第11話 前夜 下

「今回の標的について、なんだけどね」


 半分ぐらいコーヒーを飲み終え、味に飽きたのか六蔵はコーヒーフレッシュを投入。

 それをチラと眺める璃子。

 実はこの街にやってきた初日に璃子も出来心からコーヒーを試してみたのだが、その得体の知れない苦味と酸っぱさから、少し口から戻しそうになってしまった。

 グラニュー糖とコーヒーフレッシュを追加してもイマイチ馴染めなかったので、結局六蔵に飲んでもらう失態をやらかしたのだ。


(痛恨……)


 苦い思い出。

 それはそれとして、話に集中。


「後藤沙耶香……でしたっけ。フリーランスの処刑人で、えっと、『悦楽の翁』から依頼を受けたが、その不始末で不興を買って、だから今回の罪人に選ばれた、ですよね?」


「そう、それで咎人狩りの規則上、『老人』が主催者兼監督役になれないから、代理として部下の盧乃木徳人を立てた。実際、代理人を主催者に立てるのはよくあること」


 主催者兼監督役はとにかくリスクが高い。

 だから、主催者になれない『老人』であるなしに関わらず、部下に代理を任す例は過去に幾らかある。

 しかし、


「その代理人が問題でね……」


 六蔵は目を細めた。


「と、言いますと?」


 璃子は不意に先まで顔を合わせていた同年代程度の少年を思い出す。

 盧乃木徳人……

 大人びた、と言うより、老獪ろうかいさを窺わす様な、狡猾なイメージを持った。


「元は盧乃木家っていう、閉じこもって魔術の研究してた家の出身でね、なんでも当主の父親を殺した後、『悦楽の翁』アハト卿に拾われ、反抗勢力の壊滅をやり遂げたらしい。その成果で出世、しかもこの間6年足らず」


 これらは六蔵が個人的なツテを用いて調べさせた事。

 璃子は少し頭を捻る。


「それは、話が出来過ぎという事ですか?」


「いや、それもそうなんだけど、実は盧乃木徳人には1人姉が居てね、それが盧乃木沙耶香。戸籍上は死んだことになってたよ」


「沙耶香?今回の罪人と同じ名前……偶然?」


「偶然の可能性はある。仮に標的と盧乃木徳人が血縁関係であっても魔術師である以上おかしい話ではないけど、少し引っ掛かる。で、今回盧乃木徳人と顔を合わせてみたけど、あれは何か重要なこと隠してるよ」


「……つまり、標的以上に主催者兼監督役に気を付けねばならないと?」


「確実にね……思った以上にややこしい。あの少年が別の刺客でこちらを狩りにきてもおかしくないね……」


 そして六蔵はコーヒーを啜り、


「あの!」


 璃子にしては珍しく声が大きかったので、BGMの他に閑静なばかりの店内でやや衆目を集めた。


「どうしたの?」


 顔を赤くしつつ、璃子は小さな声で続けた。


「六蔵様はその、大丈夫です。私が守ります。だから、その……」


 それより先はゴニョゴニョと口の中でまごつく感じになり、璃子自身にも六蔵にも聞き取れなかった。

 だが、璃子が伝えたい事を六蔵は概ね理解していた。


◆◆◆◆


——咎人狩りが行われる前夜、時刻は21:00


 都内下町。

 都心、駅近くの繁栄から離れているものの、アクセスの良さで住人は多く、小さな工場や店、住宅が並ぶ街並みを横目に、盧乃木沙耶香は車を走らせていた。


 車は後藤が所有するうちの一つ、黒の軽自動車。彼が普段乗り回す青のハイエースは屋根が丸々なくなってしまった為、沙耶香が後から回収して見つからない場所へ隠しておいた。


「……」


——後藤と別れてから既に52時間、2日以上が経つ


 ケインを引き連れ、後藤とあらかじめ打ち合わせたセーフハウスへ避難し、「また予想外の手で居場所を割り出されるのでは?」と警戒し、丸一日寝ずに後藤を待ちつつ待機した。


 その後、仕掛けたセンサー類や監視カメラに異常は無く、やや安全と思えた段階で後藤と別れた地点に向かったが、道を塞ぐ屋根の無いハイエースが残されたのみで、後藤が残したサインや手がかりは一切なかった。


 警察に回収されても面倒なので、ハイエースを移動させ、隠し、その後はセーフハウスに戻って待機。

 それでも後藤は現れず、もはや彼は死んだものと想定し動くと沙耶香は決めた。


 そして彼女が眠い目を擦りつつ向かう先は、ちょうど、この下町にある貸し倉庫。

 その中にしまわれたある物品を回収する。


 近くのパーキングエリアに車を停め、そしてオレンジ色で塗られたコンテナがアスファルトに立ち並ぶ中、借りた番号のシャッター前へ辿り着き、開けた。

 やや錆びて立て付けが悪い。

 しかし、肝心の中の天井や壁は手入れが行き届き、そしてしまわれていた物の保存状態は良かった。


「無事だった……」


 心の底からホッと一息。

 この中身すら何者かに奪われたなら、徳人を殺すどころか咎人狩りを生き延びることすら不可能だっただろう。


 そこに並んでいたのは、数多の棚、そこに収まった大量の本。

 茶色や緑の革装丁の数々は、沙耶香が実質的な盧乃木家当主となった際、父、盧乃木美樹鷹から受け継いだ遺産の数々。


 即ちここにしまわれた本は盧乃木家が研鑽と知識を積んだ歴史そのもの。

 盧乃木家代々の魔術の成果が記されている。

 しかし、回収しにきたのはこの古書の数々ではない。これらの内容は全て沙耶香の脳味噌の中に収まっている。

 回収しにきたのはより貴重な別の物だ。


 それは盧乃木家が『外象魔術』を行使する際、その術の補助と手順の省略を担う『触媒』。

 その内いくつかと、沙耶香が新しく作った物は団地のあの部屋に保管されていたが、それらは爆砕され、回収は望むべくもない。


 だが、『触媒』のいくらかはこの貸し倉庫に保管してあった。


「えっと」


 天井から吊るされた裸電球の明かりを頼りに本の背表紙を検める。

 並んだ内の数冊を順番に抜いて行き、それを床に置いて開くと、ページがくり抜かれ、中には例の『触媒』がしまわれていた。


 それらを回収しては持ってきたリュックに詰めていく。

 これでいくらか同格以上の魔術師への対抗手段は整ったが、それでも十全とは言い難い。


 やはり、部屋を爆破されたのは痛かった。


 だが、ここへ来てやるべき事はそれだけではない。

 躊躇ってはならない。

 躊躇ってはいけないと分かりつつも、父、美樹鷹の思いを、盧乃木家の積み上げた歴史を無に帰す痛烈な罪悪感に苛まれた。


 苛まれつつ、沙耶香は右手に『死』の魔力を集中させ、順番に本棚に並んだ本の背表紙を撫でて行く。

 撫でた途端に灰と化す盧乃木家の歴史。


 今、この瞬間はまだ、これらの盧乃木家秘伝の魔導書は咎人狩りの討ち手に見つかっていない。


 だが、この先はどうなるか分からない。

 もしこの本を残したら、こちらの手の内が割り出され、対策を取られるかもしれない。

 分からないが、しかし、リスクを残す事はできない。

 だから、全て処分して行く。

 全て、全て。


 そうして、終えて、トランクルームの固く冷たい床の上で、沙耶香は小さくしゃがみ込んだ。

 顔は俯き、そして不意に見上げて、裸電球に照らされた灰の山が積もっただけの本棚をしばらく眺め、また俯いて、そうして5分ばかりはグダグダしていたが、それから全ての不快感を忘れようと大きく息吐いて、そしてシャッターを閉め車に戻る。


 沙耶香の精神的疲労はピークに達していた。


◆◆◆◆


——沙耶香が貸し倉庫へ赴いたのと同じ頃


 そのチンピラはある半グレ組織に所属していた。

 暴対法の締め付けが強くなった時代、もはや暴力団に生き延びる道は無いと見切りをつけ、こちらに転向した口だ。


 さらに、実践格闘技を極めたゴリゴリの武闘派で、そんなわけだから、最近はとある場所の門番の様な物を任されている。


 任されているが、ぶっちゃけ毎日毎日エレベーターの前で馬鹿みたいに座っては時折やってくる客の顔を見て、通る許可が降りてるのかだけ確認する暇な作業だ。


 その上で、この日の彼は朝の8:00に仕事を始めて、ちょうどこの時間、夜の21:00に至るまで、その客すら来なかった為やたらと気が立っていた。


 だから、ある意味で待ち望んでいたその客が来た時、彼の苛つきはピークに達していたのだ。


 チーン、と、エレベーターが止まった音が正面から響いた。


(客か)


 ちなみにだが、そのエレベーターの上の階層が記されたプレートは「8」という文字が油性ペンマッキーで雑に塗りつぶされ、横に小さく「8.5」と書き直されている。


 つまり、この階層は8階と9階の間の隠された階層であり、向かう階層のボタンを決まった手順で押さないと辿り着けないシークレットフロア。


 そして、開いた扉から出てきたのは、


(子供?)


 15,6程度のガキ。

 男はそう認識。

 見る者が見れば、その瞳の深淵を覗く様なうつろさや、触れてはならぬと思わせる皮膚の裏側を撫でられる様な怖気を感じた事だろうが、男はそうしたものを気取る感覚が致命的なまでに鈍かった。


 そう、致命的なまでに。


 だから、そのガキを追い払おうと声を掛け、そうして揉めたところをたまたまやってきた上司に見つかり、そしてガキに平謝りさせられた後で、メタクソにキレられて、それはまだ良かったのだ。

 死んでいないから。

 後すんでのところを、男は冷酷な死を回避した。誠に運の良い男だ。


 で、この入室してきたガキだが、それは盧乃木徳人。


 来訪の目的。

 それはこの階層にある人物を監禁しているので、その人物に会いに来た。


 ただの雑居ビルでしか無い、この建物の8.5階層は裏社会において外に出せない人間を監禁する監禁ビジネスを展開していた。


 客の要求は、命が狙われてるので、しばらく匿ってほしいとか、ある人物を精神的にアッパラパーにしたいので全く身動きできないまま監禁してほしいとか、食事させず、少しずつ弱らせて殺してほしいとか、色々だ。


 そして盧乃木徳人が個人的に密かに監禁した人物。

 その人物が待つ部屋の鍵と扉を開けると、ベッドで胡座をかき餃子を掻っ込んでるところに出くわす。


 いや、目が合った。


「ここには少し慣れたが、手枷、足枷はまだいい、せめて食事が毎回中華なのどうにかしてくれ」


 脂っこいらしい。


「そのぐらい伝えておきますよ、後藤さん」


 そして、後藤はベッドの上、長い鎖の手枷足枷で壁のコンクリートに繋がった状態で最後の餃子を口にした。


「んで、今日で監禁して3日目だが、そろそろ教えてくんねぇかな。俺を殺さず、わざわざ食事まで与える訳」

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