第3話 パパ、ごめんなさい――

「使命?」

 ゆきのの脳内にはクエスチョンマークしか浮かばない。


 ヒロトは

「多分、信じてもらえないと思うけど……」

 そう、前置きした後、話し始めた。


「俺は、前世の記憶があるんだ」


「前世の記憶?」


「小さい頃の事は、もちろんあまり覚えてないんだけど、両親が言うには、とにかく不思議な子供だったと」


「例えば?」


 ヒロトはスマホを操作して画面をゆきのに見せた。


「これは5歳の時に、俺が描いた絵だ」


 クレヨンでカラフルに書きなぐったような、実に子供らしい絵だったが、何を描いているのかは、はっきりとわかる。


 右端にいる髪の長い人がお母さん。

 その隣がお父さん。


 お父さんと思しき人の手にはピンクの服を着た赤ちゃん。


 ピンクで服を描いている事で、女の子なんだろうと察しがつく。


「それが、どうしたの?」


「このお母さんみたいな人をよく見て」


「うん。見た」


「髪の毛に花が付いてるだろう」


「確かに、青いお花」


「俺の母さんはこんなに派手じゃないんだ」


「ふぅん」


「で、このお父さんみたいな人、ネクタイしてるだろ」


「そうだね」


「俺の父さんは、寺の住職なんだ。だからネクタイはしない。そして、一番不可解なのは、この赤ちゃん」


「うん」


「何より、うちは子供は俺だけで、女の子の赤ちゃんはいない」


「他所の家族を描いたってこと?」


「そんなわけないよね。そこで疑問に思った母は、幼い俺にこう訊いた。これは誰?」

 ヒロトはお母さんと思しき人を指さした。


「俺は、りさこって言ったらしいんだ」


 ゆきのの全身は総毛だった。


 偶然だろうか? 


 里砂子というのは、ゆきのの母の名前だ。


「そして、母は次にこれを指さして、これは誰? と訊いた」

 ヒロトはお父さんと思しき人を指さした。


「俺は、ボクって言ったんだ」


 お父さんはヒロト……。


「じゃあ、これは?」

 今度はゆきのが、震える指で、赤ちゃんをさして訊いた。


「ゆきの」


 まるで、夢と怪奇現象を同時に見ている気分だ。


 ありとあらゆる感情と認識がぐるぐると覆されていく。


「成長するにつれて、それが前世での記憶だったのだと確信した。俺は前世の記憶を持って生まれてきたんだ」


「あ、私の、パパ……なの?」


 ヒロトは目の縁を赤くして、ゆっくりと頷いた。


「だから、これは、父親として当然なんだ。修学旅行、楽しんでおいで」


 そう言って、再度、茶封筒をゆきのの前に滑らせた。


 躊躇しているゆきのに、ヒロトは更に続ける。


「会えるものなら会ってみたい。段々とそんな思いが募ってね。中学に入ってから思出せるだけの記憶を辿って、住んでいた街を見つけ出した。けど、そこに住んでた家族は別な人達だった。俺は、記憶にある名前、佐倉ゆきのを毎日のようにネットで検索した。それで辿り着いたのがパパ活サイトだったんだ。画像の制服から学校を割り出したのは中学3年の時だ」


 ゆきのの心臓は針の先で突かれたようにちくりと痛んだ。


「がっかりした?」

 そう訊いた声は震えていた。


 ヒロトは首を横に振った。

「心配だった。だから、いつも見守ってたんだ。いざとなったら守らなきゃって思ってた。家族を守るのが俺の使命なんだ」


「家族……」


 その言葉に、抑え込んでいた感情が、決壊を超えた濁流みたいに流れ出して、溢れ出す。


 とっくに諦めていた家族。


 まだ到底脳に馴染まないばかりか、信じがたい。


 誰がこんな話を信用するだろうか。


 けど、ゆきのは信じたかった。


 無条件で愛してくれる存在。姿は違えど、父親と呼べる存在がこの世にいるなんて、まるで夢を見ているようだ。


「うちの寺は仏教でね、両親ともに輪廻については認識も理解も深い。俺に、この絵の父親の生まれ変わりなんだと教えてくれたのも父だ。生き別れた家族に会いたいという思いも前向きに応援してくれて、今の暮らしができてるんだ。ただ……」


 ヒロトはゆきのから目を反らすように視線を伏せて、こう言った。


「成長と共に、記憶は薄れていく。俺は向井ヒロトとして生きて行かなきゃいけないし、いつか佐倉真守まもるの記憶はなくなっていく。今、まだ記憶が少しでもあるうちに、里砂子に、君のお母さんに会いたい。他の女性の事は一切思いださないのに、彼女だけが鮮明に思いだされるんだ。衝突して白煙を上げる車の中で、最後に名前を呼んだのは……里砂子……」


 ゆきのの目からは大粒の涙がこぼれだしていた。


 母は、もうあの時の母じゃない。


 父が母に会ったらきっと絶望して悲しむに決まっている。


 ゆきのはせっかく会えた父親を、悲しませたくないと強く思った。


「どうして泣いてるの?」

 ヒロトは心配そうにゆきのの顔を覗き込む。


「ママは……ママは、もう……」


 あの時の、パパが好きだったママじゃないの。その言葉は喉の奥に突っかかって声にならない。

 口を抑えて、嗚咽の押し込んだ。


「え? 里砂子は? もう?」


 ヒロトの顔に不安の色が宿る。


 ゆきのはただただ、首を横にふることしかできない。


「そうか。もう17年も経っているんだもんな。色々と状況も変わってるだろ。元気にしてる?」


 ゆきのは首肯した。


「そっか。それならよかった」


「記憶がなくなったら、もうパパじゃなくなるの? 私の事、忘れるの? そんなのイヤだ」


 ヒロトは優しく笑ってこう言った。


「おいで。いい物見せてあげる」



 

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