祈り(終)

 遠くには、ぼんやりと街あかり。走っているうちにいつのまにか街へとたどり着いていた。

 会わなければいけない人物がいる。木造りの扉を開き、中に佇む背中に目をやる。影が振り向いた――いつもと変わらない華美な金髪。机上の皿には、ローストビーフの欠片とナイフ一式が取り残されていた。食事中だったらしい。

 煮えくり返るはらわたを抑え、冷静に語りかける。


「ポーチエレン。戸締り無しなんて、いくら田舎でも不用心だろう」

「ジョージこそ、教会に来いって言ったじゃない。どうして私の住処に」


 朴訥とした口調で呟けば、ポーチエレンが頬を膨らます。可愛らしい仕草も今は酷薄に映った。


「教会には火が点ってないから、歓迎されてないと思ってな。お前こそ、家でディナーと洒落込んでるのは何故だ?」

「死体の始末は力仕事だもの、体力補充に食事してただけ。ジョージって迷いやすい性格だから、お姉さんを殺すまで時間がかかると思って」


 こともなげに首を傾げ、ポーチエレンの白い首筋に髪が零れ落ちた。顔馴染みが姉を手にかける間に、のうのうと肉を食う。いい加減偽善者っぷりに呆れて、重い口を開く。


「もう、友だちごっこは終わりにしよう」


 ポーチエレンは、澄み切った瞳でじっと俺を見据えていた。数秒の間を置いて、唇がかろうじて蠢く。


「どうしてそんなこと言うの?」

「――最近いやに濃い香水付けてたのは、不吉な体臭を隠そうとしてだろ?」


 ポーチエレンのペースに呑まれまいと、ちぐはぐな質問で切り返す。思惑通り彼女は目を剥いた。


「お前は墓地の管理権を利用して、エミリア以外の犯罪者からも死体処理を請け負っていた。恐らく、日曜昼に教会で開かれる集会を利用して顔合わせしてたんだろ?誰が出入りしても怪しまれないからな。けどその内、血の匂いが染み付いて、神父に勘づかれた。誤魔化そうと香を焚いてたみたいだが、筋金入りの殺人鬼にかかれば嗅ぎ分け朝飯前だ」


 鼻をつつき歪に笑うと、ポーチエレンは後ずさった。図星なのだろう。


「殺人を利用する背徳シスターめ」

「だからなんだって言うの!」


 言われ放題で堪忍袋の緒が切れたのか、ポーチエレンが立ち上がった。


「ジョージだって死体処理の世話になってたでしょ!?恵まれない人のために、私なりに尽くしてたんだよ!?」

「違うね」


 必死の反論を無視し、かぶりを振る。


「死体処理請負で稼いでたことが露見したお前は、職権濫用と背信で破門になりかけてた。そこへ、姉を殺そうか迷ってる俺が相談に来た。そこでお前、エミリアを葬るように唆し、彼女に罪を着せることにしたんだ。恵まれない人のためなんて大嘘、利用するだけ。違うか?」


 かつて天使だった彼女は、俯いて黙りこくっていた。

 沈黙が痛く沁みた。悔しくも悲しくもなく、心の奥が強く踏み躙られるような苦い気持ちに支配されていた。少なくとも俺は、ポーチエレンだけは味方だと信じていたのに。だからエミリアとともに墓地まで赴いたのに。それでもやはり疑いを捨てきれなかった。

 やがてポーチエレンは、ロザリオを外し――床に叩きつけて踏みつけた。


「なっ!?」

「神よ、背信をお許しください」


 絶句する俺をよそに、彼女は悠々と歩を進める。


「ジョージの言ってること、半分正解で半分嘘だよ。私の本当の目的は、『ジョージとエミリアを殺すこと』。死体処理で金儲けなんてのは、おまけ」

「何を……何を言ってるんだ、ポーチエレン」


 声を張り上げることしかできない。最初からターゲットだったとは気づかなかった。

 当のポーチエレンは、悲壮に打たれた顔で俺を見上げていた。


「ジョージ、私にもね、お姉ちゃんがいたの。名は、エディリーティアだったわ」


 エディリーティア。聞き覚えのある名だった。

 そしてこの金髪、微笑み、面影から記憶を辿れば――二年前に顔を破壊した、あの女生徒へと行き着いた。俺の赤毛を理由にエミリアを苛めた少女。


「姉は顔を破壊され、人生が破滅した。縁談も仕事も全てパア! ジョージみたいな貧乏人には、転落の辛さは分からないだろうけどね」

「余計な軽口は慎め」

「で、そんな時丁度、犯人のエミリアは転院処分だと聞いたから、復讐のために私も神学校に入ったの。それから一年と少し、大変素敵な復讐をさせて貰ったわ。転院処分の間のこと、エミリアは話したがらなかったでしょう?」


 ポーチエレンはケタケタと笑った。

 確かにエミリアは、離れていた間のことには触れなかった。相当酷い仕打ちを受けていたのだろう。


「そして向こうの神学校にいる間、エミリアには弟がいるって知った。弟くんもエミリアの愚行の責任をとるべきだよね。そんな訳で、今度はあなたへの復讐のために、わざと転院処分になったの」

「俺を騙したのか!?」

「騙すだなんて! 私はただ、ちょっと媚を売っただけだよ? ジョージったら赤毛の外されっ子だったから、取り入るのなんて簡単だったけど!」


 態度を裏返した彼女には、憐れみのひとつも湧かない。全身の血は怒りに染まり、拳は小刻みに震えていた。この数年間ずっと、俺とエミリアを利用していたというのか。


「帰ってきたエミリアは、私とジョージが仲良くしてることが気に入らなかったみたい。けど赤毛と仲良くする物好きなんて他にいないから、たった一人の友達を排除して孤立させる訳にもいかなくて苦しんでたねぇ」


 髪を指に絡ませ、ポーチエレンが呟いた。言われて思い出す――姉と再会した時、ぎこちない表情だったこと。その時俺は『ポーチエレンと一緒』だった。

 あとはもう言わずとも分かる。ポーチエレンの標的は自分だけだと考えたエミリア。俺へ危害が加わらないようにと、破門になるような行為に手を染め、神学校から去った。

 しかし今となっては、エミリアの努力は全て水泡に帰したと分かる。全てはこの女の策略の元だった。歯ぎしりを重ねた。ポーチエレンは瞳を狂気に染め上げ、下卑た声で高笑いする。


「滑稽だよねぇ!」


 醜く歪む表情を目にして、憎悪がさらさらと溶け、青色の感情に変わる。人生を無意識に縛り続ける中に、よく見知った誰かの影を見た。眼前で狂喜するこいつも、昔は一途に姉を慕っていたはずだ。でなければ、いくら姉妹といえどここまで手の込んだ復讐はしない。

 エディリーティアの顔を破壊したことは許されない。しかし、赤毛の弟を理由にエミリアを虐げようとした彼女も、また許されないだろう。目を細めながら、自らの思索をつつき回す。

 復讐に取り憑かれたポーチエレン、赤毛で俺をからかったエディリーティア、俺やエミリアも、結局神から見れば皆同じ。たりない落とし子で咎人なのだ。

 人を裁けるのは、所詮人間のみ。ならば俺はこの女を裁いてやらねばなるまい――元神職としてではなく、元友人として。懐のナイフに指を添えた。

 自責と迷いなら霧散した。吐き出される浅い吐息に噛み付いて、鼻と鼻を突きつける。


「神を冒涜しているのはお前だ!」


 ポーチエレンの胸を目掛け、深くナイフを突き立てた。謀略に溺れる背徳のシスターも、百戦錬磨の殺人鬼には敵うまい。布を裂く触感ののち、刃の向かいの肉が脱力する。


「か……ッ」


 ポーチエレンは一度びくりと痙攣して、そののち床に倒れ込む。意思を失った肉は床に叩きつけられた。あたり一面に飛び散った血液を集めすくって、整った顔にぶちまけた。


「ほら、飲めよ。好きなんだろ?穢れた血だ」

「ぅ゛ふぅっ……!」


 俺は引き笑いをした。


「少しはいい顔になってきたじゃねぇか。見事な死に化粧だ」


 胸元を傷つけられながらも、彼女の心臓はまだ蠢いている。


「残念だがお前の復讐は失敗だ。エミリアは生きてる!」


 俺はテーブルの足を蹴り倒した。しつらえたディナーは一気に倒れ、ワインボトルは横倒しになった。俺のマントにワインが零れ落ち、毒々しい朱に染まる。肉やサラダはポーチエレンの顔や胸にぶちゃぶちゃと掛かった。

 空に落下していくナイフを右手でひったくり、汁まみれになったポーチエレンの頬に突きつける。


「餞別だ。あばよ」


 ナイフの先端を肉に刺し、さくりとめり込ませる。あとは肉の筋や骨に沿ってナイフの刃を滑らせ、血やソースが流れ出ないように、綺麗に刃を引いていく。白い皮を取り除くと、生き造りは激しく震えた。全身の穴という穴から液体を垂れ流し、浅薄呼吸を繰り返す。


「んう゛ぅ゛う゛ぅ゛ぃ゛ぃ゛い゛ぎぃあああえおあああえあ」


 ポーチエレンの体はバウンドし、それきり動かなくなった。失神したのか、あるいは死んでしまったのか。

 広げた掌からナイフが滑り落ちる。呼吸ひとつすら聞こえない静寂が訪れた。俺はポーチエレンの身体から離れ、何事もなかったようにローストビーフの切れ端を摘んだ。芳醇な香りに劣らない、深い旨味が口内に広がる。

 その時、後ろに何かの気配を感じた。血走った目で振り返る。

 夜の闇の中でもよく分かる。開かれたドアの向こうに立っていた茶髪、それは――


「ジョージ……あなた……いったい」

「……エミリア」


 しくじった。今彼女を見ての、感想の全てだ。

 エミリアが膝から崩れ落ち、震える手を頬に添えた。綺麗な色の瞳が、涙で揺らいでいる。


 エミリアは呆然として俺を見上げる。


「どうして、ポーチエレンがこんなことに、ジョージ」

「エミリア。ポーチエレンに虐げられてたこと、俺に隠してただろ」


 姉は肩を震わせ、目に見えて狼狽えた。


「大丈夫だよエミリア。猫も人間もみんな同じ肉塊だ。神は然るべき審判を下す」


 蹲るエミリアを見下ろし、平坦な口調で続けた。細い肩をびくびくと震わせる様は、浅く浮いた絶望に両手を括りつけられ、暗い空海を漂っているようだった。

 在りし日、エミリアが切り裂いた猫と、冷たく横たわるポーチエレンを脳内で重ね合わせた。浅く刺さったままのナイフをもう一度押し込む。


「ジョージ、いったいどうしちゃったの。ポーチエレンは、あなたのお友達だったでしょう、なんで、どうしてこんなことッ」

「神徒でありながら背徳した、だから裁いた。けどな、エミリアは殺してなんかやらない。今まで自分が殺してきたヤツらについて、聖人ぶった幼稚な頭で自責しろ!それで……それで……」

「ジョージ。あなたはこの先どうやって生きていくつもりなの」


 その言葉に、暫し沈黙した。

 これまでは、エミリアとともに人を殺めては報酬を得てきた。しかし、エミリアと決別すれば仕事の斡旋口が消え、俺は浮浪するのみ。

 例えるなら針鼠である。人間に憧れるがゆえにせめてでも近づこうとするが、同時に自らの醜悪さをまざまざと思い知り、恐怖を抱えるのみ。針の刺さらない距離をもう二十年近く探し続けている。意味がない。意味がない。希死念慮さえ意味がない。そのために必死に生にしがみつくが、可能性を手放した日々は、全てがセピア色だ。


「エミリア。俺は――鮮血の使徒だ」


 生まれてからこの日まで、散々に後ろ指を刺されてきた。ならばもう悪魔でも構わない。ただ、生きるなら、何としてでも真っ直ぐに。


「俺はこれからポーチエレンみたいな、神の世の理を歪める異端者に血の裁きを下す。そして――神様の愛する美しい世界を実現させる」

「違う!そんな世界、美しくなんかない!血に塗れて汚れてるだけ!」


 エミリアは涙を零しながら絶叫した。


「エミリア。何が美しいかを決める法など存在しない。すべては、俺達自身の判断基準に委ねられているんだ。そしてその基準において差異が存在する限り、他人と美を共有するなんてのは無理な話だ。エミリアにとって血は汚らわしいかもしれない――でも俺は言うよ。その赤は、最高に美しいね」


 俺は挑戦的に言い放った。

 皮膚を貫き、流れ出るそれは、生命そのものだ。人間の肉欲の合間を這い、もがき喘いで進む凶器の色。忌避されながらも堂々と胸を張る赤。ずっと嫌いだった『あか』が、今までにないほど、鮮やかに思えた。


「そんな考え、閉じた世界の中でぐるぐると歩き回るだけよ……」

「円環でも構わない。前を向いて歩くのが美しいんだ」

「歩いた先は地獄かもしれないわよ」

「それならそれで、焼きが回ったってことさ。何もしないよりはずっとましだ」


 俺はわざとらしく肩をすくめた。凛とした薔薇色に照る髪を、誇らしげに指さした。

エミリアはただ吼えた。噴き出す赤を、俺はぬらぬらした目で見つめ続けていた。


「ここで死んだっていいよ」


 姉弟のどちらが口にした言葉なのかは、もう分からない。

 肥大した自己嫌悪と汚らしく張り付いた自己愛が混ざり合い自意識は膨張を続ける。ごみだ。いや、本物の生ごみなら堆肥にできるだけ救いはある。中途半端に人間であるからして、人間に受け入れられないことへの煩雑な怒りや悲しみ、後悔、恥辱を経ての諦観にたどり着く。


 それでも。それでもだというのだ。鮮明な意志がここにある。血は体内を巡る。自らの信じる美を、望み続けている。だからジョージはいま、生まれて初めて満たされていた。


「さようなら、エミリア」

「軍警を呼ぶわ」


 エミリアが声を張った。


「十分後には、ここは凄惨な殺人事件の現場として厳戒が敷かれるでしょうね」

「――はいはい」


 これが最後の慈悲か。俺はナイフを床に捨てた。指紋やポーチエレンの死因から、エミリアが犯人扱いされることはありえないだろう。もう二度と、庇わせたりしない。寛容を望んだ彼女に背を向け、踵を返した。

 月光がさざめく夜の町。遠くにはうっすら、街あかりが見えていた。爪先から伸びる影が、暗がりに溶けていく。


「血に塗れてもいい! 主よ、たったひとつ、新しい人生を!」


 叫びを空に溶かし、ジョージは宵闇に紛れるように早足で走り出した。それがジョージの最初で最後の純真な祈りであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鮮血のクオリア【短編】 さえ @skesdkm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ