一件 3
指輪をあげる気なんてなかった、と気付いた瞬間、鏡子はいつの間にか閻魔大王の隣にいた。
ここは地獄にある裁判所だ。
鏡子の薬指にあるウレキサイトの指輪がまだ少し熱を持っている。
鏡子は石井芳子を見る。目の前にいる芳子は裁判所に連れてきた時と同じく、八十代の老婆の姿だ。
「大丈夫? 鏡子ちゃん、聞いてた?」
「え?」
司命は呆けていた鏡子に呼びかける。鏡子は目を瞬かせて司命を見ている。
もしかして、だけれど。司命は私が光に包まれたのを見ていないの?
司命は鏡子の顔を覗き込む。
「あ、やっぱり聞いてなかったでしょう。もうっ。簡単に言うとここにいる石井芳子は嫁に自分の介護をしたら指輪をあげるって約束したのに、介護をしても指輪をあげなかったんだよ」
「っ!」
それって先程まで現代で見ていた光景だ……。
ここまでいろいろあると驚かなくなったとはいえ、さすがに自身の身に何が起こっているのか説明をしてほしい。
そんな鏡子の様子を見てか閻魔大王は椅子をガタリと音を立てて、鏡子の後ろに立つ。そして両肩に手を置いた。
「さぁ、妻よ。今まで見てきたはずだ。石井芳子が何をしてきたのかを」
「じゃあ、やっぱり今までのは閻魔大王が……」
「どうだ。その指輪、なかなかいい代物だろう」
「……」
ということはやはり今まで見ていた現代での光景は閻魔大王の仕組んだものらしい。
閻魔大王は鏡子の耳に唇を近づけ「指輪の話は後にしよう」と囁く。そして右手だけを肩から離し、石井芳子に対して人差し指を突き立てた。
「彼女は地獄のルールだったら確実に有罪だ。さて、余の妻はどう見たのか教えてくれまいか」
鏡子の肩に置かれた閻魔大王の左手に力が入る。鏡子がハッとして後ろにいる閻魔大王を振り返ろうとすると「誤解だわ!」としわがれた声が聞こえた。
石井芳子の声だ。
石井芳子は跪いたまま、身を乗り出す。
「気が変わっただけよ。あの指輪は大切にしていたものだから、あげるのが惜しくなっただけよ。嘘をつく気なんてなかった……」
「……」
鏡子がどうすればいいのかと悩み、だが何もできないでいると「思った通りに口に出していい」と閻魔大王が鏡子の隣に立つ。
「妻のいた時代ならどうなのか、ただ口にすればいい」
「……」
鏡子は隣にいる閻魔大王を盗み見る。その顔は真剣そのものだ。
もし、現代だったら――。
鏡子はギュッと目を閉じ、拳を強く握った。そして目を開いて石井芳子という人物を目を逸らさず正面から見つめる。
「その、指輪をあげるということは贈与の契約に当たります。売買ではない……」
「ほう」
「それに契約書をつくっているわけでもなく口約束です」
そこまで言って鏡子は一息つく。
辺りはシンとして鏡子の発言に注目が集まっている。聞こえるのは司録が何やら筆をとって書いている音だけだ。
鏡子は深く深呼吸した後、再び口を開く。
「書面によらない贈与、つまり口約束での贈与は各当事者が取り消すことが出来るんです」
「なるほど。つまりは――」
鏡子は閻魔大王の言葉の先を口にする。
「はい。無罪になります」
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