第3話 環境の変色

 校舎内で響き渡るチャイム音。教壇に立ち連絡事項を伝え終えてしまい、時間が来るまで近状話をしていた担任教師が再度挨拶をしてから教室を出る。

 閉扉音を合図に静まりきっていた室内が色を帯びて朝の騒騒しさが再来する。美青が横を見ると、時間が出来れば必ず話かけてくる想花が何故か机に顔を張り付け小さく唸っていた。


「そーちゃん大丈夫? もしかして具合悪い?」


「みーちゃん違うの。違うけど……うぅ」


 その反応を見て美青は何と無く状況を理解した。これも幼馴染として付き合いの長い美青故に気が付けた感覚だ。

 これは体の不調を訴えているものでは無い。慣れない早起きによる異変の可能性も、朝の時点であれだけ煩くしている姿を見れば誰もが有り得ないと判断するだろう。

 顔を背けてまるで美青の視線を避けている姿は今も記憶に懐かしく残っている。隠したい何かを抱え、気付かれない様必死に包隠そうとしているのだ。


「もしかしてみーちゃん」


「うっ……べ、別に何も隠してないわよ? 課題ちゃんとやってきたもの……」


「……忘れてたんだねぇ」


 何か隠し事に気が付いた様子を見せる美青に、焦りながらも決して顔は隠したままの想花が弱々しい声音で言葉を返す。その内容は寧ろ自白に等しく、嘘が付けずに無理して騙そうとして失敗している子供の様だった。


「数学の課題だよね?」


「…………そう、です」


 深刻に話す想花の心境とは違い、美青はその話に焦りを感じる事は無かった。数学は四時限目に割り当てられており、肝心の課題も一年時に習った基礎問題の復習として出されたプリント一枚のみ。今から手を付ければ余裕で間に合う範囲だったため、本人のやる気があれば不安に思う要素は無かった。


「簡単な問題だったからすぐ終わるよ。プリント出して、今やろ? 私も手伝うから」


「うぅ……みーちゃん様ありがとうございます……いつも助かってます」


「それにしても久しぶりだね。最近は忘れる事も少なかったのに」


 小学生の頃から度々宿題を忘れる事の多かった想花だが、それも現在高校生に至るにつれて、出された課題を忘れる事も減っていた。決して課題を面倒として放置している訳では無く、学校帰りも遊んで帰って夕食に風呂と一日のルーティーンを終える内に疲労によって頭から抜けて忘れてしまう事が多かった。

 課題を忘れる度に「写させて」と美青に救いを求めた想花だが、美青はそれを頑なに拒否し許す事は無かった。その場を凌ぎ切っても後に困るのは想花だと思っていたからだ。


「今日早起きするために昨日は早寝したの。ただドキドキしすぎて課題の事忘れちゃってて」


「まるで修学旅行前の小学生みたいだね」


 申し訳なさそうにしながら机の中に手を入れ課題を取り出す想花を横目に、美青の顔は緩みそことなく嬉しそうにしていた。

 丸写しという課題において最大の不正と言える行いは制止されたが、その状況に至った時は必然と美青が助力する事になった。解けない問題の解き方やヒントを与え、答えを教えるのでは無く自分自身で答えを導き出せるようにしてきた。


 自然とその形が出来上がっていた為にその関係は約束されたものでは無かったが、それは偶に訪れる日常の一部として定着するに至っていた。

 想花自身実直な性格とは言え、本能には常に面倒と感じる思考は存在している。それも自身にとって好きな相手である美青に教えて貰えるからこそ至福の時間となっていた。わざと設ける事の出来ない時間ではあったものの、想い人と過ごす時間が増えるのは想花にとって嬉しい誤算だった。


 それは当然美青も同様で、想花は知識を得ると同時に美青自身も復習と確認が行える。お互いにとってもメリットもある。何より想花に頼ってもらえている現実が、美青にとっては何よりも嬉しかった。二人が幸福と感じる時間だったからこそ、その中身が何であれど至福の時間なり得ていた。


 椅子の向きを斜めに傾け、美青と想花で一つの机に身体が向く態勢をとる。想花は早速最初の問題に目を向け、自信無さげな表情で睨んでいる。

 その不安は指先に伝わり、その進みはゆっくりとしたものだったが、ペンの先から生み出される黒い線は確かな数字を刻んでいる。その自信の無さが反映された細く薄い黒色も、想花の真剣に取り組んでいる姿の現れと思えば可愛く見えていた。


「うぅん……ごめんみーちゃん。この問題ってどう解けばいいの?」


「これはねぇ、単純に左辺で因数分解できるから――」


「想花、美青さん、何してるのー?」


 想花と美青二人の空間が出来上がろうとしていた矢先、その雰囲気を意にも返さない聞き馴染んだ声は、周りの騒音の中で一際存在感も強く美青の耳に入り込んできた。


 美青自身忘れていた訳では無い。学年の違う桜と篝の二人はともかくとして、愛菜のクラスは隣にある。教室を出て数歩歩けばそこは既に愛菜の天国なのだ。来ない訳が無かった。

 別クラスの生徒が教室に入ってきたというのに周りにそれを気にする様子のある人は一人もいない。想花のいる場所に愛菜の存在がある事は周知の事実であり、故に美青と想花が愛菜の来訪に気が付くのも遅れてしまった。


「愛菜ちゃん! 私が課題の存在忘れてたからみーちゃんに手伝って貰っていたの」


「そうなんだ……って、それなら私も持ってるけど、写す?」


「えっ?」


 その言葉を発したのは美青か想花か。恐らくはどちらも無意識に口から漏れ出た反応だった。

 戸惑いの色が強い美青と対に期待の籠った眼差しと共に目を向ける想花。何気なく紡がれた愛菜の提案は、想花にとって楽且つ効率的な手段として魅力的なものだろう。

 だがそれは課題の解答を埋めるにあたっての効率化においての魅力であり、想花や美青自身におけるメリットはそれ以外に存在しない。むしろここで復習を疎かにして理解できないまま済ませておけば、後に困るのは想花一人だ。

 そして美青にとっても想花に教えるこの時間は、小さな思い出として大切な時間として認識している。少なくとも美青は二人の思いが共にあると思っていた。

 

「いいの!? あっ、でも愛菜ちゃんの方も使うわよね?」


「私も今日提出日だけど使うのは今日の最後だから大丈夫だよ。ただ昼には返してほしいけど」


「直ぐに終わらせるわね! 愛菜ちゃんありがとう!」


 満面の笑みを向けられた愛菜はとても嬉しそうに課題を取りに自クラスへと戻っていった。その足取りは軽く、想花の役に立てた事の献身的な愛から来る喜びが愛菜の気分を上げていた。

 一気に課題への意欲を失った想花はペンを置き、それと同時に先程美青に聞いていた筈の解き方にまで興味を無くしたのを理解する。それと同時に、美青はこれまで重ねてきた小さくも濃い幸せを得る事の叶った時間が踏み躙られた感覚に陥った。

 例え本人にその気が無くとも相手の地雷を踏む事はある。愛菜は善意で、想花はその善意に甘えただけ。そして美青にとってはその善意が余計な不純物だったという哀話だ。


 周りの声も気にならない程充実した時間になるはずだった。二人きりの空間は、愛菜が来た事によりその色も変化する。変色したその場所に、菊端美青という少女の姿は存在していなかった。


 二人きりの時間が再び訪れた今、やけに周囲の雑音が耳に入る。それが一つの関係の喪失と、二度と訪れない証なのだと言われているようで、どうしようもない後悔が胸で燻り続ける。


「いやぁ助かったわね。愛菜ちゃんには感謝しないと」


「……ねぇ、そーちゃん。いいの?」


「え? いいのってどういう事?」


「課題、私教えれるよ? 写してもそーちゃんのためにならないよ」


「それはそうだけど……やっぱり写した方が早いし。それにその方が早く終わって皆との楽しい時間も増えるからその方が良いと思うの」


「…………そっか。分かった」


 これ以上踏み込んだ話をするのも躊躇われた美青は、想花にとって理解の及ばない問いをしてから一方的に会話を切る。今日は特に不安定な思考がマイナスに働いている。今は何を言っても悪手になると判断したのだ。


「ねぇみーちゃん。今日本当に大丈夫? 朝もちょっと変だったし心配なの」


「本当に何でもないよ。何回も心配かけてごめんね?」


「……なにかあったら言ってね? みーちゃんに何かあったら嫌だから」


「うん。ありがとうそーちゃん」


 不調の原因は想花なのに、それをこの場で癒してくれるのも想花から向けられる心配の言葉で、混ざって濁った感情を前に美青はその不自然さを不自然として処理する事も出来ない。それ程この状況は美青の中に浸透されてしまっていた。

 椅子の向きを自身の机に向けなおした美青は一時限目の準備に取り掛かる。課題を手伝う必要も無くなった事でする事も無くなってしまった。

 とは言っても、教科書にノートの準備で終わるその時間は愛菜が戻ってくるまでの時間稼ぎに他ならない。今はとにかく想花との会話から逃げたかった。


 幸いにも早く課題を持って現れた愛菜によって、想花の関心は美青から外れた。

 受け取ったプリントを大事に受け取り再びペンを持つと、有言実行する勢いで回答欄を埋めていく。その薄く広がる白色に色付く黒は、勢いそのままに濃く書かれているのが酷く寂しさを紛らわしているように美青の眼に映って見えた。


 美青も理解はしていた。この場この関係において間違えているのが美青で、恋人全員との時間を優先的に考える想花が正しいのだと。

 優越感と想花との二人きりの恋人としての時間を求めている自分の考えは酷く身勝手な欲望で、想花の意思を総意とするこのグループで想花を独占したいと考えた美青に罰が下ったのだと考えた。


 辛い心境に陥った時、人は正常な判断が出来なくなる。

 それが正常な判断として成っているか否かが分からなくなると言うのが正しいだろうか。思考を上手く働かせる事が出来ないからだ。美青の判断は常に間違い続け、間違い続けた結果の欠片で既に塊が出来上っている。

 刻一刻と時だけが進み続けて、その関係は着実な足音を鳴らして一つの終わりに向かっていた。






「助かった……。ありがとう愛菜ちゃん。これ返すわね」


 時間は既に昼となり、教室内から廊下まで朝の騒騒しさを超える勢いの賑わいを見せている。

 件の課題提出もなんとか成し遂げた想花は、借りていたプリントを両手に、決して間違いの無いよう愛菜へと差し出していた。


「大丈夫だって。ちゃんと出来たんだよね?」


「えぇ、完璧だったわ! 全部同じだと疑われるかと思って二つだけ答えの数字変えて書いたから、疑われる事も無いと思うわ」


「なら良かった。はい、確かに受け取りました」


 まるで然るべき機関での金銭譲渡が行われてたかのような会話内容だが、実際はただの紙切れ一枚があるべき場所に戻っただけである。

 美青と想花は愛菜のいる教室に移っており、愛菜の机を二人で囲むように立って先程のやり取りが行われていた。

 普段授業を受けている見慣れた教室と内装に違いは無いが、内に潜む視線と些細な環境の変化は常に人の精神に関わってくる。

 それも二人には関係の無い話であり、実際美青と想花が二人でこの場を訪れた際に向けられた好奇の視線は多かったが、気にする素振りも一切無しに愛菜の座る席へと向かっていた。肝の据わっている想花と、そもそも見られていると気が付かない程鈍い美青は共に無敵であった。


 朝からあった一連の出来事に、美青が登校時に花梨から得た活力の余裕は底をついてしまっていたが、これまで毎日目の前で見せられていた恋人同士の姿を精神削って生き延びてきた美青が、意気消沈している姿を表に出す訳が無かった。

 内心は決して悟らせず、いつも通りの菊端美青を演じて二人の前に立っていた。


「じゃあ行こっか。桜さん達も待ってるだろうし」


「そうね。いつまでも立たせる訳にもいかないわ。」


 プリントを机の中へ、そして鞄から財布を持った愛菜と共に三人で教室を出る。廊下に出れば、食堂で昼食を取る美青達の他に各々の所属する部室で食べるものや空き教室で食べるもの等、様々な生徒達が歩いている。

 食堂にてこれから昼食内容を選ぶ想花と愛菜とは違い、美青は一人その手に母手作りの弁当を持参していた。美青を除いた四人が食堂を利用している為、弁当の美青も食堂の席を共に利用していた。

 食堂は学校第二校舎にある地下一階に存在しており、昼時間のみ解放されている食堂の他に購買なども配置されているため、昼になれば人で溢れて放課後になれば時間を消費する目的の様々な生徒に利用されている。


 地下に繋がる目的の階段前まで行けば、既に到着し待っていた桜と篝が想花達の姿を視界に捉える。他の生徒もいる手前、大きなアクションを起こす訳にもいかないのだが、桜は関係ないとばかりに想花の元へ駆け寄ろうとしていた。それをいつもの様に篝が事前に止め諫めている。篝のげんなりとした表情を見れば、桜に関してこれまで相当苦労してきたのがありありと伝わるようだった。


「二人ともごめんなさい。ちょっと遅れちゃって」


「大丈夫。いつもと対して変わってない」


「そうですよ。というか何故私達より下の階にいるのにここに来るのは私達より遅いのかは気になりますけど」


「あっ、それは私のせいかも。片付けるの遅かったり準備してるのをそーちゃん達に待ってもらってるから……ご、ごめんね?」


 普段校舎四階にいる桜や篝と違い、美青達は三階に自らの教室を持つ。ここまでの距離にして大した差は無いのだが、ここ約一ヶ月において桜達より早く到着したことは一度も無かった。

 授業終了と同時に片付けに取り掛かり、次の授業準備を整え弁当を取り出す頃には隣の教室から愛菜が迎えに来るというのが毎日行われている。今日は想花が愛菜より借りていたプリントを早めに返すために美青達側が迎えに行く体制となったが、本来その立場は逆だった。

 そこまで美青が時間を取っている事実は一切無いのだが、こうして後輩二人に遅れを取っているのも事実であるため、もし遅い原因があるとするなら自分なのだと美青は認識してしまっていた。

 申し訳なさそうに素直に謝罪する美青に戸惑いと焦りを見せた篝はバツの悪い思いで言葉を返す。


「すみません美青先輩、冗談です。本当は桜が早く皆切先輩に会いたいからって早めに教室出てるから早いのであって、美青先輩は何も悪くないので」


「そうよみーちゃん! むしろ午後の授業準備までしてから休憩するなんて私には無理だもの。みーちゃんは真面目で偉いだけよ!」


「皆切先輩はもう少し授業に対して真面目に考えるべきですけどね」


 篝の言葉で一気に雰囲気が変わり、想花がいじられる方向へとシフトされた。

 想花への想い故に四時限目終了と同時に教室を出ていた桜と、保護者の立場で桜を手元に置いておかねばならない篝の動きが早すぎるだけで、美青達三人が遅い訳では決して無かった。

 事実として、今この場は地下に続く階段から階下まで続き人の塊で溢れている。もしこれがもっと遅い時間帯であれば、寧ろある程度人の姿もまばらであるはずだ。


 先導するように一番前に想花が立ち、その後ろに愛菜と桜で一列、最後尾に少し離れて美青と篝が並んで階段を下りていく。

 美青の前では朝に愛菜と話していた放課後の予定について桜に話している。周りの雑音に消される事無く響いて聴こえるのは、やはり想花の声だからなのだろう。

 そんな中で急に制服の左側の裾が弱く摘ままれた感覚を覚えた美青は、何事かと顔だけそちらに向けた。当然そこには篝がおり、その眼の視線はしっかり前にあった。


「どうしたの? またそーちゃんの事で気になる事でもあった?」


「違いますよ……。いえ、何となく気になった事がありまして。というか気付いてしまったというか」


「……ん~? なんだろう」


 篝は入学して一ヶ月とは思えぬほどにしっかり者であり、目上の先輩に対して尊敬の念を忘れる事無く接する後輩として模範となれる生徒である。

 ある程度の人柄を知った美青や想花に対して少々砕けた発言もあるが、それでも敬語は崩さず一定の距離を保ち、相手に不快感を与える事の無い範囲で寧ろ好印象に映る。

 そんな篝は桜と違い思った事が顔や声に出やすい。今の篝は普段通りを装っているが、その僅かに上ずった声から好奇心が滲んで見えた。


「単純な質問なんですけど、皆切先輩の隣行かなくていいんですか? 思えば、いつも私の隣来てるなと思いまして」


 その質問は美青の予想を斜めに外れた質問で、深刻なもので無かった事に安心して小さく息が漏れた。

 篝の言う通り、この一ヶ月で美青が積極的に想花の近くに動く事はほぼ無かった。環境の変化や、今日の様に内心沈んだ気分で想花と接したくない等も理由の一つとして存在するが、それは理由の割合的に占めても半分程だ。


 篝の親友である桜の事は、本当に凄い少女だと美青は心から認めている。一方的な片想いから強引にお試し交際という想花でなければ有り得ないと一蹴されかねない形で仮の恋人関係を築いた。

 強靭なメンタルと、不器用ながらも物理的な距離の近さを武器に、想花と触れ合う時間も最近では最も長い。桜は元々が無表情なのもあり、この親しみやすさも相まってギャップとなっているのも想花には刺さっているのだろう。

 何れも美青には出来ない芸当とはいえ、出会って一ヶ月という、恋愛に置いて劣勢とも言える時間をものともしない行動力には賞賛の意が湧いて出る。


 しかし篝は違った。一歩引いて桜の後ろに居座る篝は、桜ほど想花と仲良くなれているとはとても言えない。未だ想花の事を名字で呼んでいるのがその証明となっている。

 しかし何故か美青の事は名前で呼んでいた。朝の学校で愛菜と想花が登校する前までは三人でいる為、当然仲良くなれているという自覚は美青にもあった。ただそれだけでたかが想花を取り合う恋敵を名前で呼んで、肝心の想い人の事は名字で呼ぶ理由が分からなかった。

 想花に対して素直になれずに距離を取るような性格でも無い。なのに普段から想花の後ろを取る愛菜と桜よりあぶれて後ろで甘んじている姿は寂しそうで、篝の思考も実態も未だ把握出来ていないが、そんな光景を前にした美青が放置出来るはずも無かった。

 何か理由があるのなら、篝がここにいて感じる寂しさを出来るだけ取り除けるよう、桜が想花に付いている時は自分が篝の傍にいようと美青は決めていたのだ。


 大した理由でもない上に美青が勝手にしている事なのだが、それこそ勝手に寂しい人認定されていると知れば篝が激怒してまう可能性もあった。

そんな未来を恐れた美青に、その事実を明かす勇気も度胸も無かった。


 食堂について券売機に並び、二人の間に続く静寂の中で誤魔化す内容を考えつつ、とうとう美青の口が開いた。


「えへへ、良く聞いてくれました。そ、それはね……えっと……そーちゃんと愛菜ちゃんは同じ学年でよく話せるけど、篝ちゃん達は違うでしょ? でも桜ちゃんはそーちゃんと仲良しさんだから、せめて篝ちゃんといっぱい話したいなって思って」


 美青は事実だけを述べた。事実の中に九割の本心と小さく歪んだ願望を隠しているのだが、少なくとも嘘はついていなかった。

 篝はその時折言い淀んで言葉を作る話し方を前に、確実に隠し事をされている事に確信を持ったが、美青の性格を考えればその理由も何となく察する事も出来た。


「……でも、理解できないです。焦ったりしないんですか? 大好きな皆切先輩がああやって桜達に囲まれてる姿なんて見せつけられて。普通は嫉妬とかしますよ」


「嫉妬……は今更だから。それを言ったら篝ちゃんもだよ? お試しとはいえ恋人なんでしょ?」


 思わず棘のある言い方になってしまったのは、美青自身どこかで嫉妬の感情が漏れているからだろうか。しかし篝はそれを気にする様子も無く、さらっと言葉を繋げる。

 

「私だって嫉妬してますよ。好きな人がああしてベッタリしてる姿見せられて、許されるなら今すぐ止めに行きたいくらい」


「でも、止めないんだね」


 結局、篝も優しいのだ。自分が寂しい思いをしてまで親友や先輩を優先させている。自己犠牲により生まれる他人の幸福は当人にとって幸せの度合いは変わらないが、人によってはそれも自分勝手な奉仕精神としか捉えられない。

 それでも桜を前に立たせるのは、篝にとって親友の存在も変わらず大切だからだろう。美青はそう考えて、自らと妹の存在を重ねて似ていると感じた。


「……人目も多くて動きにくいからですよ。それに、幸せそうなのに邪魔したら恨まれそうで、そっちの方が嫌ですから」


「篝ちゃんは優しいねぇ」


 花梨へするように頭をよしよしと一回、二回と撫でる。突然の出来事に呆けて数秒、周りの状況が意識を取り戻させたのか、ものの数回した所で美青の手は払いのけられる。

 美青のそんな行動も彼女特有の天然気質から来る無意識のものであり、撥ね除けられてから自らの行いに気付き動揺してしまう。


「なっ、なぁっ!」


「あわわわ。ご、ごめん篝ちゃん。気付いたら撫でちゃってて……」


「そんなの美青先輩くらいですよ! 人前で何してるんですか!」


 顔を真っ赤に染めた篝が公衆の面前で思わず叫びそうになるもなんとか抑える。前に並ぶ想花達は気付いた様子も無いが、その中で桜だけは様子のおかしい篝を見て首を傾げていた。


「本当にごめんね……。わ、私いつもの所座って待ってるね」


「あっ! うん! みーちゃんよろしくね!」


 想花達から、と言うより気まずくなった篝から離れる意図も含みつつ、想花に声をかけてからその場を離れる。席を取るのは並ぶ必要の無い美青の仕事のようなものだった。

 後ろから視線を感じるのは恐らく篝からのものだろう。そう一人で決め打った美青は、振り返る事無く駆け足で昼の定位置に向かった。








 そんな様子を遠くから見ていた一人の少女の姿があった。信じられないものを見たように、彼女にしては大きく見開いた目は未だ食堂の券売機に並ぶ一つの集団を見たまま固まっている。

 そんな少女の元に、二人の女子生徒が近づいていた。二人は購買で買ったであろう複数のパンに飲み物を手で抱えて持っており、揃って既に席に座っていた少女の対面に腰を下ろした。


「よおし、それじゃあ食べよう食べよう!」


「お腹減ったね~」


「…………」


「あれ、どうしたの? 元気無さそうだけど」


「別に……何でもない」


 何でもないと言い張る少女の顔を見た対面に座る二人の生徒は、理由も分からず機嫌を悪くしていたその少女に対し、言い得ぬ恐怖と不安を感じていた。

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恋人だなんて認めてやらない ゆいとき @YUITOKI

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