第16話 攪拌

——9日目、20:03


 どうやら標的は魔術を非生物に使えば灰に変えるらしい。


 と、そのような認識を璃子と六蔵は共有した。

 璃子の直接の体験と六蔵による第六感の把握で、その事実を容易に受け止めて、で、その思考にかまけられることが2人の生存を意味する。


「……」


 黙考を続ける六蔵と璃子。

 言葉で交わさずとも意思の疎通はできて、今、この場に沙耶香の見上げる先、エスカレータの上で彼女を見下す六蔵。


 対し、すぐ目の前で粛々と佇む璃子。


(……不発……いや、)


 沙耶香の外象魔術自体、発動はした。

 その感覚がうちにある。

 ただ、防がれた。

 その一部始終の目撃と、そして……


「つっ!」


 真上から下へ、沙耶香の頭めがけ落ちてきたグロテスクな悪魔の死骸が床にシミを作って全てを物語る。


——それは、こうだ。


 飛来する即死の魔術を放った瞬間、舘脇六蔵がエスカレーターの上へ刀を携え瞬間移動、現れる。そして、五感と第六感で捉え精度を格段に増した状況下、ドンピシャに璃子と外象魔術の間、壁となる悪魔を召喚。

 悪魔は魔術を受け死亡。のみならず璃子に伝染されるはずの死は、悪魔の死骸諸共天井高くへ転移させ退けた。


——その死骸がちょうど沙耶香の頭へ落ち、それを躱した隙


 見逃すはずなく璃子が追随、刀を振るいその肩口を浅く切り裂く。


 沙耶香はすかさずダイヤを取り出し反撃に移ろうとして、しかし、この時致命的に六蔵の存在を無視していた。

 『場』の主人たる六蔵が普段愛用する物、彼の創造物、そして彼自身もこの『場』において距離という制約を無視し、瞬く間に瞬間移動を果たす。


 そして彼の手に取る最高峰の『魔剣』。

 その全てを警戒し損ねたのは疲労と集中力の低下、状況へ対応できなかったその全て。


 沙耶香は左肩を内からめくり上げるような苦痛を感じ


「いいぃっ、っっ」


 刀が左肩を貫通していた。

 沙耶香の背後へ転移した六蔵の刀の切先。

 それが沙耶香の肩を刺す。

 とっさに身を引き、縫い止める刃から逃れ、返って傷口を押し広げ無理矢理離れた。


 この間の璃子はそれを静かに眺める。

 六蔵から制止があったのだ。

 彼の魔剣——即ち六蔵の血を吸った刀がどの程度決定打たり得るか知る為に。

 

 舘脇の魔術師の、その血潮は邪法で悪魔を受肉させ、その死骸を濾しこし圧縮した溶液に置き換えている。

 それは己の内象世界に悪魔を飼う為、必須の肉体改造であったが、これに更なる魔術特性を持たせたのは舘脇家伝来ではなく六蔵自身のオリジナル。


 この単なる死骸で成立した溶液を、六蔵は無数の生けとし活ける悪魔の群勢に変えた。これらは彼の体内で互いに食い合い、さながら蠱毒の呪法に似た性質を併せ持ち、だが定期的に注射器で追加される為それが最後の1匹に至ることはない。

 ただ、平均して質が上がっていくのみ。


 これの本来の用途は使役する悪魔の餌兼興奮剤やらドーピングであるが、それをこの時六蔵は刀へ宿らせた。


 宿らせることで刀に数えることもおこがましき無数の悪魔を住まわす。

 そうした訳。

 それは標的、沙耶香の魔術による最大補足数に目をつけたからだ。

 なるほど、それが悪魔という超常の怪物だろうと即死させてしまう。恐ろしく攻撃的だ。

 『内象魔術』もそれに似た性質か。


 なるほどなるほど。じゃあ、一度にどれだけ殺せる?これに無数の数をぶつければ無数に殺し切れるのか?


——それを今試している


 結論。


——どうやらこの策はよく効く


 内象魔術でそれを滅し切れず刃が通った。

 傷口に入った悪魔の中和に時間がかかり傷口から少し貪られてもいる。

 酷薄で、しかしどこか愉悦とも湿り気とも呼べる笑みを六蔵は作った。

 滅多に見せることの無い、彼の心の底からの本心。


 そしてこれからは璃子がサポートに、六蔵が攻めに回る役割の交換。

 

 だが、やるなら徹底的に。


「『甘羅・甘羅かんら・かんら

禰宜奈落ねぎならく

童児棄金蚉どうじきかなぶん』」


 六蔵はそれらの名を呼ぶ。

 とっておきの3匹の悪魔を彼はこの場に召喚し、勝負は決したかに見えた。


◆◆◆◆


——9日目、20:04

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——9日目、20:08

——9日目、20:09

——9日目、20:10

——9日目、20:11

——9日目、20:12

——9日目、20:13


◆◆◆◆


 本来であれば悪魔が物理事象を操る事は無く、人の意思にしか存在できぬ悪魔は人の精神を乗っ取り、下すことに長がある。


 だが、この限定的な受肉を果たす『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』において、人の精神という深淵無辺の世界を自由に跋扈ばっこするのと同等の制限の無さで物理的な干渉が為せた。


甘羅・甘羅かんら・かんら』——生皮に似た帯が集まり真球を型取る姿。その帯から時折物質の伴わない透明な質量を飛ばし、遠距離から牽制、射撃を行う。


禰宜奈落ねぎならく』——筋骨隆々、巨躯の灰色の肌を持つ男。首が無く、その断面は布で覆われ風にたなびく。至近距離での戦闘に長け、使い潰す前提で足止めを担わせた。結果殺されたが標的に幾らか外傷を負わせたので結果はまずまず。


童児棄金蚉どうじきかなぶん』——かなりの物量を放つ石の彫像。羽虫に似た悪魔をその口から無数に放ち、敵の更なる手札へ警戒に使用。消耗も誘う。


 沙耶香がこれらと六蔵、璃子を相手取り、どれほど経ったか。

 1秒が、たった1秒が今の沙耶香にとって重たい。1秒ごとに総身を削り取る疲労が重なり、最早、2人をこの場で殺す策は無い。


「なっ!」


——だから、沙耶香は逃げる


 空間を割った様ににひびが入り、異常事態を前に六蔵は状況を数秒かかって飲み込む。


「……『場』の破壊」


 六蔵が作り出した『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』の部分的破壊。

 それに伴い、『甘楽・甘楽かんら・かんら』、『童子棄金蚉どうじきかなぶん』の生き残った2体の下僕が実体を失い消えていく。


——しかし若干ながら標的のまだ見ぬ才覚に興味を覚えたのは魔術師としてのさが


 本来、『場』の無力化には無数の結び目を解く様に似た緻密さが不可欠。常にそれを警戒した対抗策も編まれているからだ。

 それを、起動する余地すら与えず諸共消し飛ばしたのは上手く使えば数千人殺せるほぼ全ての『触媒』を使っての贅沢なやり口。


 さながら爆弾を解体せず消滅させるような荒技。


 本来なら成し得ないはずのそれを成し遂げたのは、彼女の宿す盧乃木家伝来の『死』の魔術が生物、非生物を問わない呪殺を基礎としながら、不老不死概念の殺害を目指す、その夢へ追い縋る執念ゆえに。

 概念の殺害にも長けていた。


——六蔵は静かに……


 思考を止めない。

 というより存外冷静であったのは六蔵の生まれつきの冷淡さのため。

 彼は頭を回す。

 それを見て、ほくそ笑む沙耶香。

 しかし、ギリギリだった。

 後数分遅れれば再起不能、殺された可能性すらある。あれだけ触媒を費やして、時間がかかり過ぎだ。


 彼女は、六蔵が直接加勢に加わった時点で勝ちを諦めた。これほどの『場』の維持を片手間で行いつつ攻撃に移れる時点で魔術師として格上であり、ならこの状況に勝ち目が無いと踏んだ。


 しかし


(左腕……感覚が無い)


 最早傷の悪化を防ぐ為切るしかないか。

 『内象魔術』は指や先といった感覚の鋭い箇所から使った方が精度が良いので惜しいが……


 だが、起こった結果は仕方ないと割り切り欠け落ちた裂け目へ。

 清浄な月明かり差すこの空間の外へ……


「璃子ッッ!」


 璃子は言われるまでなく沙耶香を追いかけた、

 この壊れかかった空間で六蔵は瞬間移動ができず、速力で優る璃子の追撃が妥当と両者判断。


(狙うのは……)


 脚の腱。

 そこなら浅い斬り込みでも機動を封られる。

 そして璃子が空間の切り替わりを感じつつ刃の届く圏内に沙耶香を収め斬りにかかった、その瞬間——ただ、この状況で脚を狙うのは自他共に明白。


——『内象魔術』で守られる


 その事実に気付き、


(手傷を……)


 剣筋捻じ曲げ背中へと。

 だが璃子の足元が崩れたのは、先もされた手口。

 沙耶香が進む側から背後、璃子が走る床を内象魔術で崩してまわる。

 脚の取られる前に脱するが、その一つ一つのせいで追いつけない。


(逃げられッ……)


 滅多に見せぬ焦りを璃子が見せ、しかし、その場の誰もが、そこにいるとは欠片も思っていなかった人影を最初に彼女が捉えた。


 続き、沙耶香の気付くはずが、視界の外から大質量の不意打ちを受け、既に満身創痍、魔術の使いすぎで脳へ疲労が押し寄せる中、それでも対抗を試み……


「あ……」


 鼻血が垂れた。

 ほんの一筋から始まり、徐々に沙耶香の目が充血、血涙も垂れて……


 魔術の使いすぎだ。

 沙耶香の意識が混濁、削がれる、削がれて……


◆◆◆◆


——どうすべきか……


 と、少し考えたのは六蔵と璃子の両者。


「六波羅舞美々さん……でしたよね。ご用件は……?」


 呼吸を整えすぐ様、ヒヤリと一言述べ璃子は警戒を隠さない。


 六蔵達同様、盧乃木徳人に雇われた刺客が1人。六波羅舞美々が、割れた結界のすぐ外で待ち構えていた。

 以前のどこか刺々しい地雷系ファッションではなく、ゆるふわな量産型女子の風体。

 そして傍らのパッションピンクのスーツケースには何を収めているのか。


 さらに微妙に、ではあるが顔付きも化粧の幅を超え変化していることが璃子は気に掛かったが、それでも当人の放つ気配は変えようがなく、その姿をこの場で認め、冷静に。


 目の前の、そのには魔術の産物だろうと、これまた純粋に受け取り驚かない。

 肝の据わった彼女らしい反応。


 そして六波羅舞美々。

 その過度に伸ばした……どころか無数の女の細腕が集まり1本の巨人の腕を象るかたどる肉の塊を右肩から伸ばし、大蛇の化け物の如き風体で気絶した沙耶香を壁に押し付ける。

 先の奇襲がそれだ。

 その腕を沙耶香へ放出した。


——『肉』か?


 少なくとも肉体を変容さす魔術属性かと璃子には見てとれた。


 そんな六波羅舞美々は少しばかり目を右往左往させ、「あー」とか「うー」とか唸り、考え——よく動く表情——思考が整って、先の質問に


「何しに?何しに来たって、ねえ?分かるっしょ……」


 それはそうだ。

 獲物は1つ。今は壁に押さえつけられ生死は不明。無防備な状態。

 それを狙う狩人が舞美々と六蔵で2人。

 

 となれば仲良く切り分けるはずがなく……


(るしかないのか……)


 六蔵の道具たる璃子が思った矢先、一時的に破壊され、『耨歹・咬邵廟ぬがつ・こうしょうびょう』の外であった璃子と舞美々の居る百貨店一階、端の区画が再びその中へ飲み込まれた。


 六蔵がある程度『場』の修復を終えたのだ。

 この間の彼は無防備となり、その時間稼ぎも兼ね璃子は舞美々に質問を投げた。

 だが、それに簡単に乗ったあたり、わざと修復を待った気配すらある。


(そんなに自信が……(璃子……))


 璃子の思考に六蔵が割り込み、作戦の共有を行なった。


——9日目、20:16

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