世界の終わりの実験

ことはたびひと

世界の終りの実験

 男は金に困っていた。

 男は街の中華料理店で働くコックで、毎日決められた料理をオーダーの数だけ使るのが彼の仕事だ。

 男は作っては食べさせ作っては食べさせるという、絶え間なく続く変わり映えのしない日常にうんざりしていた。

 加えて、経済は大がつくほどの大不景気。

 客の金払いは悪い。

 男は思い通りにいかない彼の人生にむしゃくしゃした。

 そんなある日、男の元に一通の手紙が届いた。

 手紙にこれから実施される実験に参加してほしいという趣旨の文章が綴られていた。

 謝礼も払われるという。

 男は一も二もなく実験に応募した。

 実験場に訪れると、メガネをかけた白髪の博士が男を出迎えた。

「これから行われる実験はとても凄惨なものです。これからあなたは人を肉体的に傷つける片棒をになってもらいます。引き返すなら今ですよ」

 博士は念をおすように確認する。

「へっ、人を傷つけるくらいどうてことない!金がもらえるんならなんだってするさ」

「そうですか。では、こちらへ」

 博士は男をある部屋に案内した。

 男が案内された部屋は一枚のアクリルガラスで二つに隔てられ、アクリルガラスの向こう側には椅子に縛り付けられた若い男が一人佇んでいる。

 手、足ともにがっちりと椅子に縛り付けられており、どんなに抵抗してもあの椅子からは逃げられそうにない。

「彼が縛り付けられているのは、電気椅子というものです。そう、よくスパイドラマで悪党どもが主人公にビリビリと苦痛を与えるアレです。今からあなたにはこのボタンを押して、電気椅子に縛られている彼にできる限り苦痛を与えてください。彼に苦痛を与えた時間の分だけ謝礼が支払われます」

 男は歓喜した。

 こんな簡単なことで金が手に入るなんて。

 男は一度も信じたことのない神様に、人生で初めて感謝した。

「どうしました?今なら実験を辞退してもいいんですよ。なにも無理ありません。こんな残酷な実験…」

「いいや、やらせてもらうぜ。博士。俺が厨房でどんだけの肉塊をぶった斬ってきたか、あんたは知るまい。骨を砕き、筋を断ち切り、返り血もかえりみず肉を捌いてきたんだ。いまさら人を傷つけることなんて気にするかよ」

 そういうと、男は嬉々としてボタンを押した。

 アクリルガラスの向こうでは若者が電気ショックを受け、もがき苦しみ絶叫している。

 男はそれを見て笑った。

 男は考えうる限りギリギリまでボタンを押し続け、それは博士が男からボタンを引き離すまで続いた。

「もうやめましょう。これ以上続けるとあの若者が死んでしまう」

 博士は剣を帯びた表情で言った。

 男は悪びれる様子もなく肩をすくめる。

「私は彼が本当に死んでしまっても、まったく平気だったでしょうね。私は課せられた責務を果たしたまでです。さあ、謝礼をもらおうか」

 そう言い放つと男は機嫌良く帰路についた。


「あの男、楽しんでましたね。僕の演技、そんなにうまかったですか?博士」

「傑作だったよ、君」

「それにしてもあの男、正念が腐ってますよ。いくら演技といえど、1時間も苦しみ続けるなんて途方がないです。あんな奴が世の中にはびこっているから、世の中はどんどん悪い方向へ転がっていくんですよ。で、これはなんの研究なんです?」

「”正義”についての実験さ」

「セイギ?」

 聞いたことのない言葉に若者は眉を寄せる。

「今はもうない昔の言葉さ。昔の人類はみな正義の心を持っていたというよ」

 博士はアクリルガラスの向こうを見ながらひとりごとのようにつぶやいた。

 アクリルガラスの向こうを見る博士の目は、実験室ではないどこか遠くを見ているような、茫洋とした憧れが宿っているように若者には見えた。

「セイギって何なんですか?」

「さあ、わからない。だから私は”正義”を見つけたいのだよ」

「この実験で見つかりますか?」

「私はそう信じている」

 そう答えると博士はゆっくりと立ち上がり、若者を置いて実験室から立ち去って行った。


 女は金に困っていた。

 女はシングルマザーで、子供を育てながら自らも弁護士になるために勉強に励んでいた。

 母子家庭の彼女の生活は火の車。

 愛しの我が子を有名な神学校に入学させることができず、女は我が子に対する罪悪感で押しつぶされそうだった。

 金。

 その一文字が彼女を苦しめる。

 そんな彼女が博士の実験に参加するのは当然の流れだった。

 「わたくしは、非常事態ではきわめて素晴らしい人間なのですわよ。なので、わたくしは人を傷つけるときは、何も考えずにやるべきことをやるのです。身震いもせず、たんたんと。ためらいもしませんわ」

 そう言って彼女はボタンを押した。

 若者のわめき声聞き女は

「ごめんなさい、ごめんなさい。息子のためなの」

と自分に言い聞かせながら、涙を流した。

 終わりはあっという間だった。

「ごめんなさい、もうできません」

 女は震える手でボタンを手で手放す。

「こんな思いをするんだったら、やらなければよかった」

 女は謝礼を受け取ると、袖で流れる涙を拭きながら愛しい我が子の待つ家へと帰っていった。


「あの女の人、かわいそうです。演技しているこっちまで悲しい気分になります。この研究なんの意味があるんですか!そもそもセイギって何なんですか!」

 若者は理解できないといったふうに抗議の声をあげた。

「ふーん」

 博士はあごに手を当てて、しばし思案する。

「この実験はあの女性を含めると何人目になるかね?」

「え?27回です」

「そう!私たちは27人もの被験者をこの実験室に連れてきては、君が苦しむ演技を見せたのだよ」

「はい」

「こんな非人道的で悪意でまみれた実験をしていると、普通は"こんな残虐な実験なんてしてはいけない"というふうに、被験者は実験をする前に私たちを止めるはずなんだ。わかるかね?」

「…。確かに」

「おかしいと思わないかね、君。何度実験を繰り返しても、それが起こらない。私たちが27回もこの実験を繰り返しても、まだそのような人間は現れないのだよ」

「⁉︎」

「私が思うに”正義”とは、悪しきをくじき弱きを助ける、清廉潔白な心意気をもつことではと思っているのだよ」

「じゃあ…」

「そう。魔王がこの世の半分を支配して80年が経った。魔王が世界を牛耳ったことで、世界経済は大きなダメージを負った。銀行は破産し、株は暴落、通道端には失業者で溢れかえっている。今の時代の人々に”正義”の心があれば世界はもっと平和で暮らしやすい世の中になっていたはずだよ。虐げられたあさましい日常に終止符を打ち、世を牛耳る諸悪の根源である魔王に立ち向かい、皆で手を取り合い平和と安寧を取り戻そうと奮闘する人々。彼らの胸にはメラメラと”正義”の心が燃えている!だが、しかし…」

「だけど正義はもうない」

 若者が悲しそうに博士のあとを引き継ぐ。

「そう、”正義”の心は人々の胸の中から消えてしまった。世界が魔王に支配された今、邪を払い正義を流布する勇者の存在が必要なのだよ。人々は勇者の誕生を待っている」

「それとこの実験がどう結びつくんです?」

「わからないかね、君?この凄惨な実験を見て実験が始まる前に"これは間違っている!"と私たちを静止したものこそ、善意と勇気を兼ね備えた者なのさ」

「じゃあ、この実験は…」

「そう、世界を救う勇者を探し出す実験だよ!」

 そう言って博士は無邪気に笑う。

「さあ、実験を再開しよう!100回でも1000回でも実験を続けようではないか!」

「え〜、1000回ですか!僕、過労でそれこそ死んじゃいますよ!」

 若者の悲痛な叫びが実験室内でこだました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の終わりの実験 ことはたびひと @Kotoha-Tabihito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ