地獄 3

「そういえば」


 地獄で裁判官をすると決まり、これからどうなるのかと緊張していたところに間の抜けた閻魔大王の声が聞こえた。


「すっかり忘れていた。このままだと妻も裁判がしにくいだろうと思ってな。ささやかだが贈り物を用意している」

「贈り物……ですか」


 閻魔大王は後ろの本棚へと手を伸ばすと、本と本の間に挟まっている小さな木箱を取り出す。その木箱から銀で出来た小さな輪を取り出した。


「今の時代は、結婚するのに指輪が必要だと聞いてな」

「ま、まぁ。必要と言えば必要なような……」

「ということで指輪を縁日で買ってきた」

「縁日で!?」


 地獄に縁日なんてあるの? というか結婚指輪を縁日で買うのもおかしいような。


 そんな鏡子の思いなどお構いなしに閻魔大王は得意げに「やはり指輪が必要なのか……」と呟いている。


「あのー。それでその指輪と裁判がどう繋がっていくんでしょうか」


 地獄の縁日のことも気になるが、まずは目の前の問題だろうと閻魔大王に質問をしてみる。だが閻魔大王は「それはその時になったら分かる」と詳しく教えてくれそうにない。


 鏡子は本当にこの人と妻になるのかとガックリと肩を落とした。


 閻魔大王はというと銀の指輪を摘まみ上げ、左の掌に乗せると右の手でその指輪を包み込む。すると――。


 閻魔大王の手元から白い光が輝き始める。指輪があるはずの手元からだ。


「な、何?」


 白い光はほんのりと暖かく輝いている。


 閻魔大王は目を閉じて手元に集中している。その間もずっと白く手元は光り続けている。


 暖かい光だ。この光を見ていると何故か癒される。不思議……。


 やがて眉がピクリと動き、閻魔大王の目が開いた。それと同時に光は徐々に収まっていった。


「今のは一体……」

「余の力を指輪に注ぎ込んだんだ」

「力?」


 閻魔大王は左の掌を開く。


「あれ?」


 鏡子は開かれた掌を見て、思わず目をぱちくりさせた。

 何故なら銀のシンプルな指輪が、宝石のついた豪華なものに変わっていたからだ。


「これは……ウレキサイトですね」


 今まで黙っていた司録が顎に手をのせながらフムと頷いている。


「なーにー? ウレキなんちゃらって」

「ウレキサイト、石ですよ。肉眼では白っぽく見えますが、字や絵の描いてある紙の上に乗せると下の絵が結晶表面に浮き出したように見えて面白いんですよ」


 司命の問いかけに司録が分かりやすく答える。けれども肝心の司命は質問をしたくせに「ふーん」とつまらなさそうな答えを返すだけだ。


 閻魔大王は司命と司録を横目に、机から身を乗り出して向かい側にいる鏡子の左腕を掴む。そして左腕を机の上に乗せた。

 閻魔大王は腕を伝って鏡子の左薬指を優しく摘まみ、もう片方の手で指輪を掴む。


「あ、あのっ!」


 自然と閻魔大王と顔が近くなり、思わず声を上げてしまう。


 そんな鏡子の反応をよそに閻魔大王は指輪をゆっくりと薬指にはめた。


「ふむ。ピッタリのようだな。これで婚約は成立だ」


 閻魔大王がニヤリと笑っている中、鏡子はふととあることに気が付いて「あれ?」と声を出す。


「どうした」

「あのー。地獄には現代の法律を使って裁判をする人が必要なんですよね。それって……。わざわざ私を妻にしなくてもいいんじゃないですか、ね」


 すると司録が口に手を当てながらクスクスと嫌な笑い方をし始める。司命はというと「そんなに笑ったら可哀そうじゃ~ん」と笑いながら宥めている。


「そんなに変なこと言いましたか」

「いや」


 閻魔大王は否定しつつも、司録と司命につられて微かに笑みを浮かべている。


「先程鬼に襲われかけただろう」


 小さな緑の鬼のことだ。


 鏡子はコクンと小さく頷く。


「裁判官に任命すれば襲われる可能性は少なくなるが。あくまで少なくなるだけだ。可能性がなくなったわけじゃない」

「実際、私達も来たばかりの時はよく襲われかけましたからね」


 閻魔大王の言葉に司録は相変わらず笑いを堪えながら天を仰いでいる。


「つまりは妻となった方が安全だと思ってな」

「ここにいる鬼サン達は大王を怖がっているからねぇ~」

「怖がらせた覚えはないがな」


 閻魔大王は鏡子の左手を取る。ハッとして鏡子は閻魔大王を凝視する。

 閻魔大王の赤い目が蝋燭のあかりでゆらゆらと揺らめいている。


「もちろん妻になりたくはないというのなら別にいいが。身の安全は保障しないぞ」

「!」


 一瞬、緑の鬼が包丁を持ってこちらに向かってくる光景を思い出してしまう。

 鏡子は身をブルッと震わせて首を激しく横に振る。


「い、いえっ。妻になります。ならせていただきます!」

「ああ。いい返事だ」


 妻になるというのも嫌だけれど、鬼に身を切り刻まれるよりマシだ。


 閻魔大王は鏡子の手を握る。閻魔大王の爪は長いが不思議と鏡子を傷つけることはなかった。閻魔大王は手を握ったまま立ち上がる。


「我が妻の為に部屋を用意させてある。今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」


 鏡子は閻魔大王に手を引かれ椅子から立つ。椅子に座っている時は気付かなかったが、立つとかなり背が高い。


 閻魔大王が立ったのに合わせて司録が恭しく外への扉を開けた。


 相変わらず扉の外には数多の鬼がいる。


「部屋ってまさか外に」

「ああ」


 鏡子は足に力を入れてその場にとどまる。


 周りを鬼に囲まれながら外に出るなんて冗談じゃない。


 そんな鏡子の心情を察してか、閻魔大王は振り返って鏡子を見つめる。閻魔大王の瞳には鏡子自身の怯えた姿がやけにはっきりと映っていた。


 閻魔大王は少し強く鏡子の手を握る。そして口を開いた。


「安心しろ。やつらは襲ってこない。もし襲われたとしても余が追い返す」


 その言葉に妙に納得してしまい鏡子は頷いた。

 閻魔大王は鏡子の手を引いて外に出る。その瞬間、鬼たちの視線が鏡子達に集まる。


「!」


 鏡子はビクリと肩を震わせるものの、鬼たちは襲うどころか鏡子に、いや、閻魔大王に恭しく頭を下げている。


 本当に恐れられているんだ……。


 鏡子は閻魔大王の横顔を盗み見ながら大人しくついていった。




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