Chapter.34 水瀬②

「コーヒーフロートにしようかな。わたし、お昼ごはん抜いてるんだ」

「そうなのか」

「あ、でも別に気にしないで食べていいよ。誘ったの、わたしだし」

「……分かった」


 水瀬と飯を食べる、という経験は実のところ、これがはじめてだった。

 慣れない状況に警戒するような俺とは打って変わって、水瀬は落ち着きのある態度をする。

 まあ、変に気を遣うものでもないかと思い、遠慮なく昼食にはナポリタンを選んだ。


 特に俺から話したいこともなければ、水瀬もすぐに切り出そうとしない。


 若干の居心地悪さに後ろ髪を引かれながら、窓際の席になるのでぼうっと外の景色を眺める。しばらくして、本当に会話が発生しないなと不思議に思いながら視線を水瀬のほうに配ると、俺のことを一点に見つめていることに気が付く。

 思わず俺も動きを止めて、水瀬と無言で目を合わせ続けてしまった。


「ナポリタンをお持ちしました」

「あ、はい……」


 店員の声が助け舟となり、弾かれるように水瀬から視線を外す。皿を受け取り、改めて一呼吸吐く。

 続いて水瀬のコーヒーフロートも届くと、彼女はかすかな喉の渇きを潤すようにちびり、と口につけ、ことり、と優しくグラスを置いた。


 発言は、ふいに、俺の耳に届いた。


「ねえ、このあとお家に行ってもいいかな」


 思わず俺の手は止まった。面を上げると水瀬の視線は俺に固定されており、いったい何を考えているか読めなくて、俺は眉間に皺を寄せる。

 水瀬が、俺には分からない。


「……それは無理」


 俺が短くそう答えると、間髪入れずに水瀬が続ける。


「どうして?」

「……無理はもんは無理だろ。人呼べるような状態じゃないし、そもそも、そんな関係じゃないし」


 取り繕うように言葉を並べると、脳裏にセシリアの顔が思い浮かんだ。水瀬に対して同居する事実を隠そうとした部分があるからかもしれない。


「もしかして、同棲してたりするの?」


 だから、そんなふうに見透かされてしまって必要以上に俺は狼狽える。


「……………いや、どっちかっていうと居候だけど。人が待ってるから無理だ」

「ふぅーん。そうなんだ」


 俺が眉間に皺を深める一方で、攻め手に回った水瀬は身を乗り出すように肘を付いた。


「それってセシリアちゃんのこと?」

「……そうだよ」

「へえ〜! なるほどね。……あたしね、セシリアちゃんが気になるんだ」


 水瀬と目を合わせることが難しい。またこちらの全てが見透かされてしまいそうで。

 俺は、必死に平静を取り繕う。


「ただの友人だよ」

「ずいぶんと親密じゃない? 三年だっけ? どういう馴れ初めなのか気になるな〜」

「馴れ初めって言うなよ」


 反射的に俺が不快になって返すと、「ふふ。ごめんね」と妙に嬉しそうに謝ってくる。


 冷静になる。

 ルカは身内なのもあったし、既にセシリアから話が伝わっていたのもあるが、ここに来て水瀬にまで全て正直に話してやる義理はないと思っている。

 ただでさえ状況が変わりつつあるなかで、異世界から来た人間であることが必要以上に広まるのは、良いことだとは思えない。

 適当に偽らなきゃいけない。


「……地元は海外からの観光客が多いだろ。民宿多いし。実家が商店街のほうにあるから普通よりそういう客との面識が多くなるんだよ。セシリアとはその関係で会って、以来、親しいだけだ」


 一週間もあればそれなりの言い訳は思い付く。実際、地元・富士宮市は富士山の麓に広がる地方都市で、富士山本宮浅間大社や白糸の滝、田貫湖など海外ウケする観光名所がある。B級グルメの富士宮やきそばは観光に来たら一度は口にしたいものだ。


 そんな地域の特性もあって、外国人との接点があっても不思議じゃないことは同郷の水瀬にもよく分かるはず。


「ふぅん。ぜんぜん知らなかったなあ」


 ……まあ、俺からすれば現実世界での三年と異世界での三年は完全に別のものとして区別出来ているが、水瀬からすればどちらも同じ時間軸にあったこととして見えている。だから、高校での話を持ち出されると俺も記憶力が良いわけではないので齟齬が出る可能性がある。

 そこだけ気掛かりになる部分だ。


「面白い人だよね」

「そうだな」


 水瀬が遠い目をしながら外の景色を見つめる。

 ガラス玉のような目だなと思った。


 ……見惚れていたわけでは決してないが、そんな俺の視線に気付いて、振り向いた水瀬は口許をかすかに緩める。


「絶対タクヤくんのこと好きだよ」


 ――一瞬、『好き』というフレーズだけが耳に残りやすいものだから、どういう文脈かよく分かっていなくて狼狽えた。次第に、セシリアのことを言っているのだと気付くと、肯定も否定も出来なくて沈黙する。


「あの子に告白されたらどうするの?」

「…………………………………………………………………………それは、別に関係ないだろ」


 苦し紛れに水瀬を睨んで言う。

 効いている素振りは全くない。


 やはり、水瀬はよく分からないし、俺は水瀬に弱いみたいだ。セシリアのことなら手に取るように分かるのに、水瀬には手も足も出ない。

 何を話したいのかさえ分からない。


 水瀬は声を少しだけ低くして続ける。


「関係あるよ。高校のときのこと、忘れた?」


 ……………。

 俺は、何も言えなくなる。


「わたしに告白してくれたよね」


 そんな話、いまさら持ち出すの、ずるいだろ。

 いや、ずるいって、お前。


「お返事、出来てなかったじゃない?」

「……それは、もう、なかったことになっただろ……」


 苦虫を噛み潰したような面をする俺に対して、水瀬はふんわりと穏やかな笑みをする。


「わたし、独占欲が強いんだ」


 ……知ってる。

 俺はそれで迷惑を被ってきた側だから。


「セシリアちゃんに取られちゃったのかと思っちゃった」


 ほっとしたように彼女が口にする。

 その嬉しそうな顔が本気なのか嘘かさえ、俺には水瀬が分かっていないのに。


 惚れた弱みとはこういうことなのかと、自分のなかで都合よく解釈しようとしてしまうのが恐ろしい。


 水瀬が、じっと俺の目を見つめる。


「タクヤくん。わたしと付き合わない?」

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