六件 2

 鏡子は「ふう」と一息吐いた。そして一人心の中でなるほど、と呟く。


「で、どうなの~?」と司命。


 鏡子は少し俯いて「正直この裁判、難しいです」と口を開く。


「そうなのか?」


 閻魔大王は鏡子の顔を覗き込む。


「この子が投げたボールが男性に当たったことは事実です。けれどボールが飛び出すなんて予測できないことですし。もしこの子にそれが予測出来ていたとしても。責任能力がないかと」

「責任能力……」

「はい。普通ならこういう場合は両親が責任を負うことになるんです。お金の支払いが発生して。でもここは地獄ですし」

「両親を呼ぶわけにもいかんしな」


 鏡子と閻魔大王は二人して眉を寄せて唸っている。その様子を見て司録はふっと笑った。


 お二人とも少しずつ似てきている。見ていて面白い。


 司録は「それでは一度保留ということでどうでしょうか」と筆を止めた。

 鏡子はその司録の言葉にホッと肩を撫でおろす。


 ひとまずは安心、かな。大人でさえ乱暴に扱われるのを見るのが辛いのに。子供がそんな目に合ったら……。


 閻魔大王は「泰山王にも相談して住まいを設けてもらうか」と男の子の側にしゃがみ込んだ。


「余の妻に感謝するんだぞ。しばらくはここで我慢だが天界でも地獄でもどちらに行くことになっても、君は立派に生まれ変わる」


 地獄は酷いところのように感じるし。実際罪人にとっては酷いところではあるけれど。罪を洗い流して次の生に繋ぐ場所でもある。


 男の子は「う、うん……」と視線をさ迷わせる。


 緊張しているのかな、と鏡子は少し前の自身を思い出す。


 今は慣れてしまったけれど、私も最初に来た頃は恐くて仕方がなかったっけ。


 鏡子はゆっくりと男の子に近づき、閻魔大王と同じく男の子の側にしゃがみ込んだ。


「大丈夫、大丈夫だから。恐いところはそりゃああるけど。皆優しい一面もあるから」


 男の子はまだ視線をさ迷わせている。そんな男の子の頭を撫でようと鏡子は右手を伸ばす。だがその手が届く事は無かった。

 ――腹に刺さった果物ナイフによって。


「…………え?」


 鏡子はゆっくりと自身の腹に視線を落とす。じんわりと紅蓮色の着物が黒く滲んでいく。おそるおそるナイフを刺した相手を見る。

 ナイフを刺したのは頭を撫でようとしていた男の子だ。男の子は呆然と持っているナイフを見ている。


「鏡子!!!」


 閻魔大王が声を張り上げる。だがその声は今の鏡子には届かない。

 鏡子は無意識に果物ナイフを引き抜く。瞬間、赤黒い血が勢いよく飛び散った。


「っ!」


 その血を見て鏡子は眩暈を感じ、思わず頭を抱え込む。


「鏡子!!! クソッ。司命、司録!!!」


 閻魔大王の声に司録は大きく頷く。


「司命。その男の子のほうは任せました。私は鏡子様の手当てを」

「うん。こっちは任せておいて」


 司命は呆然としている男の子からナイフを取り、強引に片手で担いで外へ連れ出す。対する司録は自分の着物の裾を切り裂き、鏡子の腹にきつく巻き付けた。だが巻き付けた着物も一瞬にして赤く黒く変色してしまう。

 鏡子は大丈夫、大丈夫と心の中で呟くも流れ続ける血に眩暈が酷くなっていた。視界が揺れ顔を上げるのが辛くなり、自然と項垂れる形になる。


「鏡子!」

「閻魔大王。ひとまず鏡子様を寝かせて傷口を縫いましょう」

「あ、ああ」


 閻魔大王に支えられ、ゆっくりと鏡子の体が浮く。いわゆるお姫様抱っこというやつだったが今の鏡子には突っ込む力がない。それどころか慣れた閻魔大王の体温や匂いに気を張っていた糸が切れて、安心して眠ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る