魔女、星灯りに誓う

「メリル殿。少し、二人で話がしたい」


 予言の話をして今後の方針を立てた後、部屋に戻る途中でメリルはデュークに声をかけられた。

 この宿屋は、奥の階段からは屋上に行けるらしく、メリルはデュークに連れられて屋上への階段を上った。

 いつものようにメリルの手を取ったデュークだったが、メリルが重そうに階段を上る様子を見ると、メリルの肩と膝裏に手を回してすっと抱き上げた。

 階段途中で急に抱き上げられたメリルは怖くなってデュークの肩に思い切りしがみついてしまった。


「急に持ち上げるんじゃない! せめて声をかけてから! いや、そうじゃない、年寄り扱いしおってからに!」


 これは生贄の務めだと心の中で言い聞かせる時間が足りなくて、思わず悪態をついてしまった。

 メリルが気持ちを立て直そうと息を吸ったり吐いたりしている間に、デュークはどんどん階段を上り屋上への扉を開けた。

 開け放たれた扉の向こうに広がる夜空は、思ったより星がよく見える。

 屋上でデュークの腕から解放され、魔女の庵からもよく見えた慣れ親しんだ星空を見上げると、気持ちがすっと落ち着いてくるのがわかる。


「街中だというのに意外と星がよく見えるんじゃな」

「この辺りは、高い建物がないからな」


 都市部だと、明るい街頭と遅くまでついている店の灯りで星が見えないというのは、前世での記憶による思い込みだった。王都の夜も灯りは少なく、気持ちを落ち着かせる程度にはきれいな星空を見せていた。

 しばらく二人は何も言わず星空を眺めていた。


「メリル殿。俺は、あなたにあれだけ誓ったのに、サアヤ殿を危険な目に会わせてしまった。申し訳ない」


 そう言って頭を下げるデュークに、メリルは戸惑う。

 メリルの中では、デュークに助けられたことにお礼を言うことはあっても、謝られつようなことは何もなかったのだ。


「サアヤは気にしていないし、むしろ、あの子を守ってくれたあんたに、こっちがお礼を言う立場なんだがね。……と言っても、今のあんたに必要なのはそんな言葉じゃあないんだろうね」


 頭を上げたデュークはメリルの言葉を肯定するように自嘲すると、目を伏せたまま呟く。


「……俺は、驕っていた」


 その声に、いつもの自信に満ち溢れた響きはない。

 メリルはデュークの言葉に静かに耳を傾ける。


「俺は、辺境騎士団で自分を鍛え、強さを身に付け、自分が守られる側でなく、誰かを守る立場になれたのだとそう思っていた。けれど、そんな俺の驕りが彼女を危険にさらしてしまった。王都の民を、弱き者を傷つけたくなくてこの地を離れたのに、王都の民どころか、サアヤ殿一人すら守れなかった」

「後悔、しとるのかい?」

「ああ、俺が彼女を守り切れると思ったのは過信だった。安易に彼女の力を頼るべきではなかった。王都の民の一人である彼女を危険な旅に連れていくべきではなかった――また彼女を連れて行くことで、彼女を傷つけてしまうことが怖い。できる限り危険から遠ざけておきたい。今でもそう思っている」


 デュークが苦悩している気持ちが痛いほど伝わって来た。

 寄り添うことはできる。

 メリルはそうやって先代に助けてもらった。先代はメリルに、できることをすればいいとその弱さを肯定してもらった。弱いメリルが壊れてしまわないように。

 でも、デュークはどうだろう。


(あの時の私と今のデュークは違う)


 あの時の、自分にも周りにも何も拠り所がなかったメリルと彼は違う。デュークには、頼れる仲間も、努力の結果手に入れた実力もあるのだ。

 そう思うと、デュークに必要な言葉がするすると頭の中に浮かんできた。


「何をめそめそしたことを言っとるんだい! 情けないねえ。できなかったことをぐちぐち悔やむんじゃないよ! 次は守る、それでいいじゃないか。だいたいねえ、それはついて行くと決めたサアヤに対しても失礼じゃないかい?」


 デュークは、はっとしたように顔を上げた。


「あの子に、危険に対する覚悟がなかったとでも? 私の孫だよ、馬鹿にしてもらっちゃ困るね。言っとくけど、無理矢理行かせたわけじゃないよ。全て納得してあの子が決めたんだ。それでもあんたが気になるというなら、次は、あの子の覚悟を受け入れた上で、あんたもあの子を守る覚悟を決めるんだね」

「それでいいのか?」

「ああ。下の者は守られることばかりを望んでるわけじゃないんだよ。少なくともあんたの騎士隊のやつらはそうじゃろう。サアヤは騎士ではないが、あんた達に関わると決めた時点で同じことさ。サアヤは自分でお前達についていくと決めたんだからね」


 いつもの自信に満ち溢れた顔が、見る影もない。

 デュークの、答えを求めて戸惑う金の瞳がまるで小犬のようで、ふと笑みがこぼれた。


「そうだね、それでも気が済まないなら――あんたがその気持ちを返す先は、サアヤに対してじゃあないね。その後悔は別の所へ生かしな。お前自身の糧にして、お前自身が成長するのさ。そうすることが皆への恩返しにつながる。今のお前ならできるじゃろう」


 メリルは、デュークの袖をグイっと引っ張った。


「こっちへおいで。ほら、頭をお出し」


 けげんな表情で頭を差し出すデュークの頭をメリルはぐしゃぐしゃとなぜた。

 先代もメリルが落ち込むとよくこうしてなでてくれた。


「あんたは大丈夫さ。あたしが保証してやる。あんたは、人の上に立ち、全てを受け入れた上で、守れる人間になる。後悔で立ち止まるんじゃないよ。覚悟をお決め。そして必ず前へお進み」


 そのままメリルの肩先にまで下がって来たデュークの頭をなでて、ぽんぽんと軽く叩いた。

 メリルも、先代のメリルに励まされて前に進んだ。


「まあ、死なない程度でいいんだがね。大事な生贄に死なれちゃ困るからね」

「ああ、俺はメリル殿の大事な生贄だからな」


 デュークの声が詰まったように感じたが、そこは気づかないふりをした。


「まあ、デューク、そのこと――生贄という話なんだがね」


 メリルは、ふと生贄の件についてデュークに話しておこうと思った。これから聖女や王子達と戦いになる可能性もある。その際に生贄だからと捨て身になられても困るのだ。

 しかし、言いかけたメリルの口に、そっとデュークの親指があてられて、言葉は封じられた。

 頬にかかる指が熱い。

 残りの指がメリルの頬を撫でているように感じるのは、気のせいだ。


「あなたが心配してくれるのなら、魔女の生贄も、なかなか悪くないな」

「ふん、そうかい、あんたがいいなら、それもいいだろう」


 なんだかそのつぶやきがとても甘く感じられて、メリルは、思わずそう答えてしまった。心臓がバクバクいっている。声がひっくり返らなかった自分を自分でほめてやりたい。


(い、生贄の件はまた別の機会に、ちゃんと言うわ)


「冷えて来たな」


 デュークは、メリルに上着をかけると、階段を上がって来た時より、ずっと丁寧にメリルを抱き上げた。


「あなたは小さいな」

「ふん、年寄りは縮むんだよ!」

「それから、温かいな」

「当たり前じゃろ! しなびてるがね、まだ死体じゃないよ」


 憎まれ口を叩くメリルに少しだけ口の端を上げると、デュークはメリルを部屋の前まで運んだ。


「メリル殿。話を聞いてくれて感謝する」

「ふん、今度弱音を吐きにきたら、あたしがまた蹴とばしてやるよ」

「ああ、頼もしいな」


 左手を背中に回して腰をかがめ、デュークは右手でメリルの手を掬いあげた。

 その手を額に当て礼を取ると、デュークは顔を上げた。

 その瞳には、もう先ほどのような迷いはなかった。


「よい夜を。マイレディ」

「ああ、おやすみ」


 メリルはデュークを見送り自室に戻ると、姿変えの魔術を解く。

 窓枠にもたれ、静かに空を見上げる。


(決して死なせはしない)


 デュークは、今、この王国を救うための組織を率いる、唯一の王族。

 この国を救うには彼はなくてはならない存在だ。

 けれど、メリルは国を救うなんてそんな大それた目的のために、デュークと彼らを助けようと思っているのではない。


(私はあの人達のこと、思ったより好きになっちゃったんだ)


 彼と、彼の周りの人々。メリルが彼らの側にいたかったから。

 彼らの側は、永遠の居場所ではないだろう。

 でも、今この瞬間に、メリルは彼らのために何かしたいと思ってしまった。

 理由は、それで十分だった。


(あの人達を、絶対に失いたくない。あの人たちの大事なこの国を、この「物語」を、壊させはしない)


 メリルは先ほどデュークとみた星灯りを再び見上げ、その誓いを新たにするのだった。

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