美奈子ちゃんの憂鬱 最初のお酒・最後のお酒

綿屋伊織

第1話

 全くどうなるか見当もつかないこと。

男が最初に酒を飲む時。

 女が最後の酒を飲む時。


 そう言ったのは誰だったろう。



 ●月ヶ瀬神社 水瀬宅 


 「じゃ、いいか?」

 「うん」

 「いいわけないだろう!?」

 ちなみに、羽山・水瀬・博雅の三人のそれぞれの発言だ。

 彼らの前には、一升瓶とつまみが置かれている。

 「未成年が飲むものじゃない!」という秋篠。

 「ガキじゃねぇんだぜ?」と呆れる羽山。

 「おいしいよ?」茶碗に注ぐ水瀬。

 「だから、分別というものをだな!」


 一通り、倫理について怒鳴り散らした博雅に、水瀬が茶碗を差し出す。

 「う、うむ。悪いな」

 「いえいえ」

 なぜか二人は意地の悪い目で見つめる中、無言で飲み干す博雅。

 「……おかわり」

 「はいはい」

 「じゃ、飲むか」

 博雅が茶碗を受け取ったのを確かめた羽山が、自分の茶碗に酒を注ぎ込む。

 「だからだな!」

 茶碗の中の飲み物に口を付けつつ、博雅はわめいた。

 「酒は二十歳になってからだ!」

 「お前、飲んでるんだぞ?」

 「え?」

 「それ、酒だぞ?」

 「これが、か?」

 「美味いんだろ?」

 「う、うむ……」

 

 ●30分後 水瀬邸

 「何、してるの?」

 ルシフェルだった。

 「酒盛り。ルシフェも飲む?」誘う水瀬。

 「お、おい!」止める博雅。

 「ルシフェルさん、酒飲んだこと、あるの?」という羽山。

 「全然、ない」

 「よっし!さぁ飲め!」

 

 ●数時間後

 まず潰れたのは羽山だった。

 「なぁんだ。言い出しっぺが情けないの」

 いいつつ、水瀬は式神に命じて、毛布をかけてやる。

 「一升瓶3本程度だよ?」

 「まぁ、しょうがないだろう。にしても、この酒ってのは……」

 手酌で茶碗に酒を注ぐ博雅。

 「……悪くない」

 「でしょ?」

 「ああ」

 博雅と水瀬は、夜景に添える華としての酒を堪能する。



 月明かりに照らし出された世界で聞こえてくるのは、虫の音と、二人のぽつりぽつりとした会話だけ。



 (いいものだ)



 茶碗を傾けながら、博雅は心底、そう思う。


 (美しい景色の中で堪能する酒。これに勝るものなど、この世には存在すまい)と。



 「ね。どう思う?ルシフェ」

 水瀬が、話題をルシフェルにふったのはよかった。

 だが―――


 「……」

 あたりには、どこから持ってきたのか、一升瓶が1ダース近く転がっている中、無言のまま、酒を飲み続けるルシフェルがいた。

 「あ、あの?」

 恐る恐る声をかける水瀬にも反応せず、ルシフェルは、ひたすら酒を飲み続けている。

 「お、おい。水瀬?ルシフェルさん、大丈夫か?」

 「わ、わかんない」

 小声で会話する二人にも、彼女は反応しない。

 「ま、まぁ、飲もうよ。飲めば忘れることもあるし」

 「現実逃避って奴だな」

 

 そのまま、二人が羽山を追ったのは、それから1時間ほどした後だった。

 


 ●数時間後

 「―――うっ」

 飲み過ぎた。

 喉が渇く。

 何より、息が苦しい。

 それにしても、何だろう。

 この、甘い匂いは―――。

 ぼんやりする頭でそこまで考えた博雅は、ようやく、自分が置かれた状況を理解した。



 息が苦しいのではない。



 息が出来ないのだ。



 何かが、顔を覆っている。



 「!?」

 手を回してみると、どうやら人のようにも思える。

 手をやって、力任せに押し返そうとしても、なかなか押し返せない。

 

 「―――ぷはっ」

 どれくらいもがいたか。

 もしかしたら、本当に数秒のことだったのかもしれないし、数時間のことかもしれない。

 とにかく、博雅は、息が出来る世界に復帰した。

 「はぁ、はぁ……いっ、一体、何が?」

 慌てて状況を理解しようとする博雅の耳に、甘い声が聞こえてきた。

 「ひどくない?」

 ルシフェルの声。

 「へ?」

 博雅は、ようやく理解した。

 自分は、ルシフェルさんに抱きしめられている。

 「秋篠君、女の子に乱暴すぎるよ?」

 見上げたそこには、自分を見つめるルシフェルの顔があった。

 (じ、自分は一体、何をしたんだ?)

 博雅は思う。

 これだから酒なんてダメなんだ。

 酒を飲むから人生間違えるんだ。

 大体、飲むことで人格が変わるような危険人物が近くにいたら、俺はどうすればいいというんだ?


 (ちょっと、待て?)


 博雅は、そこで考えを止めた。




 人格が変わる?



 ……まさか。




 「うふふふっ……どうだったぁ?」

 「は?あ、あの、ルシフェルさん?」

 「……んくっ、んくっ……ぷはっ……秋篠君、エッチなんだからぁ」

 甘えきったルシフェルの声と一緒に感じた酒臭い息は、自分のものか、それとも彼女のものか、博雅は判断しかねた。

 ただ、はっきりと不思議と、甘い。脳天をしびれさせるようなかぐわしさすら感じたのは確か。

 

 だが、今の問題はそこではない。

 

 エッチ?

 羽山じゃないんだぞ?

 あの巨乳狂いの看護婦フェチと一緒にするな。


 お、俺がエッチだって?

 誰からもそんな評価を受けたことはない。

 ち、ちょっとだけ、最近、ルシフェルさんを想って……その……。

 

 俺の事なんてどうでもいい!

 

 問題は、ルシフェルさんの胸

 ……ちがう。

 ルシフェルさんが酔っぱらっているということだ。


 「ふふっ。無邪気な寝顔で、私を誘ってたよぉ?」

 「る、ルシフェルさん?じ、人格、変わってません!?」

 「私は普通ですよぉ?クスクス」

 「ぜっ、絶対、ヘンです。酔ってますね?」

 「酔ってません」

 「酔ってますよ」

 ルシフェルは、茶碗に残った、最後の酒を飲み干した。

 「―――自分はどうなの?」

 ルシフェルの顔がこれでもかという近さに来る。

 アゴを動かせば、すぐに彼女の唇を奪える距離。

 「うふふっ。ほぉら。お酒臭い」

 ルシフェルは、そういってクスクス笑い出した。

 ルシフェルの吐く息が、博雅の嗅覚を甘く麻痺させる。

 「ほぉら、自分だって酔ってるんだから、私に文句を言うのは筋違いです」

 「し、しかし」

 「うるさいから、その口を閉じてあげましょう」

 「へ?」

 

 

 ルシフェルは、博雅の頭を抱きかかえると、両腕に力をこめた。

 

 ぎゅぅぅぅぅぅっ


 その力まかせの締め付けの感触は、博雅の知らない世界のものだった。

 

 (や、柔らかい)

  それは、ルシフェルの胸97センチFカップの谷間。

 (や、やわらかすぎる!)

  まさに人類の未知の領域(笑)が、博雅の顔を埋め尽くそうとしていた。

 (……こんな柔らかいものがこの世に存在するのか!?)

 「うふふっ。こら。どうだ?」

 ただ、柔らかい感触が絶対の存在である世界で、ルシフェルのとろけるような甘い声が聞こえてきた。

 「うりうり。どうだ?まいったか?」

 コクコク。

 

 やめてほしくない。

 でも、息が続かない。

 残念だが、死ぬわけにはいかない。

 博雅は、そう判断した。

 

 ●水瀬(睡眠中)

 「……んっ」

 遠くで音がする。

 何だろう。

 

 「る、ルシフェルさん!?」

 「敵前逃亡は、銃殺だぞぉ?」

 

 (博雅君とルシフェ?)

 うっすらと瞼をあけた先に、後ずさりながら逃げる博雅と、四つんばいで追うルシフェルが見えた気がした。

 何をしているかはわからない。

 (……ま、いいか)

 水瀬は、睡魔に身を委ね直した。

 


 ●翌朝

 周辺に響き渡る凄まじい悲鳴で、水瀬邸の一日が明けた。

 飛び起きた水瀬が目撃したもの。

 それは、ルシフェルの胸に顔を埋めて眠りこけ――いや、死にかけている博雅と、驚愕の表情を浮かべているルシフェル。

 なぜか、共に全裸に近い姿だった。


 「せ、責任とりなさぁいっ!!」

 ルシフェルの魔法攻撃に吹き飛ばされる博雅の姿に、なんとなく懐かしさを感じつつ、止めに入った水瀬と、攻撃の余波でノックアウトされた羽山。

 共に大けが。

 博雅の被害は、言うまでもない。




 ●宮内省付属病院

 入院した博雅の看病は、罰としてルシフェルが担当することになった。

 「あの巨乳に一晩夾まれていただと?」

 羽山が、納得できないという顔でそういったのを水瀬は不思議そうに聞き流していた。

 「おっぱいのどこがそんなにいいの?」

 「ま、お前の場合、瀬戸さんの洗濯板だもんなぁ」

 途端、羽山は意識を失った。

 

 次に目を覚ました羽山が眼にしたのは、心配そうにのぞき込んでいる綾乃の姿だった。

 横にいる水瀬は、何故か引きつった笑みを浮かべている。

 「大丈夫ですか?」

 「あ、ああ……誰かにいきなり殴られたらしい」

 起きあがりつつ、痛む後頭部をさする羽山。

 「まぁ!誰がそんな酷いこと!」

 「さあな……ま、いい。見舞いに行こう」

 律儀に病室に向かう羽山の後ろについていく綾乃。水瀬は、彼女がどこから出てきたのか、そして、その後ろ手に、釘バットを隠しているのを、一切、考えないことに決めた。

 

 「あー、ヒデぇ目に遭いっぱなしだぜ。秋篠の奴、これでりんごなんてむいてもらって、「はい。あーん」なんてやっていたら、俺は殴るぞ」

 「いいんじゃない?」

 「なにが」

 「ルシフェ、博雅君の事、好きなんだよ」

 「はぁ!?あの天然記念物指定の朴念仁をか!?」

 「しょうがないでしょ?本当のことなんだから」

 「知るか……ったく、入るぞ!」

 乱暴に開かれたドア。

 「……」

 しばらく凍り付いた羽山は、そのままドアを閉じた。

 「どうしたの?」

 「やってたよ……」

 「何を?」

 「はい。あーん。だ」

 


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美奈子ちゃんの憂鬱 最初のお酒・最後のお酒 綿屋伊織 @iori-wataya

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