エロスに溺れるブエノスアイレスの夜(アルゼンチン)

 平均年一回の割合で訪問しているアルゼンチン。8割の人は「何がそんなにいいの?」と尋ねてくる。そりゃあそうだろう。雄大な景色、旧スペイン時代の建物、美味しい牛肉、その辺りを並べても「それ、ほぼすべての中南米の国々にあるじゃん」という表情をされる。事実その通りだと思う。ではアルゼンチンならではと言えば?と敢えて差をつけるなら、アルゼンチンタンゴだろう。

 タンゴはブエノスアイレスの中心部マージョ広場から南に4km程のところにあるボカ地区が発祥と言われているが、実はウルグアイの港町が発祥という説もあるので厳密に言えばアルゼンチンだけのものではないのだろうけど、やはりアルゼンチンと周辺国との違いを挙げるならタンゴショーを楽しめるところだろうと思う。

 

 アルゼンチンタンゴは官能的だ。男女が身体をぴたりと密着させ艶めかしく相手を誘い合う。身体を絡め合い情熱的な駆け引きを表現する場面ではダンスの技術に感動し、その先にあるエロスのくだりは周囲の空気に湿度を与え、名残を惜しむような去り際の哀愁は成熟した大人の関係を思わせる。

 まるで台詞のない何篇ものストーリーが舞台上に湧き上がっては霧散していくようだ。そしてそれらのストーリーは単純な恋愛やセックスよりももう少し複雑でエロチックで刹那的な雰囲気を持っている。

 アルゼンチンタンゴは18世紀後半、ブエノスアイレスの接するラプラタ川の周辺地域から広まっていったと言われている。今はカラフルな景観の観光地として有名なボカ地区も、昔は移民や下層階級の市民たちが集まる雑然とした港町だった。元々タンゴは港の酒場に集まる船乗りの男たちが踊ったのが始まりと言われている。様々な場所から船が寄港するので当然人種も言葉も違う。音楽を共にしタンゴを踊ることで交流が育まれた。タンゴは言語以外でのコミュニケーションツールとして一役買っていたのである。 やがて娼婦を相手に踊るようになり男女が向かい合う現在のスタイルが確立されていく。その後いつからか娼婦が自分を売るためのアピールとして披露されるようになっていった。

 女性の妖しくうねる腰の動き、思わせぶりな視線、そして男の身体に自身の腕や脚をしなやかに絡ませる。だが男がその腕や脚を触ろうとすればするりと逃げていく。その姿はまるで、私を買いたいならもっとあなたの魅力を感じさせなさい、と挑発しているように見える。

 プライドすら感じるその媚びないエロスの在り方に私はいつも清々しさを覚える。


 タンゴミュージックも素晴らしい。アルゼンチンタンゴでは特にバンドネオンという楽器が特徴的だ。形はアコーディオンピアノのようだが、キーではなくボタンで演奏する。風圧によって力強くも繊細にも奏でることができる。洗練された音というよりは味わい深いノスタルジックな雰囲気が強いだろうか。だがタンゴダンスと一緒になるとこれ以上なく心に響く音色に変わる。ストーリーに彩りを添え、物語を一段階高みへと押し上げる。

 タンゴショーの開始は夜。オレンジ色の街灯に照らされた石畳が濡れたように光り、高揚感を煽る。ディナーやお酒と共に楽しむスタイルが一般的だが、本当に良い舞台はグラスを持つことも忘れてつい魅入ってしまう。日本でも上演することがあるはずなので機会があればぜひ、バンドネオンの生演奏と共に蠱惑的なエロスの世界に浸ってもらいたい。

(2022年最新訪問)

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