第3章 嫌音令嬢、辺境で幸せを掴む

変化と進展


 あの嵐の後、一夜のうちに雨は止み、小屋の周りは荒れ果てていた。


 川は増水し流れも早く、濁り水が溢れる。

 この時期の嵐は気まぐれすぎる。

 今までで一番強い嵐の後は、晴れやかな青空が憎々しく顔を出した。


 屋敷へ帰ってから、私は正式にフレッツェル伯爵家との縁を切った。

 援助金がなくなることを恐れた伯爵と夫人は相当ごねていたようだけど、あの日、大木に縛っていた賊をテオドールが回収し、彼による尋問で指示者がフレッツェル伯爵だと言うことがわかってから、それを弱みに話はスムーズに進んだ。


 私と旦那様の中も良好……、と言っていいのかどうか、まぁ変わりはない。

 名前呼びが定着してぎこちなさがなくなったくらいか。


 あの嵐の夜の口付けは幻だったんじゃないかと言うくらいには、何も進展はない。

 好きだなんだと言われたわけでもないし……うん、あまり気にしないようにしよう。


 そして季節はついに冬に突入した。

 だんだんと冷たい風が肌を刺すようになり雪が降り始め、私たちは貯蓄状況の視察に町へとやってきた。


「ロイド様にメレディア様!!」

 馬車から降りた私たちを一斉に領民が取り囲む。

「皆、冬の間の食料は問題ないか?」


 そういえば一つだけ進展したことがあった。

 視察の時、旦那様は私の手を握っていてくれるようになったのだ。

 自然と握られたままの手に視線を落として、私は小さく笑みを浮かべる。


「町の貯蓄量も家の貯蓄量も、例年より多いくらいですよ。これもメレディア様のお知恵とロイド様が新しい農具と苗を買ってくださったからこそです」


「旦那様が私の突拍子のない案を信じてくれたからよ。そして民で協力して、新しいことにチャレンジしてくれたからよ」

 私の前世の記憶だけを頼りにした、意味のわからない手法を信じ、試そうとしてくれた旦那様。

 そしてそれを信じてついてきてくれた領民がいてくれたからこその成果だ。

 それはきっと、旦那様が日頃から領民と良い関係を築いて来たからでもある。


「ふふ」

「どうした?」

「いいえ。ありがとうございます、旦那様」


 お礼を言いながらにっこりと微笑み旦那様を見上げると、旦那様は一瞬キョトンとしてから、表情を柔らかくした。


「こちらこそ。ありがとう、メレディア」

「っ……」

 それは反則だ。

 ここのところの旦那様は最初に比べて随分柔らかく笑うようになった。

 私も以前よりも自然と笑えるようになって、気を楽に接しているようにも思う。


 お互いに歩み寄っている。

 そんな感覚が、どこかくすぐったくて愛おしい。


「そういや、メレディア様はいつになったらロイド様のことを名前で呼ぶんです?」

「そうそう。もうご結婚されてから半年は経つのに」


「へ!? あ、え、えっと……」

 ご婦人方が一体どう言うことなのかと、私に詰め寄り、その圧に圧倒される。


 あの嵐の夜、一度呼んだきり、私はまた旦那様呼びに戻ってしまった。

 なんだかものすごく気恥ずかしくて。


「俺の名前を知らんのか?」

「知ってますよ!? ロイド・ベルゼ様、でしょう!?」


 むしろ一度呼んだのお忘れですか!?

 私が名前を口にすると、旦那様は満足そうに口角を上げてから「そうだ。わかってるならそう呼べ」と言った。


 策士……!!


「うぅっ……ろ……ロイド……様?」

 絞り出すような声でその名を口にする。

 あの嵐の夜以来の名を。


「っ……。あぁ。それでいい」


 旦那様はすぐにその端正な顔を大きな右手で覆い俯いてしまったけれど、彼の耳は今の私と同じように、真っ赤に染まっていた。

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