第15話 剣士

 手に持った宝石人骨を投げつけた沙耶香は、それが群勢に飲み込まれた瞬間砕け散り、神秘の起動を見届けた。

 その行群に揺らぎが生じたのだ。

 『死』が流れ、伝搬して行くその過程で。


 死が感染し一体ずつ順次伝わる様は水面に波を作る様子に近い。


 沙耶香の魔術属性は盧乃木家伝来の『死』、カテゴリーは『流転』。

 流れるのみならず、不可逆な『死』に転ずる。


 手で触れた瞬間、対象から吸い上げた『生』は沙耶香の内に溜まり、『外象魔術』で『生』でなく『死』の現象に転じ、放たれる。


 触媒を呼び水に拡散、その様は感染に似て触れた者と、その触れた者に触れた者まで無制限に穢す毒物じみて振る舞う。

 寄らば祟る殺しの呪い。


 なれば密集し雪崩れ込む悪魔の群れはその全て命を散らし、サーッと流れ床を滑った。

 川の水の様に。

 床一面が悪魔の死体に埋め尽くされ、ただ、その中に刀を持つ女の死体は無く、沙耶香の背後にザッと死骸を踏みつけた音が、


——ヒヤリと玉鋼の冷たさを


 背後、首スレスレ皮に触れぬ位置で据えられた切先。

 沙耶香の背後に璃子が立つ。

 握った刀をピタリと止めて、それより先に斬り込まない。

 それは璃子がある事に気付いたから。


——沙耶香が躱せないので無く、躱さない動きをしたことに


 なら斬ってはいけない。

 刃を受ける動作が攻撃に転ずると判断。

 事実、沙耶香は音に反応し首へ『死』の魔力を集めた。

 切先が触れた瞬間、刀は朽ち、灰へ転ずるその手筈だった。


 だから首筋を汗が伝う。

 沙耶香の首筋に。

 いくら悪魔に気を取られたとは言え、その行群に紛れた璃子が、そこから抜け出し、こちらの背後へ回り込み一刀振るうその一連の動きを、まるで察知できなかった。

 加えて挙動の僅かな癖から魔術による武器破壊が読まれた。


 魔術の腕はともかく、この刀を持った女——璃子は間違いなく技量で遥か上を行くと判断。


 だからこの状況で沙耶香は先に仕掛けた。

 臆せば死ぬ。

 だから首に据えた刃物は膠着を殆ど生まなかった。

 沙耶香は潜り込むインファイトへ移行。


 この近さ、刀を振るう空間は無い。

 仮に刃が触れても、その認知の瞬間『内象魔術』で壊す。その自信。

 右でなく左の徒手で触れ殺す動き。


 だが気付いた。

 伸ばした手が空を切り、位置取りが変わり、背後で璃子が血刀を振り終えた事に。

 ただ流れ様にすれ違い、


「うっ」


 璃子は刀が触れたと反応されるより早くスルリと斬り抜けたに過ぎない。

 沙耶香はジワリと脇腹に熱を感じた。切り口が鮮やか過ぎて返って痛みが無い。


 『内象魔術』の攻撃的扱いに長けるなら、その皮膚は例外なく凶器。だがその運用は触れた瞬間の認知が不可欠。

 なら、それより早く斬れば良く、璃子にとってそれだけのこと。


「あの、あまり抵抗しないでもらえますか?痛い思いせず済むので」


 璃子が淡々と述べた言葉が沙耶香の耳にはやけに遠くに聞こえた。ジクジクと痛む脇腹は、璃子が素早く刃を通した都合から傷が浅い。


 沙耶香が内象魔術の行使を試みる限り、そんな拷問まがいの攻撃しか璃子はしない。あまり触れると刀が壊されるので。


 一応璃子の目的は標的を消耗させることで、これならこれで良い。

 ただ可能なら殺して良いと言付かった。

 だから苦しめずせめて一瞬で首を刈りたい。


 つまり、これほど実力差があるので、璃子は沙耶香をナチュラルに見下した。


「そんな親切な提案してくれるなら、見逃して欲しんだけど……」


 向こうが会話を持ちかけたことを利用。

 沙耶香は舌と頭を回す。


(マチェットが右手と予備で2本、外象魔術の触媒、とっておきが2,雑に使えるの15、切り札が……)


 やや過剰に持って来たつもりが、その全て使い切らねば敵わないか。


(接近は不利……)


 だから刀をひっさげた女は距離を取りつつ仕留める。


「それはできません。許可が無いので……」


「へぇ、許可が無いと何もできないんだ」


 そして不意に床を見た。先まで床一面に広がっていた悪魔の死骸は消えていた。

 死にまつわる物なら全て間に合わせの触媒にできたが、それを察してのことか。


(もう1人いる魔術師、ここまで『場』を操作できる。まず見ないやり手……)


 『場』は革新派風で『工房』、伝統派風で『結界』と呼ばれ、自分の魔力を馴染ませ『内象世界』の延長とした空間の総称。


 中をどれだけ好きに弄り回せるかが技量の多寡たか

 物を自在に出したり消したり出来るなら、悪魔の数体程度、好きなタイミングで好きな位置に出せるだろう。

 だが、それは魔力の動きで感知できる。

 恐らく、それに集中させないための、あの女剣士と沙耶香は結論付けた。


◆◆◆◆


——『処刑人』としては破格だな。


 それが沙耶香に対し、六蔵が下した総括。


 場所は彼が己の聖域とした百貨店の、その5階。

 全5階層なので最上階。元は資材をゴチャゴチャ収めていた部屋。

 しかし、今は全て片付けられ、ラックの1つもなく、だだっ広い空間。そこは今、六蔵の奔流する魔力で埋め尽くされていた。


 自身の『内象世界』で染め上げた『場』はそれだけ術者の魔術効果を底上げする。

 更に舘脇家は元より『場』の作成、そして空間の操作に長けていた。

 それが3代目当主舘脇十郎太が悪魔の使役を修めた事で、凶悪さを更に増した。


 で、部屋の中心、動きを阻害しない細身の袴と羽織りを着た六蔵があぐらを描いて座る。

 彼はさして身動きせず、猫背気味に背中を折り曲げ、両手を床につき、じっと下を眺めていた。しかし、彼の表皮を影が這う。

 それは袖に隠れ見えないが、腕から湧いて手の甲を通り無数の蟻の様で、それが放射状に広がり部屋一面の壁、天井を蠢く。

 更に無数の燭台が彼を取り囲んでその隙間を埋める抜き身の刃物の数々—脇差や匕首、大刀。何に使うのか。


「物量でどうにかなる相手じゃない……」


 この建物で起こる事象を把握する六蔵が呟いた。

 自分と固く結びつけた『場』で起きた事は把握できる道理。

 加えて味方である璃子とも思念で意思疎通ができ一心二体。


「どうするか」


 この戦闘、初手は物量。

 戦力の逐次投入は各個撃破で消耗を招く愚策。その理屈に則ったが、かえって無駄に消耗したか。

 なら、


「雑な攻撃は無し、状況にそぐう悪魔で……」

 

 詰ませるように。

 加えて、標的の至近戦闘力は瞠目に値する。

 なんと璃子より2,3枚劣る程度だ。

 そもそも璃子と勝負になる輩はそうそう居ない。

 で、魔術抜きなら璃子1人でも行けたが


——その魔術が……


「攻撃的……いや、攻撃的すぎるな」


 なら応用に欠ける?

 少なくとも肉体の治癒はできなかろう。

 使い方次第で化けるにしても魔術自体絡め手ではない。

 だが、相手は多数の悪魔を即死さす術を放つ。相手の未だ勝算を抱える風から長期戦は危ないと判断。


 結論、


「速攻で仕留める……」


 以上。

 そう呟いてから、六蔵は右手を床から離し、すぐそば、燭台の隙間に転がる一振りの大刀を手繰る。

 そして柄の慣れた感触を手に、さして躊躇せず切っ先を床に付く左手の甲に刺し込んだ。


——声一つ漏らさず


 貫通。

 切先が甲から掌へ出て床を突く。

 鮮やかな赤は染み出さない。

 ただ、代わりに刀身が——傷口に刺さった刀身が艶めかしく薄紅と、鋼のしらき青を兼ねる、そのどれとも言い難い色に染まる。


 それを見る六蔵は平静で汗ひとつ流さず、眉一つ動かさない。

 そもそも舘脇家の魔術は己が内象世界、即ち精神に人外を飼うことだ。

 その薫陶は自我と他の境界を丁寧に削る様に似て、爪先から徐々に、下半身を擦り切る様に舌で舐め取られる苦痛に近い。

 その埒外の非道を受けた男が、この程度の痛痒、何を感じるか。


 そして、出来上がった刀の仕上がり。

 満足げに頷いて、ツプッと肉から引き抜き、その瞬間に正常な速さでデロデロ左掌から血が床を舐める。

 それに群がる部屋中の細かな、やや肥大して爬虫に似た影。

 血に触れた途端、狂気して震え、早回しで部屋を無尽に交錯。


 そして次の瞬間にはフッと、これほど異様の場では正常に見える心地で刀を持った六蔵の姿は消えていた。


――9日目、20:03


◆◆◆◆


——9日目、20:02


 璃子は刀の遣い手として理想的な動きをする。

 本来、刀をガチガチぶつけ、削り、打ち合うのは好ましくない。

 武術を正当に修めた者同士刀をぶつけたなら簡単に刃はこぼれ、折れ、曲がる。

 それでも多くの古武術で打ち合う型が残るのはそれが必然発生するからだ。

 例えば不意の遭遇戦。

 先に斬りかかられたら刃で受ける他ない。


 だが璃子は斬り掛かられる、という事態にまず陥らない。

 敵が殺意を向け挙動の起こりを見せるか見せぬの一瞬で型をつける先手必勝。

 それを唯一止め得るのは六蔵からの制止。

 

 だから、この状況で璃子の刀を沙耶香が凌ぎ切る道理は無かった。

 無かったはずのそれを、沙耶香が起こし得たのは不意打ちがハマったから。

 ほんの1回の、2度は通用しない奇策。


 璃子はその時沙耶香の首、頸動脈を狙った。

 深く斬れぬなら浅く斬って殺せる箇所を狙えば良い。

 先の動きで敵がこちらを見切れない事は悟った。


 距離は3m弱。


 コンパクトな突き、そのためやや踏んだ右足に突如砂が絡み、有るか無きかの茫洋とした隙。その瞬間彼女の目に砂が掛かり、


——いや、灰?


 反射的に目を閉じる璃子。

 隙。一瞬の隙。


 この一瞬のために沙耶香は右脚の靴下とスニーカー、手のマチェットを犠牲にした。


 靴底の指先に当たる箇所を内象魔術で穴を開け、床に指先を接触。内象魔術を伝わらせ、目測で璃子が踏む箇所を灰にした。

 タイミングと位置は勘。

 だが、曲がりなりにも至近戦闘に長けた沙耶香が見抜く適切なそれ。


 そうして床に沈んだ瞬間、マチェットを魔術で灰にして目潰しに投げ付け。

 1つ1つ成功を前提に挙動へ繋げ最後には背後へ飛び退きざま掴んだダイヤで追撃。

 投げ付け起動したなら、触れたら確実に死ぬそれが璃子の顔面へと迫り、不可避の投擲。

 弾くしかない。無論体で触れれば布越しでも死を招くが、刀で弾いても1つ目で刀は朽ちて……

 そういう二者択一を招いた。

 いずれも死ぬはず。

 果たして……


——9日目、20:03

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