蒼に映る薄明

八咫空 朱穏

第1話『シロイノの夢』

「おい、。外に行くぞ、準備をしなさい」

「わかりました、お父様」


 シロイノ――私は、皆からそう呼ばれている。


 これは私の名前じゃない。でも、シロイノの他に名前がある訳でもない。


 私は――人間じゃないから。

 

 別に名前がないことや人間でないことは、私たちにとって普通のこと。私たちは体や目の色、体の模様などで呼ばれ方が決まる。私は周りで唯一ゆいいつ、体が白い。だから私は、シロイノと呼ばれている。


 私は、ねこ。黒猫族に生まれた白猫。生まれてから1回も白猫に出会ったことがない。周りに居るのは黒猫ばかりで、白猫は私だけ。でもそれは、当たり前のこと。黒猫族はみんな黒猫なんだから。


 そんな種族の中に生まれた私は、外の世界をあまり知らない。生まれてからはほとんどの時間を家の中で過ごしている。外に出たいと両親に頼んでみても、1度としてそれを許されたことはない。理由を聞いても「家の中の方が安全だから」ということしか言われない。


 ただ、今みたいにたまに外に出してくれることはある。あるけれど、1人で外に行くことは絶対に許してくれない。私が勝手に外に行かないように、絶対に家族が家にいて、常に私のことを見張っている。


 ほとんど外に行けない私は、物心がついたときから家の窓から外の世界をながめて過ごしてきた。

 外の世界は、“地上の民”と呼ばれる種族や動物が行ったり来たりしていて、とても忙しそうな感じがする。もちろん、私たちと同じ猫もよく見かける。当然、みんな黒いけど。


 そんなにも、外の世界って危険なのかしら? と疑うことはある。だけれど、私は家の外に行くことを許されていないから、よくわからない。


 そんな私でも、外に出るのを許されることがある。それは、黒猫族にとっての大切な行事がある時。さっき外に行く準備をしなさいって言われたのも、これがあるからってことはすぐにわかった。家族の話によると、今日の行事は特に長いみたい。


 ……今はとにかく、外に行くための準備をしなきゃ。


 外に出る時は黒土の泥を被って黒くなる。家族が言うには、私にはこれが必要みたい。これをやらないと外に出してもらえないから、毎回それに従って黒くなっている。今日もその例に漏れずに泥を被る。


「準備できたわよ、お父様」

「よし、出発だな。付いてきなさい」


 私はお父様の後について家から外の世界に出る。

 外の世界は、にぎやかでうるさく、きらめいていてまぶしい。今日1日は、この世界で過ごす。


 ちょっとだけワクワクする1日が始まった。




 家に戻ってきたのは、日も暮れようかとしている頃だった。1日の大半を外の世界で過ごしたのは初めてかもしれない。知らない場所で長い時間を過ごすのは、とても疲れる。

 家に戻って来た時にはもうクタクタで、体を丸めるとすぐに夢の世界へと旅立った。




 私は、青リンゴに似た美味おいしい匂いに包まれた、白い花がく花畑の中をけている。どこまでこの景色が続いているんだろうと思って、ぐるりとえがきながらその場を回ってみる。花畑はどこまでも続いているようで、どこまで駆けて行っても変わらなさそう。


 何回かぐるぐる回ってから、適当な方角に真っすぐ駆けていく。しばらく駆けていると、大きな黒いものが見えてきた。


 あれは、何かしら?


 興味をかれて、その黒いものに向かっていく。

 その黒い物体は、巨大な猫だった。その巨大な猫が、こちらを見ている……というよりは見下ろしている。


 巨大なのはもちろんそうなのだけれど、近寄っちゃいけないという空気を感じて、後ずさりをする。


「あなたは、誰?」

「我、なんじの祖たる一族の神なり」

「私たちの神様なの?」

「左様。我、汝の夢に来臨した所以ゆえん、汝に預言授ける為なり」

「……?」

「汝、我ら黒猫の祖に選ばれし眷属けんぞく末裔まつえいなり」

「私が、選ばれし……者?」

「左様」

「でも……私、白猫よ?」

「汝の成す色、関係なし。汝、我らの末裔なり。故に我らの血筋をつぎし者なり」

「色は関係ないのね……?」

「左様。我、汝に使命を授ける。汝の使命、汝のあるじを見つけよ」


 ――確信した。


 なんとなくそうだと思ったけれど、これはお告げ。ある年齢になった黒猫族の、その一族の神に選ばれた猫が聞けるもの。魔法使いの使い魔になることを運命付けられる、その預言だ。


「我ら黒猫族の神様。あなたの預言を聞き、それに従います」

「よろしい。我の言葉、汝に授けよう」


 黒猫族の神は、私に預言を授ける。


契約けいやくの地。汝の色の成す地なり。

 汝の主。汝に触れた初めの人間なり。

 汝と同じもの、求める者なり。

 何時なんときも忘れることく覚えよ」


 ここで目が覚めた。


 家の中はまだ暗くて、少しだけ見える外の世界も暗い。

 今から私がやるべきことはひとつ。


 家から出て、ご主人様を探すこと。


 以前、外の世界に出た時にふたつのことを教わった。お告げを聞いた黒猫族は、魔法使いの主を探さなければならないこと。それと、お告げを聞いた日には家を出て、戻ってきてはいけないことを。


 このふたつが黒猫族の大切なおきて。魔法使いたちと一族の祖である偉大な黒猫たちの交わした永遠の契約けいやく。私たちは一族の未来のために、この掟に従わなければならない。


 家族は皆寝ている。誰かが起きてくる前に出発しなきゃ。


 まだ暗くて静かな、ほとんど何も知らない世界――外の世界へと旅立つ。この場所にはもう2度と戻ってこられない。


 ぐるりと家の中を見回すと、ほの暗い世界に体を向ける。


 さようなら。私の生まれた場所。私の一番知っている場所。


 後戻りできない1歩を、踏み出した。

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