両親 1


 鏡子はポロンと音を鳴らす。自室に持ってきてもらったヨナヌキが机を占領していた。おかげで読みかけていた閻魔帳は床に積みあがってしまっているが。

「ま、後で片付ければいいか」と鏡子は一人呟く。そしてまたポロンとヨナヌキを鳴らした。


 温かい音がして癒される。地獄に来てから閻魔大王の妻に急になったり、泰山王に襲われたり。ついこの間も短刀を突き付けられたし。なかなか心休まる時間がとれなかったから。ヨナヌキがあるだけでありがたい。


 鏡子はヨナヌキでドレミ、と連続で音を鳴らす。


 ……そういえばこんなに心が休まったのは司法試験に向かう前日、母親に蜂蜜入りのミルクティーを淹れてもらった時以来かも。

 私、子どもの頃から蜂蜜入りのミルクティー好きだったからなぁ。いい行いをする度に母親はミルクティーを淹れてくれていた。


 母親といえば……と鏡子は内田 美知恵の裁判をふと思い出す。


 美知恵は息子にピアニストの夢を強要していたけれど、私の母はそんなことしなかった。もちろん父も。口数は少なかったけれどいつだって私のことを自由に、そして背中を押してくれた。

 ――なんだか家族のことが少し恋しくなっちゃった。


「……」


 ミヨヌキを撫でながら少し考える。なんとかして父親と母親に会えないものか。


 でも。この前閻魔大王は生きている者に声をかけることは禁忌だって言っていたし。やっぱり無理か。


 そう思うものの鏡子は扉へと手をかける。


 閻魔大王に言うだけ言ってみよう。もし駄目だったとしても閻魔大王と話していたら、今の恋しい気持ちがなくなるかもしれないし。


 鏡子はゆっくりと扉を開く。と、目の前には何故か司命が立っていた。司命の頬にはまだ内田 美知恵につけられた傷跡が薄っすらと残っている。


「鏡子ちゃん? どしたの」

「え? あ、いや。それはこっちの台詞というか」


 どうして扉の前に? 何か用があったのだろうか。これから裁判するとか?


 司命は「あ~」と視線を上にさ迷わせると「鏡子ちゃんのストーカーしてた」と訳の分からない返事をする。

 鏡子は少し首を傾げながら「私は」と口を開く。


「閻魔大王に話したいことがあって。今から会いに行こうと」

「そうなの? じゃっ、俺もついてこーかな」

「本当!? そうしてくれると凄く助かる」


 地獄に慣れたといってもまだ地獄を一人で歩くのは恐かった。刃物を持っている鬼と出来たら会いたくないし。

 司命がいてくれるなら心強い。軽い性格のように見えるけれど、閻魔大王が信頼している人だし。なんだかんだで仕事はきちんとこなすし。私のことも守ってくれているし。私も司命のことはかなり信頼している。


 司命は一瞬目を丸くしたがすぐににこやかな表情に変わって、「じゃ行こっかー」と前を歩き出した。






 鏡子と司命は閻魔大王の自室の扉の前に立つ。司命はコンコンと扉を叩いた。


「大王サン。入っていい?」

「ああ」


 閻魔大王の返事がはっきりと聞こえてから司命は扉を開けた。


「失礼しま~す」


 司命に続いて鏡子も「失礼します」と閻魔大王の部屋に入る。と、閻魔大王はガタンと派手に椅子を倒して立ち上がった。


 あれ? この光景、ついこの前も見たような。


「だ、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ。それよりも妻はどうしてここに」

「それは」

「それはね~」


 鏡子の言葉を司命が遮る。


「鏡子ちゃんが大王サンに話したいことがあるんだって~」

「話したいこと?」

「はい」


 鏡子が頷くと閻魔大王は司命を睨みつけた。


「こんな時に。呼べば余から妻を迎えに行った」

「まぁそんなに怒らないでよ。鏡子ちゃんが一人で大王サンのところに行こうとしてたのを無事に連れてきたんだから」

「…………」


 閻魔大王は眉を寄せてため息を吐いた後、鏡子に視線を向けた。


「それで話したいこととは」


 そう問いかける閻魔大王の額にはまだ皺が寄せられている。


 もしかして閻魔大王機嫌悪い? 私が勝手に部屋に来ちゃったりしたから。


「あの。やっぱり大丈夫です。またの機会に」

「ほら~大王サンが怖い顔してるから鏡子ちゃんが怯えてるじゃん」

「え? いや怯えては」


 すると閻魔大王はゴホンと咳込んで「すまなかった」と素直に頭を下げた。


「あ、いや。別に……」

「それで。何の話なんだ」


 閻魔大王に促されて鏡子は少しの間視線を宙にさ迷わせた。


 ちょっと提案するだけだったのに何だか大事になりそうで言いづらい……。


 鏡子は「本当に大したことはないんだけど」と前置きをしてから話を始める。


「ほんの。ほんのちょっとだけど。家族と会いたくなってしまって。それで……」

「…………」


 鏡子は恐る恐る閻魔大王を見上げる。閻魔大王の額の皺はさらに深くなっていた。


 やっぱり言わない方が良かったかも。


「あ、あの。やっぱり無理、ですもんね。私部屋に戻りますね」


 そう言って鏡子は後ずさりをする。だが閻魔大王に「いや。出来なくはない」と腕を掴まれ、引き寄せられる。


「だが……。前にも言った通り、地獄の者が生きている者に言葉をかけることは禁忌だ。それに家族と会ったところで顔を合わせることは出来ない。それでも行くか」


 鏡子はスッと瞼を閉じる。


 私の身勝手だということも分かっている。それにその身勝手で両親が傷つくかもしれない。


「私、やっぱり――」


「やめます」と言おうとした時だった。閻魔大王は「だが行ってみようか」と遮る。


「え?」

「何かが起きる前に妻を止めるのも余の役目だからな。それにこう見えても――妻を地獄に連れてきたことは悪いとは思っているんだ」


 そう言った閻魔大王の瞳が揺れて、寂し気に閉じられる。

 鏡子は何か言おうと思ったが何を言うべきか言葉が出てこず、結局口を閉じた。

 閻魔大王は「司命、準備を」と声をかけると司命は「はいは~い」と小走りに部屋を出て行った。


「あの~。閻魔大王?」


 鏡子は閻魔大王をジッと見つめる。と、閻魔大王は意地悪そうな笑みを浮かべて「久々だな」と口を開いた。


「こうやって出かけるのは。天道の時以来だな」

「ん?」


 天道の時以来?


 その言葉に鏡子はヒヤリとする。


「もしかして人頭杖を使って急上昇……なんてことは」

「惜しいな。今度は急降下だ」


 そう言って閻魔大王は人頭杖を握る。意地悪な笑みをして。けれどその笑みに鏡子は違和感があった。


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