第2話 不信心な殉教者

 僕の名前は蓮池蓮はすいけれん。回文みたいな名前になってしまったが、それには家業が大きく関わっている。

 父は浄蓮寺という寺の住職をしており、母が長男に「レン」という名前を付けたがったところ、極楽浄土に咲いているという「蓮」の花の字以外は受け付けなかったらしい。

 

 浄蓮寺は禅宗系の大きな寺院で、とある地方都市の中心地にあり、金持ちの檀家も多い。

 僕は周囲からの「お寺の息子」という目線にさらされ、ハメを外せない息苦しさを感じながらも、昼寝とロールプレイングゲームが好きなインドア系ビビり男子?として、何不自由なく(注:彼女がいない以外)育った。


 一人息子なので、普通にいけば将来は住職として寺を継ぐことになる。

 正直、信仰心は全くないのだが、まあそれなりに安定した生活を送れるだろうし、少なくとも『サービス業としての寺』には意義があると考えている。

 だって「亡くなったコースケさんは信心が足りなかったからウチの寺では葬式できません。となりのカトリック教会に頼んで埋めてもらってください」って言われても困るでしょ?

 世の中を円滑に動かすには、建て前と様々なサービスが必要なのだ。

 実際、檀家のうち、ふだん偉そうにしている金持ちどもでも、親を亡くしたときなんかには、うちの父のありがたーい説話を聞いてオイオイ泣いている。それでスッキリできるというサービスなわけだ。当然対価もいただく。


 さて僕は、平凡な、家にこもりがちだった高校生活(ちなみに男子校だ)も終盤を迎え、進路を決める時期になった。

 将来は寺を継ぐとしても、まずは大学進学を希望したが、父からは厳しい条件を付けられた。

 僕の地方の最高学府である国立大学に合格できなければ、「実家が寺の男子」ばかりが通う、坊主養成系の大学に行けというのだ。

 

 せっかく息苦しいこの町を離れて青春を謳歌できるのに、そんな線香臭いところは勘弁だ。泣き言を言ったが、頑固な父からは「喝」が入っただけだった。

 

 もしも国立大学に合格できた場合でも、入学前に僧侶としての修行を多少行っておくように言われたが、そもそも合格できなければ、僕の青春は青雲(誰も知らないだろうが家庭用線香のトップブランドだ)の煙に覆われてしまう。

 

 泥縄で必死に勉強したが、父母を含め、親族にまともな大卒者もいない僕には高すぎるハードルだった。

 もう亡くなっているが、唯一母方の祖父のいとこ?が、貧しい中でも苦学して東京の某有名大学を出ており、親族一同からは神童と呼ばれていたらしい。

 

 模試の成績も芳しくないまま試験当日を迎えた僕は、相当テンパりつつも、名前も知らない母方の祖父のいとこの加護を願い、心から祈った。


 そして驚いたことに合格してしまった。

 頑固な父も上機嫌で、大学入学前に宗派の本山で行う僕の修行の手配をしたが、「大学生活に差し障りがあるので、剃髪する(要は『つるつる頭』にする)のは勘弁してほしい」との願いを聞き入れ、本山にかけ合ってくれた。つるつるでは、サークル活動の軽いノリでは最初から浮いてしまう。何より女子ウケも最悪だろう。


 

 禅宗の修行は、他の宗派に比べ一般的に厳しい。

 早朝に起きて勤行(お経を唱える)したり作務(寺の雑作業)をしたりするのは同じだが、それに加えて座禅の時間が長いのだ。

 朝の3時から断続的に深夜にまで及ぶこともある。


 

 本山での修行は大学入学前の3月に、2週間ほど行われることになった。

 山奥にある、杉の古木に囲まれたその寺に行ってみると、まあ大変なことは大変だが、基本的な作法は家で父に叩き込まれていたこともあり、なんとかなりそうだった。雲水(住み込みの先輩修行僧)の皆さんも、厳格ガチガチの宗教家というよりは常識的な人たちだ。

 僕は同世代か、少し上の人たち数人と一緒に修行に入ったが、数日もするとみな浮ついた雰囲気は消え、修行者らしくなっていった。


 

 でも、そんな時に事件は起こった。


 僕は基本的に健康だが、強いて言えば持病のようなものが2つある。

 

 ひとつは花粉症だ。これは花粉症にあらずんば日本人にあらず、というくらいポピュラーだけど、何しろ杉の巨木に囲まれた山奥の3月という環境だ。いきおいティッシュの使用量は多くなった。もちろん変な意味ではない。

 

 もうひとつは何と呼べばいいのか、「気絶癖」みたいなものがある。昔から極度にテンパったり、恐ろしい目に合うと、時々気を失ってしまうのだ。

 単純に気を失って倒れることもあるが、はたから見ると普通で記憶だけが飛んでいることもある。最近では入試の最中の記憶がはっきりしない。結果を見ると出来過ぎだったのでかまわないが。


 とにかく修行を始めて1週間ほどが過ぎた日の早朝、春とは言えまだ冷え込む山奥の本堂で、僕たち修行者は座禅を組んでいた。

 厳粛な空気が周辺を包むなか、警策(喝っ、てやる平たい棒です)を持った指導役の雲水の足音だけが堂内に響いていた。

 

 『雲水の人たちは常識的』といったが、僕には一人だけ天敵っぽいのがいる。30歳くらいだろうか、見るからに体育会系の、日焼けした筋骨たくましい雲水で、いい年をしてちょっと言動が中二病っぽいところがある。この人が僕にだけ、わりとツラくあたるのだ。

 他の先輩に聞いたのだが、どうも僕が髪を伸ばしたままなのが気に食わないらしい。

 

 彼は昔、学校を卒業するときに思い切って同級生に告白し、デートの約束を取り付けた。その後、僕と同じように短期の修行に行き、つるつる頭にして、苦しい修行をやっと乗り切って喜び勇んで初デートに行ったら、

「そんな頭の人とは恥ずかしくて一緒に歩けない」

 と言われ、その場で即座にフラれた経験があるそうだ。

 ご愁傷様である。

 

 その朝の座禅では、この天敵が指導役だったため、僕は普段より緊張し、背筋をピンと伸ばして澄ましていた。

 だが、そんなときに限って花粉で鼻がムズムズしてくる。

 僕は全力で、切実に、死に物狂いでクシャミを我慢していたが、やがて限界の時を迎えた。

 

 

  ひーっ、へぷしぼっ!


 もの凄く変なクシャミをしてしまった。

 ちなみに「ひーっ」という高音は、僕が必死にクシャミを我慢しているなかで、残念ながら色々と漏れ始めた状況を示している。

 続いて「へぷしぼっ」では、我慢という名の戦いに敗れ、徐々に諦めが支配し、なるようになれとヤケクソになっていく哀愁が如実に表現されている。

 このびがご堪能いただけただろうか。

 

 僕の奇天烈なクシャミを聞いて、となりの奴が耐えられずにぷっと噴き出すと、つられてその場の全修行者が爆笑しだした。

 厳かな早朝の空気は跡形もなく消え失せ、激怒した天敵の雲水が、本堂の向こうから真っ赤な顔でこちらに迫ってくる。

 えっ、でも、しょうがない生理作用じゃないですかっ、僕にどうしろと言うんですかっ。そんな言い訳が頭をよぎる中、走り寄った天敵が僕の前で警策を大きく振りかぶった。


 コワイコワイコワイコワイ……、警策が振り下ろされる前に、僕はすでに気を失っていた。

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