天道 1

 鏡子は自室で司録が入れたお茶を啜り、前の裁判について振り返っていた。


 この前の仲川 逢之介の裁判は良かったな。当人も嘘を吐く時心苦しかったみたいだし。反省していたみたいだし。

 無罪と言ってよかった……。


 鏡子はズズッとお茶を最後まで飲み干す。おかげさまで体の芯から温まった。


 最初はいきなり地獄にやってきて不安しかなかったけれど、司録や司命が気を遣ってくれているからなんとかやっていけている。……もちろん閻魔大王の助けもあるからだけれど。


 鏡子は空になった湯吞みを持って立ち上がる。司録にもう一杯お茶をもらおうと部屋から出ようとした瞬間、「妻よ、いるか」と声がかかる。

 閻魔大王の声だ。


「いますよ」


 その声と共に閻魔大王が部屋に入ってくる。


 閻魔大王はいつもの紅蓮色の着物ではなく、金を基調とした服を着ている。金色とはいえホストのような見た目にならず、むしろ絵本に出てくる王子様……というより王様のようだ。

 そして私にも金の着物を差し出す。


「あの、これは?」

「出かけるのでこれに着替えてほしい」


 鏡子は閻魔大王からもらった着物をまじまじと見つめた。

 金色ではあるが派手な色ではなく、少しくすんでいる。ところどころに着物の金ではなく、鮮やかな金色の刺繍がしている。

 それがとても美しい。


 鏡子は着物から目線を上げて閻魔大王を見る。


「出かけるってどこへ?」


 着替えてまでいくのだからよっぽどの場所なのかなーなんて思っていると、閻魔大王から予想以上の答えが返って来た。


「天道だ」

「天道!?」


 鏡子は地獄に来た頃に読んだ閻魔帳を思い出す。裁判の仕方の他に載っていたはずだ。転生先についての記述が。


 死者は裁判の繰り返しの中で「天道」「人道」「阿修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」のどれかに行き先が決まる。

 「天道」が一番良くて「地獄道」が一番苦しみが多い。


 今の世の中じゃだいたいが地獄へ落ちている。けれど……。稀にいたはず。

 いい行いをして「天道」に行った人が。


 鏡子は「あのー」と閻魔大王に声をかける。


「どうした」

「どうして天道へ?」

「ここに閉じこもりきりだとつまらないだろうと思ってな。それにそなたは余の妻だ。いろいろと知ってもらいたいことが多くある」


 つまりこれは……。泰山王と会った時と同じ。

 社会科見学……ですよね。


 閻魔大王は「それじゃ、着替えたら広間へ」と言い残し部屋から出て行ってしまう。


「とりあえず着替えますか……」


 鏡子は金の着物へと袖を通した。




 鏡子は着替えてから広間へ歩く。と、閻魔大王の他に司命と司録もいた。ただし二人は金の着物ではなくいつもの服装をしている。


「あっ!鏡子ちゃんだ~」


 司命が一番先に鏡子に気付いて手をおおきく振りながら駆け足で近寄ってくる。駆け寄ってきた司命はジロジロと鏡子の姿を見てきた。


「あのー。何か可笑しい、かな」

「全然! むしろ似合ってるじゃん。ね、大王サン」

「ああ、そうだな」


 いつの間にか閻魔大王が司命の隣に来ていた。


 閻魔大王はおもむろに鏡子の黒髪に手を伸ばす。


「っ! あ、あのっ!」

「よく似合っている」

「そそそそ、そうですか」


 突然髪を触られ、鏡子の声は思わず上擦ってしまう。


 普通の男性って髪触るの? いや、この場合は普通の男性じゃなくて閻魔大王だけど。そもそも一応は夫婦だから妻に触るのは当然?


 思考がグルグルと定まらない中、閻魔大王に手を握られる。


「っ!!!」

「それじゃあそろそろ行こうか」


 閻魔大王は普段と変わらず、むしろ余裕を感じさせる笑みさえ浮かべている。


 なんだかちょっぴり悔しい。


 鏡子は頬を含まらせる。


 閻魔大王はそんな鏡子を横目に翁と媼の顔が乗っている人頭杖を手に持つ。


 いつの間に持ったんだろう……。


 そんなことを考えていると閻魔大王は鏡子の手をより一層強く握った。


「!?」

「手を離すな。移動の時に落ちるぞ」

「落ちる?」


 はぐれるとかじゃなくて?


 鏡子がわずかに首を傾げていると司録は「落ちるんですよ」と声をかけてくる。


「いや、それが分からないんですが」

「そのうち分かりますよ」


 それ以上司録は答えてくれそうにない。

 司命はというと「大変だけど頑張ってねぇ~」と手を振っている。


 その対照的な二人の反応に不気味さを感じて、鏡子は自分からギュッと強く大王の手を握る。


 閻魔大王は「さて」と低く呟いてから人頭杖でコツと床を軽く叩く。


 その瞬間人頭杖の白い肌をした媼がガッと大きく口を開け、火を噴いた。火は一気に鏡子と閻魔大王の周りを取り囲む。


「ちょ、ちょっと。これ、何ですか!?」

「大丈夫だ。この火で妻が火傷をすることはない」


 確かに閻魔大王の言う通り、周りを火で囲まれているにも関わらず熱さが来ない。

 でもだからといって大丈夫なわけないじゃない。


 鏡子は少し涙目になりながら閻魔大王が何をするのかとヒヤヒヤしながら成り行きを見守る。


 閻魔大王はもう一度コツンと床を叩く。と、二人を囲っている火は一瞬にして天井まで上る。

 そして鏡子が声を上げる間もなく、二人の体はふわりと宙に浮いた。


「っ!!!」


 普通ならば体が宙に浮くという魔法のような体験にワクワクするのかもしれないが、周りが火柱に囲まれているという状況に鏡子はとてもじゃないが胸躍る状況になれない。


「えええええ閻魔大王!?」

「手を離すなよ」

「離しませんよ!!!」


 そうしているうちに体は上へ上へと上がっていく。下では司録と司命が手を振って見送っているのが微かに見えた。


「そろそろだな」

「へ?」


「そろそろって何ですか?」と言おうとした瞬間、一気に体が上に上がる。反動で心臓が跳ね上がった。凄まじい重力に思わず鏡子はギュッと目を閉じる。


 そして――。


「着いたぞ」


 閻魔大王の声に鏡子はそっと目を開けた。


「あっ!」


 目の前に映った光景に思わず鏡子は声を上げる。


 辺り一面薄い桃色の蓮の花が広がっている。地獄の景色は赤黒く人の悲鳴が聞こえるのに対し、ここは桃色で人々が悠々と空を飛んでいる。


「――この場所は……」

「ここは天道、今の世で言う天国だ」

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