第3話

 * * *


 大通りに車が行き交う隙間を縫うように、羽鳥が歩いていく方向を確かめると、そのまま公園の中に入っていくのが見える。このまま信号待ちをしていたら見失いそうで、残りのただの数十秒も待てずに歩道橋を駆け上がった。いつも車移動ばかりで、こんなに走ったのは久しぶりだった。

 息を切らせて、やっとのことで羽鳥に追いついたが、すぐには声をかけられなかった。

 見つけたとき羽鳥は、公園の中央にある噴水に座り肩に駆けていたカーキ色のバッグからカメラを取り出したところだった。

 その視線の先には、白い毛玉がいた。この公園に住み着いている野良猫だ。

 金にならない写真を無価値と言ったくせに、そのくせ一切金にならない猫にレンズを向けている。

 高瀬は高校のときに羽鳥が撮影した写真をたくさん知っているが、本人がシャッターを切っている姿は初めてみた。

 羽鳥には今どんなふうに世界が見えているのだろうか。

 神聖な儀式にみえる撮影場面に心を奪われていた。

 カメラを構えた羽鳥の姿は、他のカメラマンと違う何か特別なことをしているようには見えず、息を吸うように自然体でシャッターを切っている。

 カメラを向けられた猫は、真昼間のこの時間は眠くて「眠い」以外に何も考えてないのだろう、うんと一回伸びをすると、羽鳥の存在なんて気にもかけずに、その場で無防備にうとうとし始めた。そしてその姿を写している羽鳥も、シャッターを切っている間は何も考えていない気がした。撮りたいから撮っている。地面に膝をつき周りの視線など気にもしていないし、高瀬の存在にも気づかない。

 無頓着に見えた服装と穴が空いたジーンズの理由も分かった。必要だから、そうした。結果そうなった。

 外撮影に行くには、長時間履くのに耐えられるような良い靴を履きたいし、膝をついて撮影をすれば、デニムは破ける。長い髪は邪魔だから束ねる。

 答えは目の前にあって、とても単純明快だった。

 炎天下の中、じっと黙って撮影が終わるのを噴水の近くで待ち、羽鳥がカメラをカバンにしまった時に名前を呼んでいた。

「羽鳥っ」

「……芸能事務所のマネージャーって暇なのか?」

 自分がさっき羽鳥に言った言葉と同じ言葉を返された。

「暇じゃねーよ。つか、写真だけ置いていかれても困る。お前の会社の名刺貰ってない」

「無いよ、言っただろ。ただの情報屋さん。フリーでやってる。写真売って生活してんの俺。結構鼻が利くから、得意先には重宝されて――」

「やめろよ!」

 高瀬は羽鳥の言葉を遮っていた。あまり怒ったり、負の感情を表に出すことがないので、このドロドロとした行き場のない気持ちをどうやってコントロールすればいいのか分からなかった。

 気づいたら、普段出さない嫌悪感を羽鳥にぶつけていた。あんなに人の心を動かすような写真が撮れるのに、どうして他人を貶めるようなことをする人間に変わってしまったのか。

 羽鳥のことを、写真の神様だって思っていた。スキャンダル写真を見て、その片鱗が残っていたことが、余計にもどかしい気持ちを増長させる。

「何、もしかして、ミカちゃんの件心配して、追いかけて来たの? 俺と同じで結構売り物に対してシビアに見えたけど、高瀬は優しいんだな。ま、安心しろよ、別に雑誌に売ったりしないよ。金にならないって分かったし」

「お前、金がいるのか?」

「はぁ、何当たり前のこと言ってんだ? 生きていくのに金は要るだろ? 世の中、息するだけで金が必要なんだよ。親に養ってもらってるガキじゃないんだから」

 どうやったら、羽鳥が人を傷つけるような写真をやめてくれるのか、いつだって自分は伝える言葉が足りない。気持ちだけが先走ってしまう。とにかく昔のことを思い出して欲しかった。

「猫!」

「猫ぉ?」

 羽鳥は間の抜けた声を出した。

「お前が、撮った猫! 可愛くて好きだったよ。高校の写真コンテストで一位取って掲示板に貼ってただろ」

「あー、あれ、三毛猫」

「そう! 思わず、触りたくなって。それ以外にも、雑誌に載ってた。あの、ただの渋谷の街なのに、お前が撮ったら――」

「それで?」

 高瀬が、熱を上げて話した声と対極にあるような、ひどく冷たい声だった。氷のように冷たい。

「だから羽鳥、才能あるし、人を傷つけるような写真なんてやめた方がいい」

「なぁ、高瀬。お前が、才能あるって認めてくれて、それになんの価値があるの? すげーって褒められて、俺が喜んでくれると思った?」

「……それは」

「お前はさ、言いたいことだけ言って、それでスッキリして、満足かもな」

「そんなこと……」

「高瀬って、雑誌の身勝手なコラムニストと似てるよ。人の写真を勝手に、あーだこーだ分析して評価して自分の承認欲求に使う。そういうの、うんざりして吐き気がする」

 灰色の瞳は、まっすぐに自分を見ているのに、どこか遠くを見ていて、高瀬とは目が合わなかった。暗い闇の中を見ているような瞳に、夏なのに肌寒いような気持ちになる。興奮して上がった熱を氷水で一気に冷やされたような心地がした。

「それに、俺がどんな写真を撮って、どんな生き方をしても、高瀬には関係ないだろ」

「けど、俺は、お前の」

「なぁ、俺とお前のやってることって、そんなに違わないよ。人の不幸で飯食ってる。高瀬だって、いま面倒見てるアイドルが売れなくなったらAVとか勧めるんだろ? お前の事務所のやってることも十分極悪だ」

「……綺麗事だけじゃ、会社は潰れる」

 羽鳥の言葉は正しい。落ちることを無理強いしたことはない。けれど、もう一度チャンスを掴みたいならと、可能性があるなんて、救いのような悪魔の言葉を言ったことはある。

 可能性は、どこにだってあるからなんて、本質から目を逸らし、自分に嘘をついた。

 高瀬も羽鳥と同じくらい人でなしなことをしていた。

「ちゃんと、分かってるじゃん。お金は大事だよ。ちーちゃん。じゃあな、元同級生のよしみで、写真は破棄してやるよ。せいぜいミカちゃんがAV落ちるまでは、しっかりアイドルとして売ってあげな」

 そう言って去っていく羽鳥を、それ以上引きとめることができなかった。

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