第2話 インカンテーション・マス

 遠く、サイレンの音が、華奢な漆黒の街に響く。

 その中で少女二人、吸血鬼ヴィネガーとロボットのトネリコは、建物の陰に身を潜めた。

 この時代の建造物は紙細工のように薄くて繊細で、遮蔽物としてきちんと機能してくれるか疑問だと、ヴィネガーは感じた。


 ともかく。と。

 ヴィネガーは舌足らずな舌で、真面目たらしく語った。


「さて、トネリコ。逃げながら聞いた話、ちょっと整理させてもらうわね。

 まずこの時代、政府が全面的な人口管理を行っていて、婚姻・出産が完全にコントロールされている。

 そのため自由恋愛は人口管理計画を乱す行為として、犯罪とみなされている。だったわね」


 トネリコはうなずいて、胸の前できゅっとこぶしを握った。

 ヴィネガーは赤い爪で自分の唇をもてあそびながら、続けた。


「で、あなたの管理者だった人間は、人知れず恋をして、ラブレターをしたためていた。

 管理者は病気で亡くなってしまったけれど、思いを伝えられないまま終わる後悔を今際いまわきわにあなたに喋って、あなたはその気持ちを汲み取ってラブレターを渡しに行こうと」


 トネリコはうつむいたまま、肯定の態度を返した。

 ヴィネガーは満足気に笑った。


「完全に把握したわ。それじゃあ行きましょうか」


「あの、ヴィネガーさん!」


 歩き出そうとして呼び止められて、ヴィネガーはきょとんと首をかしげた。

 トネリコは困惑した顔をヴィネガーに向けた。


「なんで、そんな、ヴィネガーさんはわたしを助けようとしてくれるんですか?」


「事情はさっき説明した通りよ」


 こともなげに言うヴィネガーに対して、トネリコは思い悩むようにうつむいた。


「わたしが、ヴィネガーさんにとって魂が求める運命の人だから……

 でも、わたしはロボットで、血を飲むこともできないのに……」


 ヴィネガーはにんまりと笑って、トネリコの髪をなでた。


「私はね、トネリコ。あなたの目的を、心底素敵だと思った。

 禁じられた恋の応援、なんて心ときめく行為なのでしょう。

 それは運命の恋を求める私にとって、進化の血を放棄することすらいとわない魅力があるの」


 顔を寄せて、間近で見つめ合って、ヴィネガーは断言した。


「トネリコ。私はもうすでに、あなたが運命の人でよかったと思ってる」


 少女二人、見つめ合う。

 トネリコは困惑の表情を返した。

 ヴィネガーはにっこりと笑って、少し距離を空けて、それから腰に下げたウサギのぬいぐるみを顔の前に持ってきて、ふりふりと揺らしてみせた。


「ぴょんぴょんぴょーん。ヴィネガーは恋に恋するロマンチストだから、気にせず好意に乗っかればいいぴょん。

 十万年の寿命があるっていわれてるヴィネガーにとって、ときめきなくして生きることなんて死ぬより苦痛なんだぴょん」


 そしてウサ耳の間から、笑顔をのぞかせた。

 赤い瞳と、ちらりと見える牙。

 けれどその攻撃的なパーツに反した、茶目っ気のある、そして少しだけ、さみしそうな笑顔。

 トネリコは困惑した表情のまま、それでも緑の瞳はヴィネガーをじっと見すえて、握っていたこぶしを少しだけ緩めた。


「……さて、トネリコ。できればじっくり時間をかけてお互いのことを知りたいと思うのだけど、状況がそれを許してくれないわ」


 ヴィネガーは振り返って、トネリコもそちらに目を向けた。

 建物の隙間をのぞき込んでくる、多脚車両。


『セントラルAIより警告。警告への反抗を一定以上確認したため、攻撃モードに移行します』


 ヴィネガーはトネリコをかかえて飛翔した。

 一瞬前まで二人がいた場所に、バチバチと広がる電磁放射が着弾した。

 ヴィネガーはちらりと一瞥いちべつ。電撃の中に、なんらかの文字列のようなものが見えた。


 星の見えない夜空。ヴィネガーはトネリコと共に舞い踊る。

 襲い来る漆黒のドローン。やはり昆虫の翅のように繊細。

 電磁放射をかわして、ヴィネガーは人外の脚力で蹴り飛ばす。

 飛んでいって、また空中制御して戻ってくる。

 ヴィネガーは唇をとがらせた。


「地上のやつといいこれといい、軽くて簡単に吹っ飛ぶくせに全然壊れないわ!

 材質? 材質かしら? ねぇトネリコ、あの機械だったり建物だったりの素材、黒くて軽くてスカスカのやつ、あれはいったい何かしら?」


CIMシム繊維ですか? カーボン・呪術質量複合繊維!」


「カーボン……何?」


「カーボン・呪術質量複合繊維です! 硬くて骨格とかに使うのはCIMシムボーンとか、柔らかいのはCIMシムクロスとかいろいろ言いますけど」


「待って、呪術? 科学じゃなくて呪術なの? 八百年の間にそっち方面の技術革新が起きたの?」


 電磁放射。ヴィネガーはきりもみ回転してかわす。

 回り込まれる。動きを読まれた。

 かわしきれない電磁放射が、翼に絡まった。


「っ、痛い……!」


 不死の肉体が捕縛される。機能不全にさせられる。電撃の網。

 落ちる。

 反射的にトネリコを強く抱きしめる。

 そのときのトネリコの、まるで自分の身が痛むように呼びかけてくる表情を見て、この子は優しい子だと、ついヴィネガーは呑気に微笑んでしまった。


 墜落。

 アスファルトのような、やっぱり少し違う材質のような、その感触を、ヴィネガーは主に頭と肩で堪能した。

 自慢の銀髪が汚れる、そのことにヴィネガーは怒ることにした。

 怒った方が気が紛れる。不死とはいえ痛いし濡れた路面は冷たい。


「ヴィネガーさんっ……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 トネリコが泣いている。

 心配いらない、とヴィネガーは笑いかけようとした。頭が潰れて可憐な感じに笑えないのがもどかしかった。

 多脚車両やドローンが集まり、電磁放射を重ねがけしてくる。


「わたしのせいで、ヴィネガーさん、こんな、傷ついて……! わたし、なんにもできないのに……!

 ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 勝手にやったことなのだから気に病むことなどないのに、そう思ってトネリコの涙をぬぐい去ろうとした。

 涙を。


「……待って」


 ヴィネガーはトネリコの顔を見つめて、強く抱き寄せた。

 電磁放射の拘束が締めつける。密着する以外に身動きは取れない。

 きょとんと見つめ返すトネリコに、ヴィネガーは問いかけた。


「あなた、泣けるの? 涙が流れるの? ロボットなのに?

 この時代のロボットは、涙を流す機能があるの?」


「あ、はい……型にもよりますが。

 感情表現の機能として、擬似生命ブレインユニットなどの周囲を循環する冷却水を、涙として排出させる機能があります」


 ヴィネガーは、目と目が触れ合うほどに顔を近づけた。

 輝くほどに見開かれた赤い瞳を、トネリコの緑の瞳と涙が映す。


「トネリコ。血ってね、生命を維持するために巡るものなの。

 そして涙は、血が濾過ろかされて作られる」


 語るヴィネガーの口元から、牙がのぞく。


「十分よ。トネリコ、あなたの機能を維持するために巡る冷却水、そこから作られた涙。

 トネリコ。これはあなたの、血だわ」


 定義する。

 ヴィネガーの唇が、トネリコのまぶたに寄り添う。


「ごめんね、トネリコ。気持ちが通じ合ってからと思ってたけれど。

 今あなたの血、いただくわ」


 するりとこぼれ出た舌が、トネリコの涙を舐め取った。


 電磁拘束が、蒸発するようにはじけ飛んだ。

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