泰山王 1
鏡子は手鏡を持って顔を覗き込む。鏡には暗い顔が映っている。
昨日は人生初めての裁判で疲れてしまっていたらしい。閻魔大王が出て行って数分もしないうちに気絶するように眠っていたようだ。
机にある櫛を取って髪を梳く。と、トントンと扉を叩かれる。
司令か司録か。どっちかだろう……。
そう思って鏡子は「はい、どうぞ」といつも通り扉へ向かって声をかける。だが入ってきたのはどちらでもなかった。
紅蓮色の着物を着た閻魔大王だ。
「もう起きていたようだな。どうだ、昨夜はよく眠れたか」
「ええ、まぁ」
鏡子は当たり障りのない返事をしておく。閻魔大王はゆっくりと歩いてきて鏡子に近づく。そして鏡子の手を取った。
「今日は私の同僚を紹介しようと思ってな」
「同僚?」
司録や司命ではなくて?
すると閻魔大王は「同じ裁判官だ」と鏡子の手を引く。
「さて行こうか。ついでに石井芳子がどうなったのかも気になるだろう」
「え? 無罪じゃないんですか」
「さぁ、どうだかな」と閻魔大王はフッと笑う。
……ということは有罪になっているということ?
そんな疑問など置いてきぼりで閻魔大王は鏡子の手を引いて外へ連れ出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
空は明るいがどこか赤黒い。そして外には鏡子が最初に見たように、鬼が人を殺す光景が広がっていた。
鏡子は思わずギュッと目を閉じる。と、「大丈夫だ」と低い声が鏡子の耳に届く。
閻魔大王の声だ。
「大丈夫だ。前も言っただろう。襲われたとしても余が追い返す、と」
「あ……」
そういえば……。私が地獄にやってきた頃、そう言われて妙に納得して安心したんだっけ。
鏡子はコクリと頷いて閻魔大王の背中を見ながら後ろをついていく。少しの安心と同時に少しの不安を感じながら。
なんだか私、この地獄に慣れてきているような気がする。
鏡子は閻魔大王の背中からわずかに視線を逸らして、赤く染まった周りの鬼に目を向けた。
「さて着いたぞ」
やがて閻魔大王が声をかける。その声に弾かれて鏡子は前を見た。
目の前には鏡子が裁判をした建物がある。全く同じ造りだったが色が異なっていた。鏡子達がいた場所は閻魔大王や鏡子の服と同じ紅蓮色を主としていたが、この建物は橙色をしている。
「こちらだ」
「はい……」
閻魔大王に呼ばれ鏡子はまた後ろをついていく。閻魔大王は正面の入り口をスルーし、建物に沿うように横に歩いていく。しばらくすると横に大きな扉が見えた。
閻魔大王はその扉を片手で押す。
目の前には橙の烏帽子と着物を着た男性が椅子に座っていた。書類と向き合いながらブツクサと何かを呟いている。
鏡子は閻魔大王の後ろに続いて部屋に入って、辺りを軽く見まわす。
部屋には机と椅子が一つだけ。その机には大量の本と資料。部屋に沿って本棚がびっしりと並んでいる。
この部屋、もしかして……。地獄で一番最初に見た部屋の造り。
ここって――仕事部屋?
鏡子は問いかける様に閻魔大王に目を向ける。閻魔大王はその視線に気付いて微かに笑った。そして目の前の男性に向かって口を開く。
「仕事中に悪いな、
「!」
泰山王、と呼ばれた男性はハッとして書類から閻魔大王に目を向けた。そしてその視線が鏡子へと向けられると一気に鏡子に詰め寄ってきた。
え……。
「何?」と鏡子が声を上げる隙も無く、喉元に短剣の切先が突き付けられている。
「っ!!!」
何、何、何? 何なの?
鏡子は思わずゴクリ、と唾を飲みこむ。額から汗が一筋流れ落ちる。
「泰山王。剣を退けてくれ。それは余の妻だぞ」
「……」
泰山王は閻魔大王の問いに何も答えず、冷たい目で鏡子を見ている。
「剣を退けないというのならば、こちらにも考えがある」
そう言うと閻魔大王はどこに隠し持っていたのか――。人の頭がついている杖をいつのまにか手に持ち泰山王に真っすぐに向けた。
「……人頭杖か」
泰山王は軽く息を吐きながら短剣を鏡子の喉元から退ける。
「大丈夫か」
「あ……。は、はい……」
「すまない。怖がらせてしまったな。悪い奴ではないのだが、なにぶん真面目過ぎるほどに真面目なやつで」
そう言って閻魔大王は鏡子の頭に手を置く。
温かい。
閻魔大王の手の温かさに鏡子はホッと安心して息を吐く。
「紹介しよう。泰山王だ。例外もあるが、この地獄の最後の裁判官だ」
「!」
鏡子は改めて泰山王へ向き合う。泰山王はいかにも堅苦しそうな堀の深い顔立ちをしており、その眼は鋭く鏡子を捉えていた。
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