エピソード 3ー7

 国境沿いにある丘陵地帯にグランヘイム国の駐屯地があった。そしてその駐屯地の正面、国境を挟んだ向かい側にはアヴェリア教国の部隊が展開している。

 アリアドネの率いる部隊は、その中間地点にあたる樹林に潜んでいた。目的はどこかに展開しているであろう敵魔術部隊の発見だ。部下の中から斥候が得意な者達を選んで捜索させているが、未だその影を踏めずにいる。


「……何処に潜んでいるのかしら?」


 敵の魔術師部隊の射程は弓矢より少し長い程度。

 グランヘイム国軍を狙うつもりなら、兵を配置する場所は限られてくる。そう分かっているのに、敵部隊をいまだ見つけることが出来ないでいる。


 ふと見上げた空には積乱雲、ぽつりと雨粒が降ってきた。このまま本格的に雨が降れば視界が悪くなり、敵の魔術師部隊を見つけることはより困難になる。

 それに、次の雷雨を合図に、敵魔術師部隊の能力をジークベルトに伝える予定だ。敵魔術師部隊を撃退できなければ、ジークベルトが魔術師部隊の対応に動いてしまう。

 彼に手柄を挙げる機会を与えてはならない。


 なにより、自国に敵魔術師部隊の脅威を印象づける目的は十分に果たせている。これより先は、いたずらに味方の被害を増やすだけだ。


 とはいえ、魔術師部隊が見つからなければどうしようもない。

 そうしてアリアドネが焦れている内に開戦の合図が鳴り響いた。雷雨が降り始める空の下、アヴェリア教国の兵達がグランヘイム国の駐屯地に向かって進軍を開始する。


(回帰前の歴史を知っていながら、なんてていたらくなの)


 アリアドネは回帰前に戦ったときの敵軍の陣形を覚えている。その傾向から、敵魔術師部隊の位置を割り出せる算段だった。

 なのに、予測位置に送った斥候の報告は空振りに終わっている。


(考えなさい。回帰前の傾向から導き出した予測は間違っていないはずよ。なのに、その場所に敵がいない。だとすれば……回帰前と前提条件が違う?)


 その可能性はあり得ると考えを巡らせる。

 回帰前に比べ、味方の被害は最小限に留まっている。アリアドネが事前に敵軍の脅威を警告した結果だ。だが、その戦況の違いが、敵の戦略に変化を与えた可能性はある。


「アリアドネ皇女殿下、あれを見ろ」


 ロランが指さしたのは味方の駐屯地だ。

 ジークベルトの率いる本隊が慌ただしい動きを見せている。


「敵の攻勢を受けきり、反撃に打って出るつもりね」


 だが、敵の魔術師部隊を押さえられなければ、その反転攻勢は失敗する。攻勢に出た先鋒に儀式魔術による落雷が落ちるから。


(……違う。回帰前と違って、いまのアヴェリア教国軍は劣勢なのよ。なのに、敵の出鼻をくじく程度じゃ意味がない。彼らが勝利を目指すのなら……)


 アリアドネは素早く周囲を見回した。

 アヴェリア教国軍は国境を挟んで駐屯地の向かい側に展開されている。そして、そのあいだの丘陵や、樹林の影に魔術師部隊は潜伏していなかった。

 だが、その辺りから魔術が届くのは、グランヘイム国軍が打って出たときだけだ。だけど――と、アリアドネは国境のこちら側、駐屯地の側面をその宝石眼で睨み付けた。


「あの丘陵の向こう側へ斥候を向かわせて!」

「あっちは味方の――っ、そういうことか!」


 アリアドネの思考を読んだロランが即座に斥候に命令を下す。

 それを横目に、アリアドネは素早く考えを纏めた。


 雷雨に遭わせて敵軍が動いたのは、雷の儀式魔術を使うつもりだからだ。だが、グランヘイム国軍の先鋒に落雷を落とせる位置に、敵の魔術師部隊は見当たらない。ならばどこにいるのか? 彼らの目的はなにか? それを考えたとき、一つの可能性が思い浮かぶ。

 それは、敵の指揮官――王子の命を狙うことだ。


 国境を越えて奥深くまで魔術師部隊を送り込む。

 危険な任務ではあるが、魔術師部隊の特性――弓よりも射程が長い落雷攻撃であることをグランヘイム国に気付かれていない。そのことを前提にすれば、側面から駐屯地に接近し、本陣に落雷を落として離脱する策が立てられる。

 つまり、彼らの目的はジークベルトだ。そしてそれは、ジークベルトだけでなく、警告に向かったアルノルトも危険にさらされている、ということになる。


「斥候の帰りを待っている時間はない。私たちもすぐに移動するわ」

「――はっ!」


 護衛の騎士達に指示を出し、アリアドネもまた馬に跨がった。これから敵地に乗り込もうというのに、彼女の横顔にはみじんの迷いもなければ恐れもない。強い意志を秘めた横顔に魅せられたロランが口笛を吹けば、彼女は馬上からロランを見下ろした。


「ロラン、覚悟は出来ているわね?」


 彼女は本気で言っている。皇女として育てられたはずの彼女が、自然体で元歴戦の傭兵を気遣っているのだ。それを理解したロランは相好を崩した。


「――はっ。まったく、皇女様にしておくにはもったいない嬢ちゃんだぜ」




 アリアドネが率いる部隊はすぐにグランヘイム国軍駐屯地の側面へと回り込む。そこは、敵から見て国境の向こう側、それもかなり奥深い位置だ。


(本当に、ここまで切り札の魔術師部隊を侵入させてるの?)


 総指揮官であるジークベルトを討ち取れば、前線は一気に崩れるだろう。だが、相応の危険が伴うリスクの高い作戦だ。

 回帰前のギャレットなら選ばなかった策だ。もし自分の予想が間違っていたらと、アリアドネは一瞬だけ考え、すぐに頭を振った。


(ギャレット王子の目的は名声を得ること。戦争に敗北すれば彼の未来はなくなる。なら、ここで仕掛ける可能性は十分にあるわ。それに――)


 この予測が間違っていた場合、危険に晒されるのは先鋒部隊だ。非情ではあるが、次の機会を得ることは出来る。だけど、この予測があっていて、なおかつアリアドネの行動が遅れれば、ジークベルトが死んでしまうかもしれない。

 そこまで考えたアリアドネの脳裏によぎったのは、回帰前に蹂躙された領地の姿。まずはその最悪な未来を止めるために手綱を握り絞めた。


 土砂降りの雨音が、アリアドネ達一行の痕跡を消してくれる。それに任せて進軍速度を上げる中、グランヘイム軍の駐屯地に一発の雷が落ちた。

 同行している者達が一斉に息を呑む。


「落ち着きなさい。連中の魔術は照準を合わせるのに試射が必要なの。いまのは本陣に命中していない。動揺する必要はないわ」


 雨で頬に張り付いた髪を指先で払い、雨音にかき消されないように言い放つ。その凜とした声に味方は冷静さを取り戻すが、アリアドネの内心は穏やかではなかった。


(試射とはいえ、偶然当たる可能性は否定できない。何処に落ちたかが運任せな以上、想定していない被害が出た可能性もない話じゃない)


 たとえば、ジークベルトへ忠告に向かったアルノルトのところ、とか。そんな嫌な考えが脳裏をよぎり、アリアドネはきゅっと手綱を握り絞める。


 はやる気持ちを抑え、アリアドネ達は馬を進める。それから程なく、先行させていた斥候から、敵の伏兵を発見したという報告が入った。

 アリアドネ達は馬を下り、目視できるところまで徒歩で接近する。魔術師の数は十二、それに護衛の兵士は倍程度の数が見受けられる。

 そして、魔術師達は第二射を放つべく詠唱を開始していた。


「あれがアヴェリア教国軍の誇る魔術師部隊よ」  


 アリアドネの初陣に泥を付けた部隊。

 その動向を目で追っていると、ハンスが並びかけてきた。


「魔術師と兵士の混成部隊ですが……どうなさるおつもりですか?」

「……そうね」


 アリアドネは黙考する。数で負けている。しかも、相手は三分の一が魔術師だ。まともに当たれば味方が全滅することは避けられない。


(儀式魔術を発動させた直後なら有利に立ち回れるけど……)


 その場合、照準を合わせた落雷が本陣に落ちることになる。そのときの被害を考えると、敵の魔術が発動するのを待つ訳にはいかない。


「不意を突いて一当てするわ」

「この戦力差で正気ですか?」


 ハンスが目を見張るが、アリアドネは揺るぎなく頷いてみせた。


「ここで躊躇えば多くの民が犠牲になる。私は、それを許さない。だから――」


 民のためにその命を賭けなさい――と。

 先日、勝手に死ぬことを許さないと言ったその口で死ねと命ずる。


 ハンスを始めとした騎士達は、その命に異を唱えることなく頷いた。

 それを確認したアリアドネは、続けてロランへと視線を向ける。


「ここまで来た以上、私の命令に従ってもらうわよ?」

「傭兵が主の無茶な命令を聞くのは日常茶飯事だ。まして、おのれの信念に殉ずるのなら否はない」


 覚悟は出来ている――と。

 彼が口にすれば、同行する者達も覚悟を秘めた顔で頷いた。


 それを確認したアリアドネは一度目を瞑って覚悟を決め、それからパチリと目を開いた。アメシストの宝石眼が、強い意志を宿して未来を見据える。


「私が正面でおとりになって敵を引きつけるわ。だからその隙に、ハンスの部隊は右側面へ、ロランの部隊は左側面へ回り込みなさい」


 ハンスが無言で頭を抱えた。

 それでも、アリアドネの気性や能力を知るハンスの反応はマシな方だった。アリアドネの戦闘能力を知らないロランは、「冗談だろ?」と驚いている。

 だが、議論している暇はない。

 いまも敵の魔術師部隊が詠唱を続けているから。


「命令よ、側面に回り込んで私の合図を待ちなさい」


 葛藤するハンスと驚くロラン。最初に動いたのはハンスだった。彼は「ご武運を」と言葉を残し、部下を引き連れて右側面へと移動を開始。続けてロランが「ったく、とんでもない皇女様だぜ!」と悪態を吐いて、部下とともに左側面へと移動を開始した。


 アリアドネはそれを見送りながら、雨で身体に張り付いた髪を指先で払い除ける。それから深呼吸を一つ、ゆっくりと樹木の影から抜け出した。

 敵の総数、四十弱。

 その数にたった一人で立ち向かう。


(まだ、もう少し……この辺り)


 近すぎず、遠すぎず。敵がこちらに気付く前に足を止める。


「――まずは、敵に脅威と思わせないとね」


 アリアドネは雨の中、あえて派手な炎の魔術を行使する。アリアドネの突き出した手の平から火球が飛び出し、詠唱中の魔術師に襲い掛かった。

 ――が、それに気付いた敵の護衛が盾を使って炎を受け止める。


 敵は一斉にアリアドネを見た。

 だが、彼らの大半はすぐに魔術師の部隊を護ろうと防御陣形を取った。先頭にいた二人の兵士だけが、指揮官の命を受けて向かってくる。


「たった二人で、私を倒せると思っているの?」


 大胆不敵に笑い、アリアドネは腰に下げていた細身の剣に手を掛けた。一歩を踏み出しながら抜刀、向かってきた片割れの兵士の一撃を受け止める。

 次の瞬間、もう一人の兵士が斬りかかってくるが、アリアドネは片足を引いて側面に移動。鍔迫り合いをしていた男を盾にすることで、もう一人の攻撃を回避した。


 肝いりの魔術師部隊の護衛とあって、敵兵士の練度は高い。

 彼らは息を吐かせぬ連続攻撃を放ってくるが、アリアドネは巧みに敵の攻撃を細身の剣で受け流し、あるいはステップを踏んで回避する。


 濡れた服は動きを阻害し、ぬかるんだ地面は足を滑らせる。それでも、アリアドネは紙一重の攻防を続け、隙を見て風の刃を放つ。

 敵の魔術師部隊に襲い掛かる不可視の刃。だが、雨が風の刃を浮き彫りにする。敵の兵士は寸前のところで盾を構え、風の刃から魔術師部隊を護った。


「なにを手こずっているっ! お前らも手伝ってこい!」


 敵司令官の声が響いた。その声に応じ、新たな兵士が二人襲い掛かってくる。合計四人の連携をまえに、アリアドネは防戦一方に回る。

 そのあいだにも、敵の魔術師部隊は儀式魔術の詠唱を終わらせようとしている。


(まだ……あと少し……っ)


 一人目の攻撃を剣で受け流し、二人目の攻撃はサイドにステップを踏んで回避。三人目の攻撃は、二人目の敵を盾にして無効化する。

 だが、まだだ。

 そこに四人目の振るった剣が迫り来る。三人の攻撃を回避したアリアドネは体勢が崩れていて、その四人目の攻撃には反応が間に合わない。


「――ふっ」


 兵士が勝利を確信して笑みを浮かべる。けれど、アリアドネは寸前で魔術を発動、展開した結界でその攻撃を防いだ。


 四人の連携を乗り切った。そうして出来た束の間の空白。アリアドネは――反射的に上半身を捻った。逃げ遅れた髪を一本の矢が打ち抜く。

 後方に控える敵の兵士が放ったものだ。

 それに気付くより早く、四人の兵士が一斉に側面へと飛んだ。それにより、敵の後衛からアリアドネまでの射線が開く。

 直後に放たれるは無数の矢。

 アリアドネは即座に風の結界を発動する――が、雨を弾いた風の結界は威力を減衰。矢の何本かが結界を突き抜けてくる。


「――舐めないでっ!」


 アリアドネはそのうちの自分に向かってきた矢を細身の剣で弾き飛ばした。残りの矢はアリアドネの服や髪を掠めて突き抜ける。

 腕を掠めた矢が袖を裂き、アリアドネの腕に血が滲む。


 それでも、アリアドネはすべての矢を避けきった。

 敵は続けて矢を放とうとするが、アリアドネは前衛の敵を盾にする。兵士も射線を空けようとするが、アリアドネは巧みに動いて射線を確保させない。

 そして――焦れた敵の指揮官が新たな命令を下した。


 動き出す敵の兵士達。

 護衛の半数――十二人がアリアドネの元に押し寄せてくる。アリアドネは彼らをギリギリまで引き付け――空に向けて魔術を放った。

 雨の降る空が一瞬だけ白く瞬いた。


 雷を落とす儀式魔術を知る敵の兵士達は一瞬だけ足を止める。だが、アリアドネが放ったのは、ただの明かりを放つ魔術だ。

 脅威がないと気付いた彼らが再びアリアドネに攻撃を仕掛けようと一歩を踏み込む。直後、敵後衛の両サイドから、ハンスとロラン率いる部隊が飛び出してきた。

 彼らはまっすぐに敵の魔術師部隊に襲い掛かる。


「伏兵だと!? くっ、おまえ達、魔術師を護れ!」


 司令官の命令の下、残った兵士が防御に回る。けれど、詠唱中の魔術師は無防備で、護衛の半数はアリアドネに引き出されている。


 アリアドネを狙っていた兵士達が慌てて反転する。

 そうして彼らが背を向けた瞬間、アリアドネは全力で魔術を放った。彼女の足下から氷の蔦が地面を這うように広がり、押し寄せる兵士達の半数を絡め取る。


 次の瞬間、ロランが雄叫びを上げた。それに気を取られる護衛。その一瞬の隙をついて、ハンスが強引に防衛網を突破、魔術師の一人に一撃を入れた。

 本来なら、それで儀式魔術は止まったはずだ。けれど、魔術師は歯を食いしばって集中を切らさなかった。次の瞬間、儀式魔術が完成する。

 ――同時、ロランもまた包囲網を突破して魔術師に一撃を入れる。それによって儀式魔術は停止するが、最初の一撃は放たれてしまった。


 つんざくような落雷の音が辺りに響き渡る。おそらくは駐屯地に雷が落ちた。その一撃でどれだけの被害が出たのかは、ここからでは分からない。

 だが確実に分かるのは、儀式魔術の発動阻止に失敗したという事実。その考えに支配され、味方に動揺が広がる――直前、アリアドネが声を張り上げる。


「予定通り、敵に儀式魔術を使わせたわ! これで敵の魔術師は大半が魔力切れよ。いまのうちに敵の部隊を殲滅なさい!」


 次善策としての、敵の魔術師部隊に魔力切れを起こさせてからの奇襲。それが当初の計画であったかのように言い放った。

 これこそ、アリアドネが計画の詳細を語らなかった理由。


 こうして、敵と味方の入り乱れた激戦が始まる。


     ◆◆◆


「ジークベルト殿下、敵軍はこちらの防衛線を突破できずにいます」


 味方の報告に、ジークベルトは満足げに頷いた。駐屯地に本隊を置く彼は、味方の部隊を巧みに運用し、アヴェリア教国の執拗な攻撃を押さえ込んでいる。


「……いまのところ想定通りだな。アリアドネの戦力評価も間違っていない。魔術師部隊とやらの存在は気になるが、いまのところ姿は見えず、か」


 このままいけば、アヴェリア軍を撃退するのも時間の問題だ。そうなれば、ジークベルトはアヴェリア教国の軍を撃退した英雄として高く評価されることになるだろう。


 それはつまり、大きく水をあけられた継承争いで、再び盛り返せると言うことだ。

 その事実が、ジークベルトの認識を歪ませる。アリアドネの情報に罠があるかもしれないという警戒心は薄れ、罠はなかったのかもしれないという願望が顔を覗かせる。

 そんなとき、アルノルトが補給物資を届けに来たという報告が入った。


「アルノルト殿下が謁見を求めています。なんでも、至急伝えたいことがあるとか」

「――ちっ。おおかた、この状況に便乗して手柄が欲しいのだろう。その手に乗るか。この戦いが終わるまで丁重にもてなしておいてやれ」


 余計なことをさせずに監視しろと言い放ち、ジークベルトは戦況へと意識を戻す。それから四半刻と待たずして、敵の部隊が撤退を開始した。


「ジークベルト殿下、この機会を逃す手はありません」

「分かっている。追撃だ! この機会に敵を殲滅する!」


 平時の彼ならもう少しだけ慎重に動いたはずだ。

 けれど、アルノルトが面会を求めている状況。この機会を逃せば最大のチャンスを失うかもしれないというプレッシャーが彼の判断に影響を及ぼした。


 そして、ジークベルトは自ら陣頭指揮を執るために陣幕を出た。

 その直後、後方がにわかに騒がしくなった。


「何事だ?」

「アルノルト殿下が乗り込んできました。どうしてもいま話すことがあると」


 部下が報告している間にも、雨に打たれるアルノルト達の姿が見えた。敵ならばともかく、同国の王子が相手と言うことで、兵士達も対応しあぐねているようだ。

 向かってくるアルノルトをまえに、ジークベルトは舌打ちをする。


「いまは貴様と話している暇はない!」


 そうして身を翻そうとするが、駆け寄ってきたアルノルトに腕を掴まれる。


「聞け、ジークベルト。アリアドネ皇女殿下からの伝言だ。敵の魔術師部隊が得意とするのは儀式魔術。落雷による遠距離だ! 打って出たら狙い撃ちにされるぞ」

「またあいつか……っ」


 アリアドネの伝言が本当かどうか分からない。だが、落雷による不運に見舞われているのも事実だ。もし情報が正しければ早急に対策が必要だ。

 けれど、嘘だとしたら、ジークベルトは絶好の機会を逃すことになる。


 どちらが正しいか――と、ジークベルトは迷いを抱いた。

 冷静な彼ならば、迷わなかっただろう。

 もしアルノルトの忠告が誤情報なら、味方はそれによって勝利の機会を失うことになる。それはつまり、アルノルトの失態だ。

 つまり、そのような嘘を吐くはずがない――と気付けたはずなのだ。しかし、アリアドネを信じて罠に掛かったという経験が、ジークベルトの判断を鈍らせる。


「そのような戯れ言で、この機会を失ってたまるか!」


 ジークベルトがアルノルトの腕を振り払った。そして踵を返して歩き始めた直後、雨雲に覆われた空が何度か瞬いた。

 そして――つんざくような轟音。


 ジークベルトは強い衝撃を受け、なすすべもなく吹き飛ばされる。すぐに上半身を起こそうとするが、目がチカチカする上に、耳がキーンとして辺りの音が聞こえない。

 そうして頭を振っていると、ほどなく視界が戻り、「ジークベルト殿下、ご無事ですか!?」と心配する部下の声が聞こえてきた。


「……一体、なにが?」


 周囲を見回せば、自分が向かおうとしていた場所の地面がえぐれていた。その周囲には部下が何人も倒れ、ピクリとも動かなくなっている。

 その意味に気付いた瞬間、ジークベルトの背筋に悪寒が走った。


「……雷が、落ちたというのか?」

「ジークベルト、すぐに兵を移動させろ、次の落雷が来るぞ!」

「なにを言っている。落雷がそう何度も同じ場所に落ちるものか」

「違う! それは敵の魔術師部隊の攻撃だ! アリアドネ皇女殿下によれば、ある程度は連続で雷を落とすことが可能らしい、急がなければ次が来るぞ!」


 アルノルトの鬼気迫る剣幕に味方が狼狽えた。

 こうなっては、部下を落ち着かせるためにも警告に応じるしかない。ジークベルトは舌打ちをしながらこの場からの退避を命じた。

 ほどなく、再び空が瞬いた。また落雷かと身構えるが、思ったような衝撃は来ない。代わりに、二度三度と続けて空が白く瞬いた。


「ジークベルト殿下、光による通信です!」


 護衛の一人が丘の中程を指さした。

 そこには、光を纏った手を掲げる人の姿。あまりに遠く、顔を判別することはできない。けれど、ジークベルトにはそれが、アリアドネだと分かった。


「……また、あいつか。また……っ」


 屈辱に唇を噛む。


「光による通信、解読します! ワレ、マジュツシブタイ、ゲキタイセリ。繰り返します。ワレ、マジュツシブタイ、ゲキタイセリです!」

「俺の部下が敵の魔術師部隊を抑えた、もう落雷の心配はないぞ!」


 叫んだのはアルノルトだ。

 その意味に気付いたジークベルトの部下がはっとした顔をする。


「ジークベルト殿下、好機です!」

「……分かっている。全軍、追撃を再開しろ……っ!」


 ジークベルトの命令を周囲の部下が復唱。

 それが波のように周囲へと広がっていく。その命令は正しく実行され、ジークベルトの軍を引きつけようと待機していた敵軍に食らいついた。

 敵の部隊は、落雷による支援攻撃を期待していたはずだ。だが、落雷による攻撃は発生しない。ジークベルトの軍は蹂躙を始め、ほどなく敵軍は敗走を始める。

 次々に届くのは敵部隊撃破の報告。

 響き渡る勝ちどきの声。


 勝敗は決した。グランヘイム国軍の勝利だ。そんな声が戦場に響き渡る中、ジークベルトだけは屈辱に打ち震えていた。


(アルノルトが魔術師部隊を抑えなければ反撃の機会は失われていた。それどころか、アルノルトの警告がなければ死んでいた。これでは、とても俺の勝利とは言えない……っ)


 結果を知った民は、敵軍を撃退した英雄としてジークベルトを持て囃すだろう。だが、事実を知る国の有力者達は、アルノルトこそが次期国王にふさわしいと思うはずだ。

 そうして民意と権力者の意見が割れたとき、継承権の正当性に焦点が当てられる。そうなったとき、圧倒的に有利なのはアルノルトの方だ。

 正当な王位継承権を持ち、真の王族の証を持つアリアドネを婚約者にしている。アルノルトにとって、民意はいつでも得られるものなのだ。

 対して、ジークベルトにはそれがない。


「俺にも正当性が必要だ……」


 味方が勝利の美酒に酔いしれる中、ジークベルトは暗い顔で呟いた。

 

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