第4話


 羽鳥を追いかけて「お前の写真が好きだ」と伝えたかった。

 そうすれば、自分の中で何かが変わると思った。

 目の前の美しい光景に心を動かされるたびに、どうしてあのとき伝えられなかったんだろうって後悔ばかりするのが嫌だった。

 だから、羽鳥から「言いたいことだけ言って、それでスッキリして、満足したいだけ」と言われたとき、何も否定できなかった。

 作家やアイドルに送る、ファンレターや握手会での応援の言葉。その好意を相手がどう受け取っているかなんて、今まで高瀬は深く考えたことがなかった。きっと嬉しいはず、喜んでくれるはず、それ以外のこと。――神様の気持ちなんて、民草に分かるわけないと心のどこかで思っていた。

 けれど今回の件で高瀬は、神様が高瀬と変わらない、ただの人間で、気に食わない意見には腹を立てる普通の男だったってことを知った。

「つか、ちーちゃんってなんだよ。部活以外で呼ばれたことねーし」

 ワゴン車の後部座席に乗っているミカには聞こえない声で、思わずひとりごちていた。バックミラーに映るミカは、熱心にスマホをいじっていた。高瀬がミラー越しに視線を送ったタイミングで目が合う。

「どうしたのー? 高瀬マネ、今日はずっと怖い顔してたよ」

 彼氏なんか作って、アイドルとしてどうかしてるのは、お前だろ? そう言いたいのに、ため息で返事する。気が重かった。

 グループの定期公演後、話があるからとミカだけを残して自宅まで送り届けることにした。

 翌週になっても、まだスキャンダル写真の件は高瀬が一人で抱えていた。写真を破棄すると言った羽鳥のことを信用しているというよりは、羽鳥の写真がなくても、ミカは、そろそろ身の振り方を考えるべきだと思っていたから。

 見込みがない。このままアイドルにこだわって、この小さな事務所にいても未来はないと、高瀬の口から言わなければいけない。

 けれど、羽鳥の撮影した写真を見てから、自分のマネージャーとしての勘が揺らいだ。場所が変われば、方法を変えれば、羽鳥のような才能のある人間に出会えれば、まだ先があるんじゃないかと思ってしまった。

 そう思わせる写真だった。戦力外を告げるべきアイドルが、誰よりも輝いて見えたのだ。

 グループに入った当初、ミカは誰よりも可愛らしい子だった。スタイルは人並みでも、人懐っこく、とにかくみんなを元気に出来る明るい笑顔で、観客の心を離さなかった。きっとこの子は売れると思っていた。それなのに、いつの間にか高瀬は、最下位の子として見ていた。

「――お前らの公演中、腹痛かったんだよ」

「うっそだぁ、あたしだけ残して。ねぇ、今日こそクビ宣告でしょう。握手券とかブロマイドの売り上げ、ずーっと、最下位だし、今日だって」

「違うっつの、今日の公演の反省会。他のメンバーの前でダメ出しされたくねーだろ。売り上げの件は、お前が真面目にレッスンやらないからだ」

「えーっ、高瀬マネやっさしー、あたしのことまだ伸びると思ってるの?」

「十代のガキが、この先成長しないとかねーだろ、バカ。売れたきゃ、歌とダンス真面目にやれ、お前だけだぞ今日出来てなかったの、以上。お説教終わり!」

 明るく笑っているが、高瀬が何も言わなくても、もうミカは分かっているんだろうなと思った。あとは彼女が決めることだ。

(……まじで不甲斐ねーな。マネージャーって)

 結局、高瀬は目的地に着くまで写真のことも、この先のことについても話せなかった。高瀬には、羽鳥のように写真で誰かを幸せにすることなんて出来ない。自分に出来るのは、頑張れって、誰よりも応援しているって、気持ちを伝えるだけだった。その気持ちが相手まで届いていなければ意味がない。

 自宅マンションに入っていくミカに手を振り、運転席に戻ろうとしたところ、特徴のあるシャッター音が一度だけ聞こえた。報道カメラのような連写音でなく、欲しいその瞬間を待っていたかのような音だった。

 音が聞こえた方へ振り返ると、道路を挟んで向かいの建物の影に羽鳥が立っていた。高瀬が気づいたタイミングで、羽鳥はガードレールをヒョイと乗り越え高瀬のいる車のところまでやってくる。

「羽鳥、お前なにやって」

「何って、仕事。ここのマンション、芸能人いっぱい住んでるからねー、ミカちゃんは、売れていないけど、父親がプロゴルファーで、母親がバイオリニストだっけ?」

「いつも、こんなことやってるのか?」

「そ。どう、これ上手く撮れてる?」

 差し出された一眼レフカメラの内側のディスプレイには、さっきの自分とミカが写っていた。

 ミカの背中を見送る、その憂いを帯びた自分の表情は、光の加減が作為的だった。

「ミカちゃん、マネージャーと熱愛発覚って感じで撮ってみました」

「ッ、才能あるんだから、無駄に使うなよ」

 高瀬は羽鳥のやったことを不快だと思っているのに、撮られたミカと自分の捏造写真を消せと言えなかった。

 目の前の人間は、自分の仕事の敵で悪魔のような男。人の不幸を金にして喜んでいるような奴で憎むべき相手だ。

 それなのに、その一枚の写真を愛しいと思ってしまう。

 悪魔に心を奪われるってこういう状態なんだろうなと感じた。そもそも、羽鳥が、そんな人間だとは思えなかった。昔と少しも変わらない写真を見れば分かる。スキャンダル写真を見ても、憎む気持ちにはなれなかった。

「才能ねぇ、それって食えるの?」

「羽鳥、今そんなに金に困ってるのか?」

「生きるだけなら、全然困ってないけど、いま俺、世間一般にいうところの住所不定ってやつだから」

「え、お前、実家は?」

「……処分した。持ってても俺一人だと持て余すし」

「だからって、なんで」

 高校時代の羽鳥の家の事は、よく知らないし、卒業後は、芸術系の大学に進学したと聞いていた。それが、どうしてこうなったのか。羽鳥には羽鳥の事情があるのだろうが、そこから抜け出せる力があるのに、世を拗ねていたり、誰かのためにも、自分のためにも才能を使っていないことが、高瀬は、もどかしくて仕方なかった。

「ま、特ダネ撮れたら半年は暮らせるし、知り合いの家か、安宿で十分……って、おい」

 高瀬は羽鳥の手を掴んでいた。

 この才能だけは、埋もれさせたくないと思った。気づいた時には、そのまま後部座席を開け、羽鳥を無理やりに押し込むと、そのまま車を出していた。

「え、なに、何でいきなり誘拐。大丈夫? この辺、監視カメラあるけど、警察に通報されない?」

「羽鳥、作品、撮れ。あと何でもいいから、またコンテスト送れよ」

「は、なんで、高瀬に命令されなきゃいけねーんだよ」

「写真、好きなんだろ」

 車が交差点の赤信号で止まったとき、バックミラーを見ると、羽鳥はシートに背を預けて窓の外を見ていた。

「……好きだけじゃ、生きていけないだろ」

「生きていけるよ。お前は、絶対大丈夫だから、俺が、言うんだから間違いない」

 高瀬に出来るのは、いつだって、相手に好きだと伝えて、信じてる、頑張れ、応援してるって言うことだけだった。百の気持ちが伝わらなくても、たとえ、一でも相手に伝わればいいと思っていた。

 誰かを支えるって、そういうことだと思ってるから。見返りを求めていないからこそ伝わることもある。

「根拠ねぇ自信だな。高瀬は俺のファン?」

 羽鳥は鼻で笑った。あぁ、今度こそ、やっと言えると思った。

「そうだよ。高校のとき初めてお前の写真見てから、ずっとファン。部室棟の掲示板にいつも貼ってただろ? 俺、部活の帰りにいつも見て帰ってた。今日は、何だろうって楽しみにしてた」

 卒業式の日、言いそびれた言葉を、今度は、正しく伝えられた。

「羽鳥はさ、なんか写真でいっぱい伝えたいことがあって、でも俺は、好きってだけで、お前が伝えたい全部を理解出来てないかもしれないし、言いたいことだけ言って勝手かもしれないけど」

「何、この前の公園の気にしてたの? 悪かったよ。関係ないお前に八つ当たりして」

 ミラー越しに見える羽鳥は、ばつの悪い顔をして息を吐いた。

「いや、でも言われて反省したよ。――俺さ、多分、お前のこと、ずっと猫と同じみたいに思ってて」

「また猫かよ。高瀬、猫好きなの?」

「まぁね、動物全般好きだけど、多分もう生き物は飼わないだろうなぁ」

「なんで?」

 高校時代の一番親しい友人というわけじゃなかった。だから、こんなふうに他愛のない話をしたのは初めてだった。

「幼稚園の時、うち猫飼ってたんだけど、大雨降った日、雷にびっくりして外に逃げちゃって、探したけど見つからなかったし、それ以来帰ってこなかったから」

「その猫と、俺どんな関係あんの?」

「ずっと、後悔してたんだよ。もっと毎日好きだって伝えていれば、雨が止んだあと、ちゃんと、うちに帰ってきてくれたかもしれないって」

「ガキの発想だな」

「ガキだったよ。もっと好きって伝えればよかったって、自分の気持ちが足りなかったんだって思ってた。な? お前が言う通り、俺、すげぇ身勝手だろ?」

「悪かったって、お前、結構根に持つタイプだな」

「かもな。高校卒業したあと、雑誌でお前の名前見なくなった時、俺があの時、もっと羽鳥の写真が好きだって言っておけば、お前、写真辞めなかったかなって、思ったし」

「それ、アイドルの狂信者の思考回路。辞めたい時なんて、誰がなんと言おうが辞めるって。それに、俺は写真辞めてないだろ。――単に路線変更しただけ」

「確かに、羽鳥にもどんな写真を撮るか選ぶ権利はあるし。出て行った猫だって、俺の家より外が楽しかったのかもしれない。もともと野良猫だったし」

「で、結局、その話の結論はどこに行き着くんだ?」

 交差点の信号が、青に変わりアクセルを踏む。後部座席から、呆れた声が返ってきた。

「俺にも、伝える権利くらいはあるだろ? お前の写真が好きだって。それと、羽鳥が写真で何を伝えたいかは、お前が教えてくれなきゃ俺には分からん」

「それは、正論だな」

「だろ? だから、羽鳥さ、一人で腐ってるくらいなら、俺に言えよ。そうしたら俺はもっとお前の写真のことが理解できて、もっとお前の写真を好きになれる」

「……よく、そんなこと真顔で言えるな、好きだ好きだって」

「そうか? 普通だろ」

「普通、ではないな、アイドルのマネージャーって、みんなそうなのか?」

「どうだろ? あ、あと、選択肢が増えるのは悪いことじゃない」

「選択肢?」

「家ないなら、うちに住めばいいよ。部屋余ってるから。あと、カメラマンの仕事、伝手あるから紹介出来るし」

 ミラー越しに目があうと、呆れて物が言えないみたいな顔をされた。

「――高瀬に悪気がないんだとしても、やっぱり、俺は、お前のことすげー身勝手だなって思うよ……今も昔も、俺の勝手だけどさ」

「嫌になったら、その時、出て行ったらいいよ?」

「やっぱり猫かよ」

「だから、言ってるだろ、ずっと猫みたいに思ってたって。いま、羽鳥は、どこで何やってるのかなって」

「普通に、生きてた」

「パパラッチやってるとは夢にも思ってなかったけどな。ま、そのおかげで、もう一回お前に会えたんだけどね」

「お前、俺に会いたかったの?」

「うん。会いたかったよ」

 それっきり黙り込んだ羽鳥は、沈んでいく夏の赤い夕日を見ていた。羽鳥は、その瞳に映った赤色が、願わくば、カメラのレンズ越しの色を想像していて欲しいと思った。

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