第3話 コーリング・ドール

 トネリコの皮膚感覚にまず感じられたのは熱で、その直後には冷気だった。

 抱かれていたヴィネガーの体が発熱し、一瞬で離れたのだった。


 軌跡。赤い光。眼光と爪の。

 空中に傷跡を残す。駆け巡る。トネリコを包むように赤色のかごが編まれるようだ。


「――少し、待っていて、トネリコ。

 私は今から、ちょっとだけ、残酷になるわ」


 その声が届いた一瞬だけ、静寂せいじゃく


 高速移動の余波が、突風として吹き荒れた。

 ドローンが、多脚車両が、物理強度の高いCIMシム繊維が、切り裂かれる。

 書き換えられる。

 赤。軌跡。爪の。

 その軌跡の中に、文字列が読み取れた。

 文字列をコードした、赤色のリボンのよう。


 その余波と赤の間隙で、吸血鬼ヴィネガーは舞った。

 爪と瞳が赤く輝き、その小柄な全身に葉脈のように赤い光がほとばしり、一切の傷は消失し、銀色の髪は清流のようにさらりと流れ、四枚に増えたコウモリの翼はまるで世界を覆わんとするほど高らかに広がる。

 そして牙を見せる笑顔は、この死地にあって魂を抜かれるほど可憐で、そして儚くて、あどけなかった。


 戦闘が、終わった。

 機械たちの残骸が灰色の炎となって分解し、赤い軌跡は霧散していく。

 その中心で、少女二人、たたずむヴィネガーとうずくまるトネリコは、向かい合った。


 トネリコは、手を伸ばした。

 ヴィネガーは一歩引いて、その手をやんわりと拒んだ。


「危ないわ。力を抑えきれなくて、あなたを傷つけるかもしれない」


 甘くささやいて身を引いたヴィネガーに、トネリコは飛びつくように詰め寄って、その手をつかんだ。

 面食らったヴィネガーを、トネリコはしっかりと見上げて、言った。


「わたしに怖がられることを、怖がってるように見えました」


 ヴィネガーはまごついた。

 トネリコは痛みをこらえるようなこわばった表情をして、強く輝く瞳を向けて、言い切った。


「わたしのために戦ってくれたからでも、わたしを愛してくれるからでもありません。

 一人の個人として、わたしはあなたを、恐れません」


 二人はしばらく、見つめ合った。

 やがてヴィネガーは、ウサギのぬいぐるみを持ち上げて、顔を隠すように掲げた。


「ぴょんぴょんぴょーん。高貴で高潔な吸血鬼ヴィネガーに、恐怖なんて感情はないぴょん。

 けれど気持ちはうれしいから、ありがとうと言っておくぴょん」


 トネリコはウサギのぬいぐるみを見つめた。

 そこに手を置いて、押し下げて、お願いした。


「顔を見せてください、ヴィネガーさん。

 わたしはぬいぐるみより、ヴィネガーさんの顔が見たいです」


 ウサ耳の隙間から、ヴィネガーはすねたような視線だけこそりと出した。




   ◆




 建物の陰から陰へ、ヴィネガーとトネリコは走る。

 サイレンはけたたましい。多脚車両とドローンの追跡は止まない。


「トネリコの涙が運命の血として作用したけれど、その効力は一時的みたいだわ」


「またあの強さになるには、もう一度涙を飲む必要があるってことですか?」


「できれば多用はしたくないわね」


「何か、体に負担とか」


「あなたを何度も泣かせたくないのよ」


 ドローンが二人を発見し、細道に滑り込んでくる。

 ヴィネガーはトネリコを抱いて滑空。


「あの機械もだけど、トネリコ、あなた異様に軽いわ! ナントカ繊維っていう素材だから?」


「似た型式に比べたら重い方ですよ、わたし! 擬似生命ブレインユニットは機械式ブレインより重いので」


「ジェネレーションギャップだわ……ロボットが生身の人間より軽いなんて」


 電磁放射が飛び交う。

 ヴィネガーは紙細工のようなビル壁を蹴り上がり、ひたすら空中を逃げ回った。


「もう一人協力者が欲しいわ! トネリコ、電話持ってない?

 持ってればメリーと連絡が取れるのだけど!」


「ないです! 誰ですかメリーって?」


「昔の知り合い!」


 ビル壁を蹴る。

 ドローンが集まってきて、電磁放射の密度がいや増す。

 大通りへと抜ける。地上には多脚車両。

 警告音声。


『セントラルAIより警告。これより高出力攻撃モードに移行します。周辺住民の皆様は安全確保にご協力ください』


「ねぇトネリコ、あれってヤバイやつかしら?」


「めちゃくちゃヤバイです! 私も実際見たことないので何するのか分か」


 亜光速ビームが、多脚車両から空の二人へと射出された。

 回避できたのはほとんど直感だ。

 けれど体勢が崩れて、そこにドローンが殺到してくる。

 逃げ場を作らない、統率された取り囲み方。

 その中で、ヴィネガーは。


「……ねぇトネリコ。下の機械って、セントラルAIからの警告って言ってるわよね。

 もしかしてこの機械、自律式じゃなくて取り仕切る本部みたいなのがあって、それが通信して音声を発信してる?」


「そうですけど、今それ聞いた方がいい話ですか!?」


 トネリコはヴィネガーの腕の中でハラハラしている。

 対照的に、ヴィネガーはどこか呑気だ。


「本部と通信して、メッセージを発話する端末。

 であれば、あの機械は電話の一種と定義できないかしら。

 ――ねぇ、メリー」


 ザザッ、と、ノイズ。

 多脚車両の発話装置から。


『――あたしメリーさん。今あなたの――』


 背後。

 ヴィネガーの背後で、ドローンが爆破炎上した。


「――背後の敵を串刺しにしたの」


 ヴィネガーは振り返った。トネリコもその視線を追った。

 ナイフに串刺しにされたドローンが、灰色に炎上していた。

 その、上。

 星のない夜空の背景、燃えるドローンの上に立つ、人形。

 青い文字列の残像が、空中に散る。


「――久しぶりなの、ヴィネガー」


 金髪と青い目、フリルのついた白いドレス。

 両腕は二十世紀仕様の化石のような携帯電話機を、かかえるように持って。

 文字通り作り物のような無表情で、人形は――呪いの人形メリーは、こてりと首をかしげた。


「ヴィネガー、しばらく見ないうちに、老けたの?」


「成熟したのよ。恋を知ってね」


 ヴィネガーはメリーに向けて、にこりと可憐に笑った。

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