🐢 浦島太郎(6)メデタシメデタシ?

 乙姫の下半身が、巨大な化け鮫に変身した時、慌ただしく大広間に駆け込んできた者があった。たすきがけをして薙刀を手挟たばさんだ女中だった。

「乙姫様! 一大事にございます! 鯨一味いちみが攻めてまいりました!」

 大広間に居並ぶ者たちが、いっせいにどよめいた。

 だが、その時乙姫少しも慌てず、

「鯨一味とな? ふん、猪口才ちょこざいな」

と言いながら、元のお姫様の姿に戻った。

「皆の者、静まれ!」

 奴智が皆を制し、駆け込んできた女中に命じた。

「乙姫様に、詳しくご注進申し上げよ」

「は! 鯨一味は、抹香鯨まっこうくじらの群れがその巨体を使って、お城の大手門おおてもんを突き崩しました。御浜曲輪くるわを初めとする各曲輪を蹂躙じゅうりんし、現在三の丸御門に取り付いている模様でございます」

「抹香鯨のほかは?」

「おびただしい数のしゃちが、崩れた門から城内に侵入し、我が方の守備兵に襲いかかりましてございます」

「何と! 乙姫様、お下知げじを!」

 奴智も、動揺の色を隠しきれないようだ。

「皆の者。慌てるでないぞ。鯨一味に、何ができるものか。一人いちにんたりとも、生きて返すな! まず、梶木かじき軍団の半分は、侵入してくる鯱らを迎え撃ち、これを殲滅せんめつせよ。葦切家よしきりけ隊は、三の丸に取り付いた抹香鯨をほふるのじゃ――」

 乙姫は、矢継ぎ早に指示を出し、命じられたものは次々と出陣していった。

わらわは天守閣にて采配さいはいを振る。奥女中は、我が子らを連れて参れ。梶木軍団の半分は、妾を守護せよ。我が頬白家ほほじろけ隊は遊軍となって、苦戦する箇所があれば援軍となれ。それから、ただちに城と城下をうしおで満たせ!」

「皆の者、乙姫様のお下知に従って、命の限り戦え! して、乙姫様。こ奴はいかがいたしましょう?」

 奴智が太郎をめ付けながら、乙姫の指示を仰いだ。

「残念じゃが、賞味している時はなさそうであるな。放っておけ。どうせ潮が満ちれば、溺れ死ぬじゃろう」


 太郎のことなどまるで眼中にないかのように皆散っていき、太郎だけが残された。

<城を潮で満たすだって? 俺の命もこれまでか。まあ、竜宮城では旨い物をたらふく食って、毎日お亀と遊び戯れて過ごしたんだ。思い残すことは何もない。溺れ死ぬまで、高みの見物といくか>

 太郎は大広間を巡る廊下に出て、狭間から外を眺めた。

 どこからか海水が奔流となって流れ込んでおり、すでに本丸のすぐ下まで来ている。海中では、鮫一門と鯨族の熾烈な攻防が繰り広げられているのだろうが、海面がひどく波立っており、よく分からない。

 しかし、海面のあちこちに、白い腹を上にした鮫の死体や赤い血が漂っているところをみると、鮫一門は苦戦しているらしい。

<城下町はいったい、どうなってるんだろう。うつぼばばなんざ、どうでもいいが、宇津美うつみは無事でいてほしものだ。うまく逃げられたのかな?>

 だが、城下町の辺りはすでに海面下であり、まったく様子が分からない。しかも、海面は逆巻く怒涛となって、徐々に太郎のいる場所に近付いてくる。

<俺の命は、あと四半時(約30分)もなかろう。溺れ死ぬ前に、一口でいいから酒を飲みてぇものだなぁ>

 太郎が辺りを見回したとき、何者かが大広間に走り込んできた。

 なんとそれは、おトラだった。胴丸どうまる(簡易な鎧)を身に付け、抜刀している。全身、ずぶ濡れだ。

「おい! トラじゃねぇか!」

「お前さんかい? 何だね、そのなりは。ぶくぶく太って、別人のようじゃないか。本当に、お前さんなんだろうね」

「当たり前だ。だが、オメエこそ何でここにいるんだい? オメエも、亀にたばかられたか?」

「馬鹿をお言いでないよ! お前さんを助けに来たんじゃないか」

「いったいどうやってここに来たんだ? そうだ。オメエ、乙姫が言ってたように、正体は鯱なのか?」

「そうさね」

「オメエ、俺をずっと騙してたな」

「ああ、そうだよ。だが、お前さんも、お亀とやらとねんごろになったそうじゃないか。それで、お相子あいこだろ」

「なんで、お前がそれを知ってるんだ? だがまあ、命がけで俺を助けに来るとは、よほど俺に惚れていやがるんだなぁ。礼を言うぞ」

「竜宮城には諜者を送り込んでいたから、城内の様子は手に取るように分かったのさ。でもね、己惚うぬぼれるんじゃないよ! はっきり言っとくけど、ここへ来たのは、お前さんに惚れているからじゃない。これには、鯨族の面子めんつが掛かってるんだ。いかに駄目亭主だめていしゅとはいえ、鮫一味にかどわかされて黙っていたとなっちゃぁ、奴らをつけ上がらせるだけだ。思い切り痛い目に会わせなきゃいけないんだよ」

「なんだ、そういうことか。だがな、せっかく助けにきてくれたが、ここは海の底だ。人間の俺が生きて地上に戻るすべはない。俺はここで死んじまうんだよ」

「へぇ、もう観念してるのかい? 転んでもただでは起きないお前さんらしくもないね。座頭鯨ざとうくじらの口の中に入って、上まで上げてもらうさ」

「いかに座頭鯨の口が大きいといっても、空気を頬張って海底まで降りてくることはできめぇよ」

「お待ちください!」

 声がした方に振り返ると、息を切らせながら、お亀が走ってきた。

「お、お亀じゃねえか。すまねぇ、しくじった。煙玉をどこかに落としてきちまったらしい」

「あんたが、お亀さんかい?」

「はい。お亀と申します」

「竜宮城では、うちの宿六やどろくが世話になったようだね」

「……」

 お亀は、ただ黙って頷くだけだった。

「こいつは連れていくよ」

「はい。でも、人がここから地上に戻るには、私ども海亀がお運びするしかありません。他のやり方では、必ず死んでしまいます」

「死んだら死んだで、かまいやしないがね」

「おトラ! それが亭主に向かって言う言葉か」

「不義密通の咎人とがにんが、大きな口を叩くんじゃないよ。でも、お前を死なせたら、ここに攻め込んだ意味がなくなっちまうからなぁ。お亀さん、この情けない男を、地上まで運んでおくれ」

「承知いたしました。ただ、その代わりと言っては何ですが、一つだけお願いがございます」

「言ってみな」

「今まさに鮫一門と戦っておいでですが、城下の民と、鮫一門のうち甚平じんべえ家の者は、ご勘弁いただきたいのです。と、申しますのは、乙姫の頬白家を初めとする御三家は、近ごろ暴政が目に余っておりました。ですが、甚平家の者は、穏やかで徳の高い者が多いのです。実は、乙姫や御三家を倒して、甚平家の者の中から竜宮城の主を出そうと、はかりごとを巡らしていたところなのでございます」

「ほう、そうだったのかい。あたしたちは、城下には手を付けちゃいないし、民をどうかしようとは思っちゃいないよ。安心しな」

「あの。乙姫を倒すため、太郎様にも助っ人になっていただきました。不首尾ではございましたが」

「へぇー、この宿六がねぇ。人のお役に立つようなことをする玉じゃないんだがね」

「お亀、城下の町は大丈夫なのか? 鱓お婆の孫娘、宇津美は?」

「町は、ほぼ無傷でございます。ですから、その子も無事かと」

「誰だい、宇津美っていうのは? まさか、お前さんの隠し子かい?」

「馬鹿言え。宇津美ってのはな、お前がとっ捕まえたのを、俺が助けた鱓の子だよ」

「あたしが捕まえた鱓の子だって? ああ、そういやぁ、3年くらい前に、そんなことがあったねぇ。お前さんが仏心ほとけごころを起こすなんて、珍しいこともあるもんだと思ったよ」

「あの。ここにも潮が迫っています。一刻も早くお逃げにならないと、太郎様のお命が……」

「分かった。あたしたち鯨族も、海の生き物をすべて従えようなどとは考えていないし、できるものでもない。これからは、甚平家の者が竜宮城の主になればいいさ。あたしから、鯨族のおさに伝えておくよ」

「ありがとうございます。では、さっそく太郎様を地上にお連れいたしましょう」


  *


 太郎は、浜の波打ち際に、仰向けに横たわっていた。

 目をつむっていたが、久々に浴びる日の光が、とても眩しい。

 何者かが、覗き込んでいる。眩しさをこらえて、少しずつ目を開けると、お亀のようだった。

「太郎さま、お加減はいかがですか? 海底から急いで上がって参りましたので、だいぶお体にこたえたでしょう。でも、しばらくお休みになっていれば、慣れると思います」

「お亀か。ありがとよ。それにしても、鍋太郎のことは本当に済まなかった……」

「それ以上おっしゃいますな。思い出してしまいますから。さあ、お別れでございます。もう二度とお会いすることはありますまい。太郎様もお達者で」

 そう言って、お亀は離れていった。

「ま、待ってくれ、お亀……」

 太郎は起き上がろうとしたが、体がいうことを聞かなかった。


 半時(約1時間)ほど浜に横たわった後、太郎はふらつきながら自宅に戻った。

 自宅はがらんとしていた。体に力が入らない太郎は、むしろの上に寝そべった。

 しばらくして、おトラが戻ってきた。

 おトラの腕や足には切り傷がたくさんあり、戦いの激しさが見て取れた。しかし、おトラの足取りは力強い。

「無事帰ったんだね、お前さん。お亀は、ちゃんと約束を守ったね」

「おトラ、今度という今度は、世話を焼かせちまったな。ありがとよ」

「へえ。珍しく神妙だね」

「乙姫や鮫たちはどうした?」

「乙姫は食いちぎって、バラバラにしてやった。御三家は、子供を除いて皆始末したよ」

「それ以外は?」

「お亀との約束どおり、甚平家には手を付けなかった。城下の民も、そのままさ。民に罪はないからね」

「そうかい。これで御三家は、当分大人しくしているだろう。あーあ、腹が減った。何か作ってくれよ」

「あいよ。すっぽん鍋なんかどうだい?」

勘弁かんべんしてくれよ」

「それじゃぁ、何にするかねぇ。ちょっと待ってな」

 おトラは、部屋の隅にある台所に行って、まな板に向かった。

 太郎は多少力が戻ってきたので、筵から起き上がり、囲炉裏のそばに立った。そして、囲炉裏の周りにある敷物に座ろうと、勢いよく腰を下ろした。

 すると、尻の下から赤い煙が立ちのぼった。

<え! この赤い煙は、もしかして……。吸ったら、えれぇことになる>

 そう思ったが、不覚にも赤い煙を吸ってしまった。

 太郎は、たちまち70年と3か月前の姿に戻った。つまり、この世から消えた。


「お前さん、下拵したごしらえが出来たから、鍋を持ってくよ」

 おトラは根深汁ねぶかじるが入った鍋を手に持って、振り返った。

 そこに太郎の姿はなく、薄っぺらでつぎだらけの着物や安物の帯、褌だけが落ちている。

「お前さん! どこだい?」

<おかしいね。かわやかいな。でも、裸で厠に行くかねぇ>


 その時を境に、太郎の姿は、それこそ煙のように消えてしまった。

 実は、赤い煙玉は太郎が乙姫のもとに行く途中で落としたのではなく、褌の中を尻の方に移動していただけだった。そして、太郎が勢いよく座ったはずみで皮が破け、煙が噴き出したのだった。

 おトラは太郎の帰りを待ったが、いっこうに帰ってくる気配はなかった。

<太郎の奴、いったいどこに行っちまったんだ? 今度は何にたぶらかされたのかね。ホントに世話の焼ける宿六だよ>


 太郎は、消えた時二十歳はたちだったから、彼が生まれるまでには、まだ50年もある。

 この物語は、とてもそれまで付き合ってはいられないのである。


《「改悪・浦島太郎」 完》


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