イスタとユーリ

麻井 舞

第1話 昼の顔(1)

 この星は、常に人間と悪魔が戦ってきた。理由は、自分の種族こそが生物カーストの頂点であると証明するためだ。


 今から約100年前のこと。王国マグノリアは、悪魔たちとの大きな戦争に突入した。争いは両者が思う以上に長びいて、血で血を洗う大惨事となった。


 時代が変わったのは、開戦から10年と3ヶ月が経った頃だった。


 当時、無名だった騎士の家系 〝リリー家〟から1人の女騎士が参戦した。


 その名は〝タイガー・リリー〟。


 彼女は並外れた戦の才能に加え、身分関係なく全ての者を惹きつけるカリスマ性を持ち合わせていた。タイガーにより固く結束したマグノリア軍は破竹の勢いで悪魔を撃破し、遂には勝利をおさめた。


 人類を奇跡的な勝利へと導いたタイガーは、王から〝公爵〟の位と広大な領土を与えられ、英雄と称えられたのだった。









「きゃああああっ!」


 そして時は現在。

 場所はマグノリア王国、首都リーリウム中心街。


 この日、市場では年に1度の春祭はるまつりが開催されていた。町中に色とりどりの花が飾られ、商人たちのテントが並び、音楽隊が曲を奏でている。


 そんな華やかな場で悲鳴をあげたのは、10代半ばの少女だった。上品なピンク色のドレスに身を包んだ彼女は、道端で立つピエロから風船を受け取った。

 すると突如、ピエロの様子が急変したのだ。口から黒いもやのような物を吐き出し、瞬きをする間に黒色のカエルへと変化した。2階建ての民家よりも大きくなったカエルは、恐怖で動けなくなった少女をパクリと丸呑みしてしまった。


「悪魔だ!」


 と、誰かが叫んだ。

 かつての戦には勝利したものの、悪魔にはまだ生き残りがいる。彼らは様々な姿に化けて人間社会に溶け込み、不意をついて襲うのだ。


 春祭の会場は、一転してパニック状態となった。


 少女は、公爵家の御令嬢だった。しかし彼女の護衛たちも、周りの警備兵も動けない。悪魔との実戦経験を持つ者がいなかったのだ。悔しそうに睨んでくる人間たちを、黒カエルは高い位置から見返してケラケラと鳴いた。



「くっ……。〝悪魔は心臓を狙えば殺せる〟と習ったものの、一体どうすれば!」

「そうなんだよなぁ。人間と違って、悪魔の心臓は分かりにくいんだよな」


 独り言を呟いていた護衛の男はギョッとした。いつの間にか、音も気配もなく隣に立つ者がいた。


 その者は、フードが付いた雪色のマントを羽織っていた。体のほとんどが隠れているが、髪はプラチナブロンドだ。声は中性的で、スラリとした細身。護衛は、この者を〝若い少年〟だと思った。


「君! 危ないから下がるんだ!」

「悪魔ってさ、個体によって心臓の位置が全然違うんだよ」

「は?」

「手のひらだったり、脇腹だったり、脳みそだったり、アソコだったり……。あ、やべ。アソコとか言ってたら、下品なことを言うなって怒られちまうな」


 護衛は戸惑った。少年の口ぶりは飄々としていて、恐怖や動揺などが感じられない。まるで悪魔に慣れているかのような様子だ。


「通常なら心臓を探しながら攻撃するんだけど……今は体内にお嬢様がいるからな。外側から無闇に手を出さない方がいい」

「っ、ではどうすれば」

「俺が心臓を取ってくる」


 そう言うや否や、少年は躊躇せずに悪魔に向かって走って行った。

次の瞬間、



「「「様!?」」」



 少年のものと思われる名があちらこちらで響き渡った。声の主はほとんどが女性たちだ。護衛はハッとする。


「〝イスタ〟? まさか君は……いえは」

「あ、もうすぐここに真面目そうな顔した奴が来るから! そしたら、俺は悪魔の中に入っていると伝え、」


 大衆からイスタと呼ばれる者は、最後まで言い終わる前に黒カエルに呑み込まれていった。










「何なのよこれ……!」


 少女は声を震わせる。

 彼女が行き着いた先は、赤色の壁に囲まれた奇妙な空間だった。

 壁からは透明の液体が滲み出ており、ドレスに当たるたびに〝ジュッ〟と物を溶かすような音をたてる。嫌でも理解した。ここは黒カエルの胃袋だ。自分は悪魔に遭遇し、食べられてしまったのだ。


「誰か助けて!」


 大声を出して壁を叩くが、全く手応えがない。そうしている間にも液体は溜まっていき、足首まで浸かってしまう。


「そんな」


 ふと〝死〟という単語が脳裏をよぎった。


 全身に寒気が走ったその時のこと。


「いってぇ……。滑った! びしょびしょだな」


 背後で大きな水音がした。次いで、誰かの声。

 反射的に振り返ると、白いマント姿の者が尻餅をついている。


「誰なの? まさか貴方も食べられてしまったの?」


 少女は無意識に手を伸ばす。すると相手は立ち上がり、その手をそっと握ってきた。


「いいえ、お嬢様。貴女を助けに参りました」

「た、助けにきた? どういうこと? 貴方はこの悪魔を倒せるというの?」

「はい」


 フードのせいで口元しか見えない相手に、少女は必死になって尋ねる。


「本当なの? 私、お父様とお母様のところへ帰れるの?」

「もちろんです。一緒に外へ戻りましょう」

「っ!」


 優しい声音にトクンと胸が鳴る。

 しかしその直後、


「いやああああああ!!??」


 少女の胸は別の意味で騒がしくなった。


「あなた、何を持っているの!?」

「これですか? 心臓です」


 ドロっとした物体の正体を、さらっと答えられる。この謎めいた相手は、右手では少女の手に優しく触れているが、もう片方の手にはテニスボールほどの黒い塊を乗せているのだ。


「この悪魔の心臓は、食道の途中にありました。ここに落ちてくる時に見つけたので、ついでにもぎ取ってきました」


 説明しながら思いきり握り潰す。ドクドクと脈打っていた塊は、砂山が崩れるように手からこぼれ落ちていった。


「こ、これで私たちは助かるの?」

「えぇ」

「あぁ、よかった……!」


 安堵して、少女は気が付く。自分が着ているピンク色のドレスの布が、ところどころいびつに破れている。胃液で溶かされたせいだ。羞恥に頬を染めていると、ふわりと柔らかい感覚がした。

 それは白いマントだった。少女の頭から被さり、小さな体を包み込む。


「少々お待ちください、お嬢様」


 相手の顔が露わになり、初めて視線が合って……、少女の顔はますます赤くなった。

 フードの下に隠れていた瞳は、息をのむほど美しいエメラルドグリーンだった。微笑む口には八重歯が見える。


(もしかして、このお方は……!)


 この美しい者は、どこからか長さ50~60cmの棒を3本取り出した。棒は鎖で繋がれており、組み立てると一直線になる。さらに先端に刃物を付けると、槍と化した。


「そろそろ外にが来ているはずだな」


 小さく言って、胃袋の壁を槍で素早く突いた。


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