魔女、行き倒れ王子を拾う

 その日、メリルは浮かれていた。

 明るい日差しは心を浮き立たせるし、森から流れこむ風は新緑の匂いが心地いい。

 仕事もひと段落ついたし、かねてより約束していた隣国の観光食べ歩きツアーにはもってこいの日和だ。頬を緩ませながら、しばらく留守にする魔女の庵の戸締りをして、棚の薬草や魔法薬に念のため保管魔法をかけていく。

 今回の旅行は、先日魔女の力で恩を売っておいた隣国の公爵家による接待旅行だ。もちろんタダ。美食と享楽の都と名高い港湾都市で、見目の良い若者を侍らせて、うはうはの豪遊旅行をするのだ。

 貸しは返してもらう。もちろん恩も。これがメリルの信条だ。


(はあぁ。これから二週間、若い男を侍らせて、逆ハーもどきの異世界豪遊をするのよ! そのために頼まれてた魔法薬作りも魔道具作りも、全部、ぜーんぶ、前倒しで終わらせたんだから!)


 その思考は、ふわふわの亜麻色の髪と新緑の枝葉を切り取ったような若草色のくりっとした瞳、十九歳という若さ溢れる年齢とは明らかにそぐわない残念なものだ。

 調子外れの鼻歌を歌いながらターンをして、しばらく留守にする寂れた庵のタンスから、持っていく荷物を次々にリュックに放り込んでいく。

 準備は万端だ。

 けれど、玄関ドアを開けようとしたその時、無情にも、部屋にノックの音が響き渡る。


「……」


 メリルはにっこり笑って、回れ右をした。

 裏口は、こういう時のためにあるのだ。

 メリルは、そっと裏口に忍び寄ると、扉を片目が見える分だけ細く開けて外の様子を窺った。


(暗い……)


 外はいい天気のはずなのに、何だか微妙に薄暗い。

 疑問に思いながらそろそろと視線を上げると、その先の金色の瞳と目が合う。


(ひいっ)


「予言の魔女殿の耳はいささか遠いようだな。表のドアをノックしたが応答がなかったので裏に回らせてもらった」


 頭のすぐ上から落ちてきたのは、ぞくりとするような冷ややかなバリトンの声だった。


  ◇◇◇◇◇◇


 メリルの住むルフト王国は、深い森と清廉な湖、実り多き大地に恵まれた豊かな王国だ。この国を統べる王家の皆様はなかなかに働き者で、豊かさに胡坐をかくこともなくバランスをとった善政を敷くと、民からの支持も厚い。

 メリルは、そんなルフト王国の西の森に住む、予言の魔女として名高い腕利きの魔女だ。彼女の予言を求めるものは多かったが、魔女の庵は森の奥深くにあり、近隣に住む者達でもめったに近寄れない。ここまでやってくるのは、それこそ、メリルの予言をあてにした欲深な者達か、本当に深刻な悩みを抱えた者達だけだった。


 メリルは窓際の椅子に座ると、向かいに座る黒を基調とした騎士服をまとった青年をじろりと睨みつけた。

 彼は、ルフト王国の第三王子デューク=シエル=アル=ルフトと名乗った。辺境騎士団に所属しており、辺境から王都へ向かう途中だという。

 王族というだけあって、魔女の庵の粗末な椅子に座っているだけだというのに、雰囲気がある。年は二十代半ばだろうか。しなやかな体躯に、赤銅色の髪と金の瞳、通った鼻筋に切れ長の瞳の精悍な顔立ちは、誰もが振り返るレベルだ。さすが王族。美女ばかりをお妃様にしているのだけのことはある。しかし今は、不機嫌そうな表情のせいか、その魅力は三割減と言ったところだ。

 先ほど裏口が薄暗かった理由は、この男が裏口のすぐ前に立っていたせいだった。柄にもなく一瞬取り乱してしまったが、即座に扉を閉めたから、メリルの姿は多分見られていない。――これに関しては、何の問題もないはずだ。


(なああによっ。王族だからって、顔がいいからって偉そうにっ)


 半分やっかみの様な気もするが、出発を邪魔されたメリルだって面白くない。

 顔がいい男は嫌いじゃないが、依頼人に容姿は関係ない。むしろ余計だ。だいたい顔のいい男は性格が悪いと相場が決まっているのだから。

 メリルは腕を組み直すと、この男をどうしてやろうかと思案する。

 客に対して無下にするわけにもいかないが、王族だとか身分の高い輩なんて、くだらない用事がほとんどだ。伝説の秘宝の場所を探せとか、結婚相手は誰を選べばよいかとか、自分でどうにかしろと言いたい。決まりを守って、一人でここまで来たことは褒めてやってもいいが、メリルは、この王子からの依頼を受けるつもりはさらさらなかった。

 けれど、気に喰わないのとこれとは別の話だ。


「さっさと飲みな」


 メリルは、向かいに座っている男に、どん、と木製のカップを突き出す。

 カップの中に入っているのは、すさまじい匂いとひどい色の液体だ。もちろん味もとんでもない。

 不機嫌な顔のまま何も言わない王子デュークにメリルは欠けた歯を見せて凄んで見せる。


「あたしのもてなしが受けられないって言うのかい? それじゃあ、会話は始められないねえ」


 デュークはメリルを一睨みするとカップを口に運んで一気に煽る。その不遜な表情が、わずかに揺らいだのを見て、メリルは少し胸がすっとする。


「で? お前さんは、なぜここを尋ねてきたんじゃ? あいにく、今は依頼は受けられないよ。これから出かけるところでね。それを飲み終わったんならさっさと帰ってほしいね」


 メリルはこれから旅行に行くのだ。それも待ちに待った接待プラス豪遊旅行。心は既に隣国の空の下だ。左右に侍らせた美形にかしずかれる自分の姿が目に浮かぶ。

 メリルは口の奥の欠けた歯をもごもごさせながら、しわくちゃの腕を組みなおした。こぼれた白髪を指の先でくるくると回すふりをしながら横目で確認すると、デュークの顔色はだいぶましになっていた。これなら追い返しても心が痛まない。

 けれど、デュークは、拒絶をして追い返そうとするメリルの前でも、焦る様子もない。落ち着き払った様子で、おもむろに懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、眉を顰めるメリルの前に広げて見せた。


「最初に訂正しておこう、予言の魔女殿。俺は依頼ではない、借りを返してもらいに来た――魔女メリルの予言の技を所望する」

「魔女の誓文……」


 メリルはデュークの手から羊皮紙をひったくるように奪うと中身を凝視する。

 なんということだろう。

 その羊皮紙は、魔女にとっての最上位の契約書である、魔女の誓文だった。

 そこには、魔女メリルが、王家が求めた時には、その依頼を一度だけ優先的に引き受ける旨が記されている。もちろん、魔女の力が込められたメリルの名前のサイン入りだ。

 これを書いたのは自分ではないが、が書いたものであることは間違いない。


(おばあちゃああああん!! 何やらかしてくれてるのお!)


「っぐ、だがね、予言の魔術には対価が必要なのさ。あんたに払えるのかい!?」


 動揺しかけたが、メリルはこの誓文には、対価については記されていないのに気づき、持ち直す。ならば対価を要求するのは魔女の縛りの範囲外だ。ふっかけて断らせてやる、とメリルは内心息巻く。


「問題ない。宝石は必要なだけ準備しよう。もちろん若い男の生贄もな」

「いけにえ……はあ!?」


 生贄。

 ドン引きである。

 しかし、生贄情報の発信源には心当たりしかない。

 メリルは、これから豪遊しようとしていた隣国の公爵家の腹黒ドラ息子の顔を思い浮かべて歯噛みした。

 確かに、間違いではない。若い男に囲まれてきれいな景色においしいお酒と料理が食べたいと言ったのはメリルだ。魔女にはちゃんと生贄を用意しておくから、なんて冗談を言っていたのもあいつだ。

 でも、生贄の意味が違う。


(最近、予言の依頼者が少なかったのは、ひょっとしてこのせい!? これは貸しだわ。あの腹黒男! この貸しは何倍にもして取り立ててやるんだから!)


 怒りでぎりぎりと歯をかみしめたため、危うく欠けた歯が増える所だった。

 けれど、これは利用できると思い直し、メリルは、不遜な態度を崩さないデュークに向かって咳ばらいをして表情を取り繕うと、にやりとした。


「そう、生贄ももちろん必要さ! 対価は、宝石が甕に三杯。それから、生贄だがね、あたしは好みにうるさいんだよ。――あんたがなりな! それ以外は一切認めないよ!」


(宝石は、甕一杯で鉱山一年分採掘量。いつもの三倍の量をふっかけてやる。それに王族の自分を生贄になんてできないでしょ!! どうよ!?)


 しかし、デュークは、なんのためらいもなく回答する。


「甕に五杯用意しよう。生贄は、いいだろう、確かに俺こそがふさわしいな」


 デュークはそういうと、初めてわずかな笑みを見せた。皮肉気な自嘲するような笑みは、すぐに捕食者のそれにとって代わる。美しい顔に浮かべるその笑みは、言うなれば、肉食動物が草食動物に向けるようなそれで。

 失敗したかもしれない、とメリルはこの時大きく後悔した。


「契約成立だ」


 デュークはしなやかな身のこなしでマントを翻し、メリルの前に片膝を突き、頭を垂れた。

 貴族や高尚な騎士の間でしか見ることができない騎士の礼。

 メリルは、初めて目にしたその流麗さに一瞬にして目を奪われる。

 そして、次の瞬間、デュークは、あろうことかメリルの手を恭しく取り、その指先にキスをしたのだった。


 ――しわくちゃの老婆の姿であるメリルの指先に。


「この身は今からあなたの物だ。マイレディ」


 麗しい王子が自らのレディに捧げる騎士のしぐさとセリフは、破壊力抜群で。

 メリルの頬に血が上る。

 デュークは、メリルの指先を口元に当てたまま、上目遣いにメリルを見上げると、すっと口の端に笑みを浮かべる。


「生贄として、主人への最初の警告だ。人前で歌うのはやめた方がいい。あなたの鼻歌は独創的すぎて、聞く人を選ぶからな」

「……あ、あんたっ」


 メリルの頬がさらに羞恥で赤くなる。


(このクサレ王子っ!)


 やっぱり顔のいい男なんてロクな奴がいない。

 メリルは、その思いをさらに強くしたのだった。

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