かそれを言われる機会はなくもない。


 彼女みたいな美少女なら尚更だ。

 慣れていないハズでもないのに、珍しい言葉でもないだろうに。


 ――彼のいった一言が、頭の中に反響して消えてくれない。


「――――……っ」


 顔を赤らめたまま、視線を落として足を動かす。


 もうこれ以上はキャパオーバーだ。

 余計なコトなんて考えなくてもいい。


 でも、ああ、よせば良いのに、ぴったりと横を歩く彼の姿を捉えてしまって。


 いつもとは違うのに。

 浴衣で彼女の歩幅はもっともっと小さくなっているのに。


 ――ほんと、余計なコトをしてくれなくてもと。


 唇を噛み締めるようにして、彼女は胸中で愚痴をこぼした。

 拗ねるように、皮肉るように。


 ……それはほんのちょっとの、いじらしい少女の気持ちだろう。



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