第4話 駿馬シュライザー

 翌日。

 鎧を身に着け、大剣と革袋を持ったベンゼルは、上官や部下に見送られながら兵舎を出た。

 城門をくぐって城下町へ出ると、この王都に暮らす人々の姿が目に入る。


 笑っている者、怒っている者、泣いている者、難しい顔をしている者、様々だ。


「フッ」


 嬉しくなって、ベンゼルは笑みをこぼす。


 魔王の出現によって空が闇に包まれていた時、人々は揃って絶望の表情を浮かべていた。

 だが、今ではそのような顔をしている者は誰一人としていない。

 目の前に広がる光景は、まさしく平和そのものだ。


 それを確認するとベンゼルは顔をほころばせ、南門へと向かった。



 ☆



 門番をしている兵士に挨拶してから門をくぐると、女性とほろ馬車が目に映った。


「あっ、少佐! おはようございます! 昨晩はしっかり眠れましたか?」


 ベンゼルに気付いた女性が声を掛けてくる。

 この女性もベンゼルの部下の一人だ。

 昨晩の宴にも出席しており、目覚めたことを大いに喜んでくれた。


「おはよう。ああ、おかげさまでな」

「それならよかったです! では少佐、こちらへ! さあ!」

「ん?」


 嬉しそうに手招きする部下を不思議に思いつつ、幌馬車の正面に回る。

 そうして馬の姿を見た瞬間、ベンゼルは目を見開いた。


「お、お前は……!」


 平均的な馬よりも一回り大きい黒鹿毛くろかげ牡馬ぼば

 毛並みはとても綺麗で、その顔つきは凛々しい。


 この馬の名はシュライザー。

 ここ、ハーヴィーン王国一の駿馬しゅんめだ。

 保有する魔力量が平均的な馬よりもうんと多く、他馬より断然足が速くて身体も丈夫。

 その上、人間の言葉を完全に理解しているほど賢い。


 その優れた能力ゆえ元は王族専用の馬だったが、『少しでも助けになれば』と、王は魔王討伐に旅立つ自分とルキウスに貸してくれた。

 そして能力を発揮し、荷を乗せた馬車を引いて自分達の旅路を支えてくれた。


 そう、彼もまた勇者一行の大切な仲間だ。


「無事に、無事にモーレンゼまで辿り着けたのか。よかった……本当によかった」


 そう言うと、ベンゼルは涙を流しながらシュライザーを抱き締めた。



 ◆



 スコルティア帝国の北側に位置する都市モーレンゼ。

 そこを発ってから七日目の夜。


「……ふぅ」


 ルキウスは溜め息を吐くと、剣をさやに納めた。

 足元には人間とも動物とも、そしてモンスターとも異なる異形の化物――魔族の死体が八つ転がっている。


「魔族が増えてきた。ヌリーシュのだいぶ近くまで来たみたいだね」

「ああ、そのようだ」

「……じゃあ、シュライザーはここまでで。みんな、馬車から荷物を降ろそう」


 ルキウスの言葉にベンゼル、ゼティア、フィリンナの三人が頷く。

 そして四人は必要最低限の荷物を降ろすと、それぞれ個人の革袋に詰め込んだ。


 それが終わったところで、ルキウスは紙を手に取って羽根ペンを走らせる。

 書き終えると紙に紐を通し、シュライザーの首に掛けた。

 紙にはルキウスの名と、『この馬を見つけた方は手厚く保護し、直ちに王や領主に報告すること』と書かれている。


「シュライザー。君はここまでだ。シャントリューゼからここまで運んでくれて本当にありがとう。モーレンゼは覚えているね? 君はこれからモーレンゼに戻るんだ。いいかい?」


 シュライザーの頭を撫でながら、ルキウスは優しい声でそう命じた。


 ここから先は魔族の本拠地。

 そこら中に魔族がいるという状況下、大きな馬車で移動するのは目立ちすぎる。

 余計な傷を負わないため、体力を消耗しないためにも、できるかぎり接敵は避けたい。


 それに何より、戦闘に巻き込んでシュライザーを死なせたくない。


 そう考えたルキウスはモーレンゼの宿屋に泊まった時、『ヌリーシュの近くまで行ったら、シュライザーは帰らせよう』と提案した。

 それを三人が二つ返事で同意したことで、今に至るという訳だ。


 本当はモーレンゼに置いていきたいところだったが、徒歩では時間が掛かりすぎるため、その選択はできなかった。


「シュライザーよ。お前にはこれまで本当に助けられた。ここからは俺達に任せておけ」

「ありがとう、シュライザー。魔王を倒したらすぐに戻るから、それまであなたはモーレンゼで待ってて。それで全部終わったら、またあたしを馬車に乗せてね!」

「これまでお世話になりました。どうか、どうかご無事に。……また必ず会いましょう」


 ベンゼル、ゼティア、フィリンナが順に別れの言葉を口にする。


「さあ、行って、シュライザー。ほら、いい子だから」


 最後にルキウスが命じた。

 しかし、シュライザーは悲しそうな顔をしてその場から動かない。

 きっと最後までついていきたいと思っているのだろう。


「……行くんだっ!」


 ルキウスがもう一度、今度は強い口調で命じると、シュライザーはようやく歩き出した。

 名残惜しそうに何度もこちらに振り返りながらも、ゆっくりと離れていく。

 そんなシュライザーを四人が見送ることしばらく、姿が見えなくなった。


「……無事に戻れればいいのですが」


 フィリンナが心配そうな顔でぽつりと呟く。

 この辺りは強力なモンスターが多いし、ここまで運よく遭遇しなかった魔族と出くわしてしまうかもしれない。


 正直なところ、シュライザーが一頭だけでモーレンゼまで戻れる可能性はほとんどなかった。

 だが、それでもこのまま連れていくよりは生きられる可能性がある。


「信じよう。僕達にできることはそれだけだ」

「ああ、そうだな。……さて、もう行こう。俺達には為さねばならないことがある」


 ベンゼルの言葉に三人が頷く。

 そして勇者一行は歩き始めた。



 ◆



「この子は少佐と一緒に、モーレンゼから連れて帰られたんです。モーレンゼの近くで見つかった時は傷だらけだったそうですが、今ではこの通り元気いっぱいで!」

「そうか。とにかく無事でよかった」


 ベンゼルは抱擁ほうようを解いて、シュライザーの頭を優しく撫でる。

 気持ちが良さそうなその顔に、ベンゼルも頬を緩めた。


 そうして再会を喜ぶことしばし。

 ベンゼルはシュライザーに繋がれた馬車に目をやると、途端に真剣な顔をする。


「シュライザーよ。馬車を引いているということは……またこの俺と来てくれるのか?」


 そう問うと、シュライザーは凛々しい顔で「ブルっ!」と答える。

 ベンゼルには、それが『当たり前だ』と言っているかのように思えた。


「そうか、ありがとう。では、また頼むぞ」

「ブルルっ!」


 力強い返答にベンゼルは嬉しそうに頷く。

 その直後、幌馬車の中から部下の声が聞こえてきた。


「少佐! 足りない物がないか、一度荷物を確認して頂いてもいいですか?」

「ああ、今行く」


 ベンゼルも馬車に乗り込むと、積まれた荷物を一つずつ確認していく。


 数日分の食料と酒、シュライザー用の飼葉、傷を癒やすポーション、世界地図、紙とペン、クッションなど。

 必要な物は大方揃っていたが、不可欠な物が二つ欠けていた。


「水と点火器がないな」

「えっ? 水と点火器ですか? そんなのなくても魔法で……あっ!」


 途中で気付いたのか、部下はバッと口を押える。

 そう、ベンゼルは使えて当たり前である魔法を使えないのだ。


「も、申し訳ありませんっ!」

「気にするな。普通は水と点火器を持ち運ぶことなどないだろうからな。悪いが、用意してもらえるか?」

「は、はい! た、直ちにっ!」


 部下は慌てた様子で城下町のほうに走っていった。

 それを確認すると、ベンゼルは馬車から降りて再びシュライザーの正面へ回る。

 そしてこれから自分がしようとしていることを話し始めた。

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