エミリア

 駅のホームには浅く霜が降っていた。蒸気機関車の警笛が鳴り響く。雪帽を深く被り、滑り込む黒を凝視した。

 エミリアの転院処分から2年の月日が経った。今日は姉が帰って来る日だ。


 姉が去ってからしばらくたって、彼女と入れ替わりに、北の学校から生徒がやって来た。ポーチエレンという名前の、明るい金髪の少女。清貧を是とする教会の地味な修道着でさえ、明るいオーラで彩る華やかな少女だった。姉が苛烈な報復を行ったことで、いじめられっ子だった俺は腫物扱いされていたが、事情を知らないポーチエレンだけは俺に優しく接してくれていた。彼女とはすぐに仲良くなり、今日の俺はポーチエレンと一緒に、姉のお出迎えに来ていた。


 ほっ、と可愛らしい声をあげて、姉は蒸気機関車を降りた。

 フリルをたっぷりと使ったぜいたくなワンピースがよく似合っていた。澄んだ瞳も、妖艶な艶のある髪も変わらない。


「わー、久しぶりだね!私がいないあいだ、何かあった?そっかぁ、二年ぶりだね!」


 エミリアがぽんぽんと肩を叩いてくる。

 顔立ちや体格はさほど変化していない。やたらテンション高くまくし立てる姉に少し辟易して、苦笑いを返す。


(……あれ)


 何かが、ずれている。その姉の笑みを見て思った。二年前の姉の笑みではない。


 何が違うか、それどころか抜け落ちたのか生まれたのかすら解りはしない。この目はこんな風にひしゃげなかった。この唇はこんな風に歪まなかった。


「どうしたの?」


 姉が眉尻を下げて目を細めた。唇は逆三角形に歪められている。笑い方、しなの作り方、話し方。その一つ一つが作為的で吐き気がした。娼婦だった母のようで――。


 そこまで思いを巡らせ、思考を止める。二年も会っていないのだ、人は変わりもする。姉が親に似た所でなにが気持ち悪い?可笑しいのは俺なのだ。そう思って微笑し、首を振った。姉は、そう、と優しく言って、ぎこちない顔でポーチエレンへ話しかける。

 しかし、姉が此処から去っても違和感は消えなかった。姉の緩慢な動作、ゆったりとした作り笑い、大げさな感嘆符。透けて見えた。


 二年前のあの日、人気のない部屋に立つエミリアを思い返す。

 今の彼女は当時とは真逆だ。


 ふと母の髪色を思い出す。火のついた、そう錯覚するかのような、燃えるような焼けるような赤。自然に生まれるはずのない、神々しいほどの鮮やかな色。

 エミリアの髪はそんな赤じゃないだろう。素朴な栗色の、豊かな巻き毛のはずだろ。俺は、黄昏の陽光で淡く光る髪に憧れていたのに。

 つくりもの。

 姉は、傷ついた自分をはりぼてで囲っている気がした。


 そんな日々が続いて、しばらく経った日のことだった。俺は姉に勉強を教わろうと、彼女の部屋を訪れた。

 しかし、エミリアの部屋は異様な様相だった。

 ベッドからは生臭い匂いが漂ってきている。共用の調理場から引っ張ってきたまな板とナイフはきっと二度と使えない。ネコの頭部を解体すためだけに調理器具を使ったと告白したら、寮長は激怒するだろう。そんなことをぼんやりと思っていた。

 俺と姉の寝る二段ベッドの下。そこは普段姉が使っているのだが、今は一面に新聞が敷かれ、新鮮な血液が漂っていた。中心近くにはまな板とナイフが置いてあり、首で体を二つに分けられたネコの死骸が横たわっている。そして、その死骸を鼻歌交じりで刻む姉。

 慌ててメモ帳を開きペンを走らせた。筆跡が乱れるがもう構っていられない。

 私室で何をやってるんだ、この姉は。


『なにやってんだ』


 目の前に突き出されたメモに姉が顔を上げた。白い布をずり下げ、姉が笑う。つい先日、駅のホームで違和感を覚えた時の笑み。


「仕返しの用意してるの。新学期一発目からジョージが舐められないようにね」

『しかえしって なんの だれに』

「喋れないと大変そうだね、ジョージ。まあ兎に角昔私らの友達『風』だった子が、ジョージに酷いことをした。ああいうのは良くないよね。という訳で、エミリアちゃんが直々に制裁を下してあげるんだよ。そこの箱、見てみ?」


 言われた通り、部屋の隅に置かれた箱を見た。箱の大きさは俺の胸より少し下なので、一メートル四方くらいだろう。

 一歩近づく度腐臭がきつくなる。口で呼吸をしても、肉と血のいやな匂いが粘膜を刺激した。


「ーーッ、ッ!?」


 内容物を確認してすぐに一歩後ずさる。中に入っていたのは、ぐずぐずに蕩けた猫の死肉だった。この箱の中いっぱいに屍が詰まっていると思うと、腹の中のものがせり上がってくる。寧ろこれだけの惨状を見て胃をひっくり返さなかった俺に拍手をしたい。


 深い眩暈がした。

 仕返し。かの子達に、対する。そんな幼稚な理論で、こんな幼稚なことを考える人間だっただろうか。そして其れを実行する人間だっただろうか。

 俺の知っていた姉は死んだのだ。


「隣町の神学校に送られて、いっぱい考えたんだよ。私はジョージの喉じゃなく、あの子たちの首を刈るべきだった」

『エミリア。やめてよ……お願いだよ』

「どうして?」


 安っぽい涙を零す俺の方に振り返って、巻き毛が肩を滑り落ちた。返り血が付け襟に垂れる。


「掃き溜めに愛を。汚れた者には鮮やかな赤を。これが私の赦し」

 悲嘆に塗れて、かすかに姉の名を呼んだ。

 エミリア。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。吐き出した言葉は謝罪などではなく、呪詛のように俺と姉を縛るだけだった。

 きっとどんな赦しを乞うても無駄だろう。俺の罪を被って姉は転院処分になり、その先で何があったのかこんな人間になってしまった。姉を変えてしまった俺の罪を自覚し、それでものうのうと生き続ける今のありさまは、主への裏切りではないだろうか。


 こんなことしたらきっともう寮には居られない、と伝える。彼女は虚ろな目で僕に語りかけた。


「いいの。裁きは私の手で下したから」


 だめだ。

 こんな考え、主への裏切りに違いない。けれどやっぱり俺は、エミリアを捨てきれない。エミリア。――じゃあ俺も、一緒に堕ちる。俺のそばに、彼女が居てくれたように。

『エミリアを一人になんかさせない』

 俺はエミリアに身を寄せた。人の身の熱がある。

 人間愛は温かいものだ。ならばこの姉の中には、俺の中には、まだ人間の愛が生きているということだろうか。寄り添って伝わってくる、かすかな鼓動が痛かった。


 その後すぐに俺達は神学校も寮も飛び出し、人殺しを生業とするようになった。

 姉は最初から復讐のためだけに帰ってきており、神学校を卒業する気などなかったらしい。

 けれどやはり、清廉だった姉には鮮血は似合わない。

 姉は外面だけが成長しその本心は一歩たりとも成長せぬまま十六歳を迎えた。果たしてどうだろうか。割れた皿をもう元には戻せないように、歪んだ姉はきっと昔に戻りはしない。俺も、過去の姉ばかりを押し付けて縛る人間にはなりたくない。けど、今の姉なら、分からないこともないはずだ。


 エミリア。もう一度、他者に希望を見いだせないか。もう一度、飾り気のない笑いをだれかに見せてはやらないのか。

なあ、たまには昔話をしよう。割れた皿を元に戻せないなら、いっそ全て砕いて、また形を作り直せばいいんじゃないだろうか?

 砕き手は、――ユダたる俺だ。

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