🐢 浦島太郎(6)メデタシメデタシ?
乙姫の下半身が、巨大な化け鮫に変身した時、慌ただしく大広間に駆け込んできた者があった。
「乙姫様! 一大事にございます! 鯨
大広間に居並ぶ者たちが、いっせいにどよめいた。
だが、その時乙姫少しも慌てず、
「鯨一味とな? ふん、
と言いながら、元のお姫様の姿に戻った。
「皆の者、静まれ!」
奴智が皆を制し、駆け込んできた女中に命じた。
「乙姫様に、詳しくご注進申し上げよ」
「は! 鯨一味は、
「抹香鯨のほかは?」
「おびただしい数の
「何と! 乙姫様、お
奴智も、動揺の色を隠しきれないようだ。
「皆の者。慌てるでないぞ。鯨一味に、何ができるものか。
乙姫は、矢継ぎ早に指示を出し、命じられたものは次々と出陣していった。
「
「皆の者、乙姫様のお下知に従って、命の限り戦え! して、乙姫様。こ奴はいかがいたしましょう?」
奴智が太郎を
「残念じゃが、賞味している時はなさそうであるな。放っておけ。どうせ潮が満ちれば、溺れ死ぬじゃろう」
太郎のことなどまるで眼中にないかのように皆散っていき、太郎だけが残された。
<城を潮で満たすだって? 俺の命もこれまでか。まあ、竜宮城では旨い物をたらふく食って、毎日お亀と遊び戯れて過ごしたんだ。思い残すことは何もない。溺れ死ぬまで、高みの見物といくか>
太郎は大広間を巡る廊下に出て、狭間から外を眺めた。
どこからか海水が奔流となって流れ込んでおり、すでに本丸のすぐ下まで来ている。海中では、鮫一門と鯨族の熾烈な攻防が繰り広げられているのだろうが、海面がひどく波立っており、よく分からない。
しかし、海面のあちこちに、白い腹を上にした鮫の死体や赤い血が漂っているところをみると、鮫一門は苦戦しているらしい。
<城下町はいったい、どうなってるんだろう。
だが、城下町の辺りはすでに海面下であり、まったく様子が分からない。しかも、海面は逆巻く怒涛となって、徐々に太郎のいる場所に近付いてくる。
<俺の命は、あと四半時(約30分)もなかろう。溺れ死ぬ前に、一口でいいから酒を飲みてぇものだなぁ>
太郎が辺りを見回したとき、何者かが大広間に走り込んできた。
なんとそれは、おトラだった。
「おい! トラじゃねぇか!」
「お前さんかい? 何だね、そのなりは。ぶくぶく太って、別人のようじゃないか。本当に、お前さんなんだろうね」
「当たり前だ。だが、オメエこそ何でここにいるんだい? オメエも、亀に
「馬鹿をお言いでないよ! お前さんを助けに来たんじゃないか」
「いったいどうやってここに来たんだ? そうだ。オメエ、乙姫が言ってたように、正体は鯱なのか?」
「そうさね」
「オメエ、俺をずっと騙してたな」
「ああ、そうだよ。だが、お前さんも、お亀とやらと
「なんで、お前がそれを知ってるんだ? だがまあ、命がけで俺を助けに来るとは、よほど俺に惚れていやがるんだなぁ。礼を言うぞ」
「竜宮城には諜者を送り込んでいたから、城内の様子は手に取るように分かったのさ。でもね、
「なんだ、そういうことか。だがな、せっかく助けにきてくれたが、ここは海の底だ。人間の俺が生きて地上に戻る
「へぇ、もう観念してるのかい? 転んでもただでは起きないお前さんらしくもないね。
「いかに座頭鯨の口が大きいといっても、空気を頬張って海底まで降りてくることはできめぇよ」
「お待ちください!」
声がした方に振り返ると、息を切らせながら、お亀が走ってきた。
「お、お亀じゃねえか。すまねぇ、しくじった。煙玉をどこかに落としてきちまったらしい」
「あんたが、お亀さんかい?」
「はい。お亀と申します」
「竜宮城では、うちの
「……」
お亀は、ただ黙って頷くだけだった。
「こいつは連れていくよ」
「はい。でも、人がここから地上に戻るには、私ども海亀がお運びするしかありません。他のやり方では、必ず死んでしまいます」
「死んだら死んだで、かまいやしないがね」
「おトラ! それが亭主に向かって言う言葉か」
「不義密通の
「承知いたしました。ただ、その代わりと言っては何ですが、一つだけお願いがございます」
「言ってみな」
「今まさに鮫一門と戦っておいでですが、城下の民と、鮫一門のうち
「ほう、そうだったのかい。あたしたちは、城下には手を付けちゃいないし、民をどうかしようとは思っちゃいないよ。安心しな」
「あの。乙姫を倒すため、太郎様にも助っ人になっていただきました。不首尾ではございましたが」
「へぇー、この宿六がねぇ。人のお役に立つようなことをする玉じゃないんだがね」
「お亀、城下の町は大丈夫なのか? 鱓お婆の孫娘、宇津美は?」
「町は、ほぼ無傷でございます。ですから、その子も無事かと」
「誰だい、宇津美っていうのは? まさか、お前さんの隠し子かい?」
「馬鹿言え。宇津美ってのはな、お前がとっ捕まえたのを、俺が助けた鱓の子だよ」
「あたしが捕まえた鱓の子だって? ああ、そういやぁ、3年くらい前に、そんなことがあったねぇ。お前さんが
「あの。ここにも潮が迫っています。一刻も早くお逃げにならないと、太郎様のお命が……」
「分かった。あたしたち鯨族も、海の生き物をすべて従えようなどとは考えていないし、できるものでもない。これからは、甚平家の者が竜宮城の主になればいいさ。あたしから、鯨族の
「ありがとうございます。では、さっそく太郎様を地上にお連れいたしましょう」
*
太郎は、浜の波打ち際に、仰向けに横たわっていた。
目をつむっていたが、久々に浴びる日の光が、とても眩しい。
何者かが、覗き込んでいる。眩しさをこらえて、少しずつ目を開けると、お亀のようだった。
「太郎さま、お加減はいかがですか? 海底から急いで上がって参りましたので、だいぶお体に
「お亀か。ありがとよ。それにしても、鍋太郎のことは本当に済まなかった……」
「それ以上おっしゃいますな。思い出してしまいますから。さあ、お別れでございます。もう二度とお会いすることはありますまい。太郎様もお達者で」
そう言って、お亀は離れていった。
「ま、待ってくれ、お亀……」
太郎は起き上がろうとしたが、体がいうことを聞かなかった。
半時(約1時間)ほど浜に横たわった後、太郎はふらつきながら自宅に戻った。
自宅はがらんとしていた。体に力が入らない太郎は、
しばらくして、おトラが戻ってきた。
おトラの腕や足には切り傷がたくさんあり、戦いの激しさが見て取れた。しかし、おトラの足取りは力強い。
「無事帰ったんだね、お前さん。お亀は、ちゃんと約束を守ったね」
「おトラ、今度という今度は、世話を焼かせちまったな。ありがとよ」
「へえ。珍しく神妙だね」
「乙姫や鮫たちはどうした?」
「乙姫は食いちぎって、バラバラにしてやった。御三家は、子供を除いて皆始末したよ」
「それ以外は?」
「お亀との約束どおり、甚平家には手を付けなかった。城下の民も、そのままさ。民に罪はないからね」
「そうかい。これで御三家は、当分大人しくしているだろう。あーあ、腹が減った。何か作ってくれよ」
「あいよ。
「
「それじゃぁ、何にするかねぇ。ちょっと待ってな」
おトラは、部屋の隅にある台所に行って、まな板に向かった。
太郎は多少力が戻ってきたので、筵から起き上がり、囲炉裏の
すると、尻の下から赤い煙が立ちのぼった。
<え! この赤い煙は、もしかして……。吸ったら、えれぇことになる>
そう思ったが、不覚にも赤い煙を吸ってしまった。
太郎は、たちまち70年と3か月前の姿に戻った。つまり、この世から消えた。
「お前さん、
おトラは
そこに太郎の姿はなく、薄っぺらで
「お前さん! どこだい?」
<おかしいね。
その時を境に、太郎の姿は、それこそ煙のように消えてしまった。
実は、赤い煙玉は太郎が乙姫のもとに行く途中で落としたのではなく、褌の中を尻の方に移動していただけだった。そして、太郎が勢いよく座ったはずみで皮が破け、煙が噴き出したのだった。
おトラは太郎の帰りを待ったが、いっこうに帰ってくる気配はなかった。
<太郎の奴、いったいどこに行っちまったんだ? 今度は何に
太郎は、消えた時
この物語は、とてもそれまで付き合ってはいられないのである。
《「改悪・浦島太郎」 完》
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