エピソード 3ー6
それから数日と経たず、あまりにも呆気なく、アヴェリア教国との戦争は始まった。
最初は国境沿いに集結した敵軍と、駐屯地のあいだで起きた小競り合いだった。それがすぐに激化して戦争へと発展する。
そんな中、アルノルトが指揮を執る補給部隊の運用も開始される。
王都から国境まで通常なら三日程度。
だが、それは道なりに向かった場合の時間だ。国境沿いに向かうには、ローズウッドの周辺にある封鎖中の町や村を通る必要があり、そこを迂回すると余計な時間が掛かる。
アリアドネは通り道にある村や町に治癒魔術師を派遣して、従来通りの時間で輸送できるように調整する予定――だったのだが、その計画はあっさりと崩れ去った。
アルノルトが、既にそれらを終えていたからだ。
(やはりアルノルト殿下は優秀ね)
穏やかな物腰に惑わされがちだけど、その能力は間違いなく飛び抜けている。回帰前のアリアドネも、アルノルトにはよく苦戦させられた。
そんな彼が味方になったいま、安心して輸送を任せることが出来る。
また、アリアドネが勧誘したロランも優秀だった。アリアドネから資金を得た彼は多くの伝手を使い、必要なだけの物資と、それを運ぶ馬車を瞬く間に用意した。
こうして、国境沿いにある駐屯地への補給は滞りなく始まった。
そして数週間が過ぎたある日、十数度目の補給部隊が出発する。その部隊を指揮するのはロランだが、そこに護衛騎士を引き連れたアルノルトとアリアドネが同行していた。
アリアドネが願い出た結果である。
「アリアドネ皇女殿下、一体なにがあったのですか?」
馬上で揺られていると、馬を寄せてきたアルノルトが話しかけてくる。
「申し訳ありません、急に私と補給部隊に同行して欲しい、などとお願いして」
「いえ、それはかまいませんが、王都で指揮を執っていた貴女が、補給部隊に同行を申し出た。それも、完全武装で護衛を引き連れて。なにかあると言っているようなものではありませんか?」
今日のアリアドネはドレスを纏っていない。腰には剣を吊るし、狩猟大会に着てきたよりもさらに戦闘を意識した身なりをしている。
アリアドネはそんな自分の姿を見下ろし、「お察しの通りです」と微笑んだ。
「やはりそうでしたか。それで、なにが起きるのですか?」
「起きる――ではありません。既に起こっているのです」
アリアドネはゆっくりと空を見上げる。
真っ青な空、その遙か遠くには積乱雲が浮かんでいた。
「アルノルト殿下、あの大きな雲がなにかご存じですか?」
「積乱雲のことですか?」
「ええ。時に雷雨を降らす雲です。あの方角に積乱雲があるということは、きっと今頃、国境沿いは強い雷雨に見舞われているのでしょうね」
アリアドネが呟けば、アルノルトがハッと目を見張った。
「そういえば、ジークベルトの率いる部隊が落雷による不運に見舞われ、攻勢の機会を逃したという噂を聞きました。敵軍はずいぶんと運がいいと思いましたが……まさか」
「運によるものではありません。それは敵魔術師部隊の攻撃です」
「アヴェリア教国の魔術師は雷を操る、と?」
アルノルトは信じられないといった面持ちだが、それも無理はない。
戦場における一般的な魔術師の攻撃というと、矢の延長線上にある遠距離攻撃だ。グランヘイム国に雷を落とすような魔術は存在しない。
ただ、これはグランヘイム国が魔術で遅れているという意味ではない。
「アヴェリア教国は宗教国家です。それゆえ、魔術も神の奇跡として扱っており、魔術の研究もそちらの方面に偏る傾向があります」
「儀式魔術、ということでしょうか?」
「ご明察ですわ」
集団で神に祈り、天候を操る。
落雷の魔術は、その研究のおりに生まれた副産物だ。
なお、グランヘイム国は魔導具や個々で使用する魔術の研究に力を入れている。アヴェリア教国とは求める方向が違っているのだ。
その話を聞いたアルノルトは考える素振りを見せた。
「儀式魔術……聞いたことがあります。たしか、発動にかなり時間が掛かるなど、使い勝手の悪い魔術ではありませんか?」
「その通りです。ですが――」
アリアドネは再び空を見上げる。
それに釣られて空を見上げたアルノルトがハッと息を呑んだ。
「攻撃を自然の落雷に見せかけ、攻撃であると気付かせない……?」
「ええ。儀式魔術による攻撃だと気付けば、対処はそう難しくありません。ですが、自然による落雷だと、不幸な事故だと思っていたら……?」
「対処せず、攻撃を食らい続ける、ということですね」
部隊規模で考えたとき、落雷に対して取れる対処はそう多くない。けれど、敵の攻撃魔術であると知っていれば、いくらでも対処することが可能なのだ。
だが、ここぞと言うときだけに放たれる雷雨に紛れての攻撃であったがゆえに、それが攻撃であると気付くのが遅れた。
それこそが、回帰前のグランヘイム国が苦戦した大きな要因だ。
そして回帰後のいまも同じことが起こっている。
攻勢の機会を、不運にも落雷を受けたことで逃したとジークベルトは思っている。そのまま戦い続ければ、次の機会も落雷による不運で失うことになるだろう。
「アリアドネ皇女殿下。貴女はその事実を……」
意図的に秘匿したのかという問いかけに、アリアドネは少しだけ寂しげに微笑んだ。
ジークベルトは悪人じゃない。ただ、アリアドネにとっての敵であるだけだ。そして、ジークベルトに仕える者達も同じだ。彼らは彼らの信念のために戦っている。
それでも、アリアドネは躊躇わない。
彼に功績を挙げさせるということは、味方の命を危険に晒すも同然だ。だからアリアドネは、自国軍が苦戦するのを知りながら、必要な情報を秘匿した。
とはいえ――
「自国の被害は少ないに越したことはありません。アルノルト殿下は頃合いを見て、ジークベルト殿下に警告をお願いします」
「……警告、ですか?」
「正しくは、ジークベルト殿下が不運に見舞われているのではなく、敵の攻撃にしてやられていることを教えてあげる、ですね」
アリアドネの目的は、ジークベルトには過度な手柄を立てさせずに、アヴェリア教国軍を撤退させることである。そして、そのためには、ジークベルトが不運なのではなく、敵の攻撃にしてやられていることを知らしめる必要がある。
だからこその警告なのだ。
「理解いたしました。しかし、それを私に頼むと言うことは……?」
「ええ。私は敵の魔術師部隊を叩きます」
「危険です! 貴女が魔術師部隊と戦う必要はありません。私が部隊を率いて魔術師部隊を叩くので、貴女がジークベルトに警告してください」
「いいえ、ジークベルト殿下に警告をするのは貴方でなくてはいけません。私はラファエル王の娘であり、ジークベルト殿下の妹ですから」
婚外子であるがゆえに、グランヘイムを名乗ることは認められていない。
それでも、彼らの血縁としては認められている。アリアドネの助言でグランヘイム国軍が勝利したとなれば、血縁であることを必ず利用される。
だから、ジークベルトに助言するのはアルノルトでなければならない。
「私がそのような詭弁に騙されると思っているのですか? その理論ならば、貴女が魔術師部隊を撃破しても同じことではありませんか」
「いいえ、魔術師部隊を撃破するのは、貴方に命じられて動く部隊です。その部隊の指揮官が私であることは公表する必要がありません」
それどころか、仮に公表したとしても、多くの者は信じないだろう。だから、この割り振りが最善なのだと主張する。
アリアドネの主張を聞いたアルノルトは吐息を零した。
「止めても、無駄なのでしょうね」
「ええ、これは必要なことですから」
「……分かりました。以前にも言ったとおり、私は貴女の生き様を否定しません。ただ、一つだけ約束してください。私の元に、必ず帰ってくると」
「アルノルト殿下、恥ずかしいセリフは――」
「私は本気ですよ」
エメラルドの瞳に見つめられ、アリアドネは思わずその身を固くした。そうして言葉を失うアリアドネに対し、アルノルトは静かな口調で続ける。
「貴女はタイミングよくパーティー会場に現れ、毒を盛られた母上を救ってくださいましたね? そしてふらりと参加した狩猟大会では、襲撃された私を救ってくださった。あれらがすべて偶然だったと、私が考えている――なんて、思ってませんよね?」
「それは……」
回帰前の未来を知っていたからこそ出来たこと。だが、それを説明できない以上、怪しまれても仕方がない。それを理解しているアリアドネは言葉を濁す。
視線を彷徨わせるアリアドネに対し、アルノルトは優しい笑みを浮かべた。
「そのような顔をしないでください。私が言いたいのはただ、貴女が無茶をしているのはとっくに知っている。知った上で、貴女に惹かれている、と言うことです」
「い、いま、そういう話はしてませんでしたよね!?」
権謀術数を張り巡らせて、無茶ばかりしている。そんな性格もひっくるめて好きだと言われた。それに気付いたアリアドネの頬が瞬時に紅く染まる。
けれど、アルノルトは余裕の笑みを絶やさない。
「そういう話です。だから、貴女は好きなだけ無茶をしてくださってかまいません。ただし、必ず私の元に戻ってくると約束してください」
「それは……」
戦場で命の保証なんてない。なのに、そんな約束になんの意味がと困惑する。そんなアリアドネに向かって、アルノルトは茶目っ気たっぷりに笑った。
「ああ、そうそう、私を愛する努力も忘れないでくださいね?」
「ばっ、バカじゃないですか!?」
こんなときになにを言ってるのかとアリアドネは声を荒らげた。
「そうかもしれませんね。ですが、戦場で単独行動を望む婚約者を持つ者としては、これくらいの寛容さが必要と思いませんか?」
「し、知りませんっ!」
アリアドネはぷいっと視線をそらした。
だが、アルノルトが心配してくれているのは一目瞭然だ。なのに、彼はアリアドネの性格を理解し、婚約者としてふさわしくあろうとしてくれている。
それを理解するアリアドネは、明後日の方を向いたままにぽつりと呟く。
「でも……アルノルト殿下のそういうところ、とても素敵ですよ」
「……え?」
そんな返しは予想していなかったのか、アルノルトがぽかんとした顔をする。彼は思わずといった感じで聞き返そうとするが、アリアドネはすぐに話題を変えてしまう。
「とにかく、私が敵の魔術師部隊を抑えます」
「なら、せめて私の護衛を連れて行ってください」
「いえ、それは……さすがに」
アリアドネの動かせる騎士が少ないのは事実だ。
けれど、補給部隊の護衛を減らすのは問題がある。なにより、彼らはアルノルトの護衛だ。その者達をこの戦場で減らす訳にはいかない。
「――なら、俺達が同行しよう」
二人の会話に割り込んだのはロランだ。彼は商会の会長として兵站の輸送を管理しつつ、元傭兵団という強みも活かし、護衛の部隊も指揮している。
そんな彼らが同行するのなら心強い。
けれど――
「ロラン……相手が人間であると、分かっているの?」
道中で襲撃してくる敵の大半は魔物だ。
だが、いまから戦いに赴く相手は魔術師、つまりは人間だ。それも思想が違うだけの、なにかを成すためにがんばる人間だ。
そんな人間を殺すことになってもいいのかと問いかける。けれど、その言葉を受けてなお、ロランの瞳に迷いは生まれなかった。
「傭兵は金のために人を殺す。だが、いまは違う。己の信念のために名乗りを上げたんだ。そうして敵を殺すことに迷うほど腑抜けちゃいねぇぜ」
「……分かりました。では、私の指揮下に入りなさい」
「ああ、とっくにそのつもりだ」
その銀色の髪をかき上げて笑みを浮かべる。
そんな彼に感謝したアリアドネは、続けて護衛の騎士達に指示を飛ばす。それから、最後にアルノルトへと視線を向けた。
「では、アルノルト殿下は警告をお願いします。それと、敵の魔術師部隊との距離には気を付けてください。落雷に当たれば、どんな英雄でも関係ありませんから」
「分かりました。あなたも気を付けてください。それと――」
彼はアリアドネに気遣う素振りを見せた後、ロランへと視線を向ける。
「ロラン。傭兵としての噂は聞いている。それに、補給部隊を手配する手腕も見事だった。ゆえに、私の代わりに、アリアドネ皇女殿下を護れ」
「ええ。皇女殿下のことならお任せください」
ロランがかしこまる。
けれど、アルノルトはそんな彼に「だが――」と付け加えた。
「ロラン、彼女が私の婚約者であることは忘れるな」
アルノルトはアリアドネからは見えない角度で獰猛な笑みを浮かべた。それを見たロランは一度目を瞬いて、それから犬歯を露わにする。
「はっ! いいぜ、覚えておいてやるよ。――いまのところは、な」
ロランが王子に対して非礼な態度をとる。
けれどアルノルトはそれを咎めず、ただ笑顔で彼を睨み付けた。そしてロランもまた笑顔でその視線を受け止めている。
なぜか火花を散らす二人をまえに、アリアドネはこてりと首を傾げた。
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