12.バッセン

 バシャバシャと落ちる水音で目を覚ました。

 時刻は七時四十分。もうちょっと寝たかったなぁと思いつつ、あくびをひとつして床に足をつけた。

 ふと見ると、足元には昨日戻したはずのイラストが落ちてある。寝返りを打った時にでも、風が出て落ちたのだろうと、今度はスケッチブックに挟んで本棚に立てておいた。

 着替えを済ませてリビングに向かうと、シャワーを浴びていたであろうテッペイが、髪を拭きながら出てくる。上半身は、寒い季節なのに相変わらず裸だ。


「お風呂入ってたの?」

「まーな。走ってきたから」

「へ? 走って? どこに行ってたの?」

「その辺適当に三十分くらい」

「毎日?」

「ほぼ毎日かなー。行かねー日もあるけど」


 シャワーを浴びたテッペイは、ただの水をゴクゴクと飲んでいる。

 そしてやはり、朝から豚肉とサラダと大豆とお米を食べ始めた。昼も夜も似たようなメニューだ。

 ルリカはお米と漬物とお味噌汁。テッペイも味噌汁食いたいというので、よそってあげると喜んでくれた。


「今日も暇だし、どこ遊びに行っかなー」


 ご飯を食べ終わったテッペイが、伸びをしながら真剣に考えている。


「いやいやいや、職安でしょ」

「どーせ働くんだから、ちょっとくらい羽を伸ばしてーの!」

「あ、そ……」

「バッセンでも行ってくっかな。ルリカも来るか?」

「バッセン?」

「バッティングセンター。行ったことねぇ?」

「うん、ない」

「マジかよ、行こうぜ!」

「えええーーっ!」


 ルリカが断る間もなく、テッペイは勝手に決めてしまう。この強引さは、ゲームの中のテッペイそのものだなと思うと、少し嬉しくもあったが。

 オープンしたすぐのバッティングセンターに連れられると、テッペイはそこの経営者らしき宇治うじというおじさんと仲良さそうに話をしている。

 借りてきたネコ状態のルリカは、テッペイの後ろにおずおずついて歩くしかなかった。


「七〇キロくらいなら打てっかなー。ちょっとここでやってみろよ」


 テッペイが二百円を投入してルリカをその場に置き去りにし、外に出ていってしまった。と言っても、ネットのすぐ後ろで見てくれているわけだが。


「え、待って待って、怖い!! どうやってバットを持つのかも知らないんだけど!」

「あってるって。見ろ、来るぞ」


 遠くにある人型のバーチャル画像が、振りかぶってボールを投げるモーションをしている。と同時に、球が勢いつけて吹っ飛んできた。


「ぎゃあああーーーー!!」

「逃げんなって、余計あぶねーから!」


 ボールはザンッと音を立てて後ろのネットを揺らした。打てる気が、まったくしない。


「しっかり構えて、よく見てたら当たるからよ」

「んな適当な!」


 次の投球がされるも、なにもできずに見逃し。

 それからも、とりあえずバットを振ってはみたが、早すぎる、遅すぎる、てんで的外れ。


「無理!! こんなの当たる人いるの?!」

「ちょっと代われって」


 テッペイに言われて、ささっと入れ替わる。本当は途中の入れ替わりは禁止らしいのだが、経営者の人が見ていてもなにも言われなかった。朝早くて誰もいなかったのもあって、目を瞑ってくれたのだろう。

 バーチャル投手が、振りかぶって投球を始める。

 テッペイはその球を──


「あ、やべっ」


 スカッ。


 見事に大空振りした。


「ちょっと、偉そうに言っといてそれ?!」

「ちっげーって! 遅すぎて振りづらっ!」


 二球目も、スカ。

 ルリカがゲラゲラと笑うと、三球目からはカンカンと当て始めた。調整の早いやつである。


「おっせー、打ちづれぇ!!」

「普段は何キロ打ってんの?」

「一〇〇から一四〇キロをその日の気分でだなー」

「ひゃー、本当に当たるの?」

「当たる当たる。ルリカ、とりあえず二十球終わったから入ってこい」

「ええ? 二人は入っちゃダメって書いてあるよ?」

「俺、宇治さんと仲いいからいーの」


 おずおずと中に入ると、テッペイはまた二百円を投入している。

 ルリカはテッペイにバットを握らされ、後ろから支えてくれた。


「このタイミングな」


 体を任せていると、テッペイが一緒に振ってくれる。カキョという可愛い音がして、振動が手にピリピリと響いた。


「あ、当たった! 結構振動がすごい!」

「慣れるまで思いっきり振り抜く必要ねーからさ、気楽に打ってみろって」


 それから三回、一緒に打ってくれた後、テッペイはサッと外に出ていった。ドキドキしながら一人で打ってみると、目が慣れてきたのか体が覚えたのか、フェアボールになるかどうかは別にして、そこそこにバットには当たっている。

 ボールがミートする瞬間の、手への振動が心地いい。


「当たると楽しいー!!」

「だろ?!」


 少し慣れてくると、もう少し振り抜いてみる。大きく空振りしてしまうこともあったが、当たるとそれまでよりも飛ぶので、これもまた楽しい。

 カキョ、という情けない音から、カキッという野球らしい音が出るのもまた嬉しいのだ。

 さらにルリカは二百円を追加し、もう二十球を楽しんだ。これは運動不足解消にもストレス解消にもなりそうである。


「あーー、面白かったーー!!」

「もういいのかよ」

「うん! テッペイもやるんでしょ? やってるとこ、見てみたい」

「惚れんなよ?」

「それはないから大丈夫」

「っち」


 もう惚れちゃってるからね、という言葉は心の中に仕舞って、一四〇キロの打席に立つテッペイ見上げた。

 ビヨンッとすごい音を立てて出てきた最初の一球は見逃して。


「やっぱ、これじゃねーとなー!」


 二球目は、バキャーーンとすごい音を立てて打ち抜いた。

 音が、ルリカの時とぜんっぜん違う。というか、ルリカにはボールが見えない。


「なに今の、消える魔球を打ったの?!」

「消えねー消えねー。普通のストレートだっつの」


 バギャーーンッ!


「カキーンとかいうかわいい音じゃない! これから野球漫画は、ドゴンとかドギャンとかいう音に変えた方が良いと思う!」

「カキーンってのは、金属製のバットの音じゃねー? これ木製だし」


 バギャーーンッ!


「最近は金属製のバット使うところは少ねぇみてーだけどな」

「そうなの?」

「耳が悪くなるらしい、ぜっ」


 バギャーーンッ!


「へー、そうなんだ」


 その後テッペイは一四〇キロの球を、八十球分打ってようやく満足したらしい。

 そして昼からは職業安定所に……行くわけもなく、今度はストリートバスケの現場に連れていかれたのだった。

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