第18話

「さて」

 お茶を飲み終えた南雲が未亜に声をかけた。

「信楽、一度、マンションに戻るぞ?」

「あ、うん」

 未亜も腰を上げた。

「南雲?」

 突然の言葉に、かなめが戸惑ったように南雲を見た。

「信楽の着替えとかありますし、何より、マンションの状態を知りたいので」

「そうか?大丈夫……聞くだけ野暮か」

「そういうことです」


「先生はぁ」

 車の中で、未亜は南雲に問いかけた。


「やっぱり、綺麗なオンナの人の方がいいんだよね」


「何をバカなことを……まだ根に持ってるのか?」


「私、そこまでしつこくないよ」

 未亜は流れていく外の景色を見つめながら呟くように言った。


「早く大人になりたいなぁ」


「どうした?」

 南雲が優しげな言葉をかける。


「いつものおちゃらけモードは」


「たまにはいいじゃん―――いろいろあったんだし」

 南雲の脇腹を軽く小突く。

 分厚い革ジャンの感触が手に伝わる。

 

 それが、南雲と自分の壁。


 南雲に好きな女性がいた。


 櫻井詩乃を狙っていたことも知っている。

 

 そして、自分があのプロポーションとはほど遠いことも。


 それでも、未亜は南雲に抱かれて以来、少しでも南雲にふさわしい女性になりたいと願っている。

 

 髪ものばし始めている。


 料理も掃除も覚え始めた。


 ぽんっ。


 未亜はそっと南雲の革ジャンの感触を確かめる。


 どうすれば、この壁を越えられるんだろう。


 そう、思いながら。


「どうした?」

 南雲は、そんな未亜の仕草が愛らしいと思う。


 手のかかる子供。


 それが南雲の未亜の最初の評価。


 同居を始めてからは、子供が妹になった。


 そして、恋人へ。


 次に来るものは何なのか。


 南雲自身がわかっていることだ。


 高校教師と生徒。


 問題騎士と金持ちのお嬢様。


 壁は、厚い。


 結局、二人ともマンションまで終始無言のままだった。




「なんか、久しぶりな感じだねぇ」

 車から降りた未亜が言った。

「昨日なのに、ヘンだね」


「いや」

 南雲は言った。


「しばらく遠出もしなかったからな。離れることがなかったからだろう」


「うん……ね?先生」

「ん?」

「問題なければ、今晩はこっちで過ごしていいんだよね?」

「まぁ……大丈夫だろう」

 南雲は言った。

「少し、お前はあの家から離れた方がいいかも知れない」

「む。そんなことないよ」

 未亜は気丈に振る舞った。

「私は大丈夫だから!」

「そうか?」

 南雲は心配そうな目で未亜を見た。

「シェルター内部のことは水瀬しかわからない。村上達を脱出させて、別ルートで逃げようとしたけど、間に合わずに気絶したんだろう?」

「う……うん」

「心配するな!」

 南雲は元気な声で未亜に言った。

「未亜は何かしたわけじゃない。それに向こうは福井先生がいる」

「うん」

 未亜は泣きそうになるのを押さえながら、

「でも、今晩はヒドいのはナシだからね?」

 未亜が睨むような目で南雲に言った。

「あの時だって、村上先輩達が来るっていうのに、あんなトコであんな激しくするなんて反則だよぉ」

「スマン。勢い余って」

「避妊してないんだから」

 未亜は心配そうな顔で言った。

「……責任、とってね?」

「あ……ああ」

 そっと差し出される未亜の小さな手。

 それを南雲の大きい手が包む。

 未亜の求める大人の包容力。

 南雲の求める女としての全て。

 今の所、二人は、互いの求める所を満たしていた。


「さて。そこの淫行教師」

 背後から聞こえてきた突然の声。

 振り向きつつ、南雲はその背に未亜を隠す。

「あんた、元警官のくせにそんなんでいいの?」

「……村田警部補」

 そう。

 理沙だった。

 その背後には、岩田警部もいる。

「お久しぶり」

「久しぶりだな」

「お、お元気そうで」

 三人の関係は、何だか奇妙なものに未亜には見えた。

 この女の人達は、先生を知っている。

 先生もだ。

 お互いの間には、同じ経験を重ねた者同士にだけある、一種の親愛の情がある。

 だけど、それ以上にあるのは、不思議なためらいだ。

 未亜はそれを知る必要があるとは思わない。

 いや。

 知らない方がいい。

 心のどこかで、何かがそう言い続けている。

 きゅっ。

 未亜は南雲の革ジャンを掴むと、黙って経緯を見守ることにした。


「何?あのカタブツがついに女に手を出したと思ったら、こんな小さい子?」

 理沙が未亜に向けてくるのは、興味半分の視線。

 それは同時に、とぎれがちの会話を繋ぐための手段でもあることはわかりきっている。

「教え子ですよ」

 南雲はそう言うが、

「その教え子とさっきの会話は何?」

 理沙はハンドバックを開きながら言った。

「淫行禁止条例違反で逮捕してあげようか?」

「勘弁してくださいよ」

 南雲が笑ってそういった途端。

「ははっ。そうね―――残念だけど」

 理沙はハンドバックを閉じた。

「やっと笑えるようになったのね。あなたも」

「―――お陰様で」

「ふうん?」

 理沙は、もう一度、未亜の顔を見た。

「守るべき存在、手に入れた男って強くなれるのよね」

「警部補……」

「さて。私がここに来た理由はわかるでしょう?」

「先日の件、ですか?」

 南雲はやや堅い声でそう言った。

「ご明察」

 対する理沙の声は軽やかなままだ。

「もしかして、水瀬君家で何かあったようだけど、あれで自分が関わった騒ぎが終わったと思ってなかったでしょうね?」

「まさか」

 南雲は口元を皮肉そうに歪めた。

 理沙の言葉はその通りだ。なんて自分は考えが甘いんだ!そう自嘲したから。

「で?何を知りたいのですか?」

「あなたの立場上、そりゃ大したことは言えないでしょうけど」

「よくお分かりで」

「元同僚でしょう?わからなくてどうするの」

「はぁっ……立ち話も何ですから、上へどうですか?コーヒー位、出しますよ?」

「ええ。手短に済ませてあげる」

 理沙はエレベーターに向けて歩き出した。


「お楽しみの時間が削れちゃ、可哀想だから」





 不思議と、エレベーターの中にいるとしゃべらなくなるらしい。

 皆が何も語ることなく、ただ黙って立っているだけ。


 エレベーターの作動音だけが静に響き渡る室内。

 

 エレベーターは昇り続けている。


 1階


 2階


 3階


 そして―――


 ガンッ!


 激しい音と共にエレベーターが揺れたのは、4階を示すランプが点灯したほぼ直後のことだ。


「!?」

「な、何!?」

「せ、先生!」

 とっさの事に南雲達が身構え、南雲に未亜がすがりつく。

 

 ガンッ!


 ガンッ!


 ガンッ!


「う、上に誰かいるっ!」

 未亜が悲鳴混じりに叫ぶ。

「や、やだぁ!」

「未亜、伏せろ!」

 南雲はそう言いつつ、未亜の頭を掴んで床に押しつけた。

「にゃっ!?」

 ガンッ!

 その力に押され、未亜は床におでこをイヤと言うくらいぶつけた。

「せ、先生、ヒドイ!」

「す、すまんっ!」

「ワザとだぁ!」

「ち、違う!」

「ネズミランドの件、まだ恨んでるんだぁ!」

「誤解だ―――警部、拳銃は!?」

「あることはあるが」

 岩田が取り出したのはリボルバー式の拳銃。

 理沙が取り出したのはオートマ式の自動拳銃。

「お願いします」

 南雲も懐から拳銃を二丁取り出した。

 コルト・ガバメントM1911A1とS&W M500。

「撃ってください」

「拳銃の出所は聞いてもいいか?」

 岩田が拳銃の安全装置を解除しながら言った。

「答えは、決まっているようなもんだが」

「職務上、やむを得ないでしょう」

 南雲も銃口を上へ向ける。


 ガンッ!


 ガインッ!


 ガキンッ!


 引き金を引く寸前。

 上から聞こえてくる音が変わったと思った瞬間、

「!?」

 天井の構造物やライトの破片が降り注いできた。

 南雲達はとっさに腕で頭を覆ってケガを避ける。


「だ、誰だ?」

「捕まえればわかることです!」

「やめろ南雲!」

 銃口を再度上に向けた南雲の手を掴んだのは岩田だった。

「そんな大口径、ケーブルにあたったら終わりだぞ!」

 そう。

 45口径に50口径。

 当たり方によってはケーブルが切断され―――

 

「じゃあどうすれば!」

 南雲が怒鳴る合間にも、


 ガキンッ!

 ガキンッ!

 

 音は激しくなり、

 降り注ぐ破片の量も増える。


「村田、緊急連絡……やっこさんの考え方が変わったんだ」

 岩田は破片を避けながら言った。

「やっこさん、ケーブルを切断してこのカゴを落とすつもりだったんだ。だが、それでは飽き足らなくなったんだろうよ」

 

 ガキンッ!

 ガンッ!


 天井の一部が抉られ、漆黒の闇が天井の一角に誕生した。

 

 ガキンッ!

 ガキンッ!


 闇の数は増える一方だ。


「本部!本部!―――だめです!」


「呼び続けろ!」

 岩田の怒鳴り声に弾かれたように理沙は無線機を握り直した。

「はいっ!本部、応答を!」


「ああ。やっこさん、斧使ってやがるな」

 岩田の声は落ち着き払ったまま。

 その手は胸ポケットからタバコを取り出すほどの余裕だ。

「天井抉って顔が見えたところが勝負だぞ?巡査長」

「はい」

 岩田はタバコをくわえたままの口から笑い声を漏らした。

「それ位、謙虚だったら、お前さん今でも警備部にいられたなぁ」

「過去の話です」

「そうさ。……過去の話だ」

 岩田はタバコの箱を南雲に突きつけた。

「やらんか?」

「いただきます」

 ちらり。床に伏せたままの未亜を見る。

 恐怖におののきながらも、その目は南雲をまっすぐに見つめていた。

「大丈夫だ」

「う、うん」

「いい娘じゃねぇか」

 岩田がライターでタバコに火をつけながら言った。

「守ってやれよ?」

「はい」

「よし」

 

 ガンッ!

 

 天井の一部が大きく崩れ、闇の中から男が顔をのぞかせた。


「警察だ!」

 岩田が叫ぶが、

「!!」

 岩田は、理沙をかばうように突き飛ばして、壁に身を預けた。


 ガンッ!


 鈍い音がして、今まで岩田が立っていた背後に何かが突き刺さる。


 斧だ。


 男が、岩田めがけて斧を投げつけたのだ。


「警部っ!!」


 ドンッ!


 ドンドンドンドンドンドンッ!!


 南雲はとっさに引き金を引いた。


 わずか数メートルにも満たない距離。

 

 全弾が吸い寄せられるように、男の体をバラバラに引き裂き、


 ズルッ。


 男は崩れるように床に落下させた。


 ベチャッ


 鈍い音と共に落下した男は、遂に動かなくなる。


「見るなっ!」

 南雲はとっさに、足で未亜の後頭部を踏みつけた。

「にゃっ!?」

 ガンッ!

 未亜は再び床におでこをぶつけた。


 たまらず未亜が叫んだ。


「先生!恋人になんてするの!?」


「あとで指輪買ってやるから!」

 南雲は、床に落下した男の死体から銃口を離さない。

「何ならプロポーズ100回くらいやってやる!」

 

 天井からのぞいたあの顔。


 間違いない。


 未亜の部屋で見た、あの男だった。


 村田を狙う男。


 それが、明らかに自分達を狙ってきた。


 何がどうなってるかわからない。


 ターゲットを変えたとでもいうのか?

 そんな、馬鹿なことがあるか?

 もし、ターゲットを変えるというなら、その理由は何だ?

 まだ、メインターゲットは死んでいない。


 死んで、いない?


 ぞっ。


 南雲の背筋に冷たいものが走った。


 それは真実か?


 絶対の真実といいきれるか?


 否。


 南雲はそれを恐れた。


 かなめ達が村田を守っている。


 だが、相手は神出鬼没のバケモノだ。


 そのバケモノを相手に、かなめ達が絶対に勝利すると、誰が言い切れる?


「未亜!」

 南雲が未亜に怒鳴った。

「な、なぁに?」

 未亜のその声は、やや上気したものだったが、南雲はそんなことに構っていられる状態ではない。

「すぐに少佐達に連絡をとってくれ!」

「しょうさ?……かなめちゃんだね?待って!」

 未亜は余計な質問はしない。

 そんなことで南雲の気を散らせることがどれほど危険かわかっているから。


「村田、エレベーターは動かないか?」

「やってみますけど」

「なんだ?」

「胸から手を離してください」

「ん?―――ああ。スマン」

「セクハラで訴えますよ?」

「責任とってやろうか?」

「それがセクハラだと言うんです」

 パネルに向かう理沙の顔は見えない。


「南雲、殺ったのか?」

「危険すぎますよ。まだコイツ、俺を狙っていたとは」

「いろいろ聞きたいことが増えたな……」

 ポンッ

 岩田は南雲の肩を叩いた。

「ま、安心しろや。お前が撃ったとは記録には残さないから」

「しかし、どうやって?」

「そこが俺達の腕の見せ所さ」

 岩田はニヤリと笑った。


 その直後、


 ガクンッ


 エレベーターが動き出した。

 

 ほうっ。


 居合わせた全員から安堵のため息が漏れる。

 全員が見守る中、階を示すパネルは5階を指して、そのまま上昇を続ける。


 それが、油断だった。


「ひっ!?せ、先生!」

 悲鳴を上げたのは未亜だ。

 

「ん?」

 思わず、南雲は未亜の方に視線を向けてしまった。


「後ろ後ろ!」

 未亜の叫び声が理解できず、視線をさまよわせたのもまずかった。

「後ろ?―――ぐっ!?」

 

 腕に走る鈍い衝撃。

「先生!」

 未亜が悲鳴を上げる。


 南雲の手の拳銃はバラバラに壊れていた。

 何故?

 南雲が、斧の一撃を、拳銃を交差させて避けたからだ。

「このっ!」

 南雲の丸太のような足が斧の使い手の腹を蹴り上げる。

 斧の使い手はその衝撃でドアに向かって吹き飛ばされた。


「な、何で?」

 理沙が震える声でそう言った。

 理由がわからない。

 頭を吹き飛ばされ、体中穴だらけの体が、ドアに持たれるように


 立っていた。


 あり得ない。


 理沙は何度も頭の中でそう言った。


 真横に立つ存在が、どうしても認められない。


 これは、男の死体だ。


 肉片の間からのぞく白い頭蓋骨、腹からはみ出た腸。


 これが死体でなければなんだというんだ!?


 何度も、頭の中でそう叫ぶが、どうしてもどこかで受け入れられない。


 現実に、動いたのだ。


 チンッ


 ドアが開く。


 ずるっ。


 男の死体が、ドアの向こうに倒れる。


 死んでいる。


 誰もがそう思った瞬間、


 ズルッ。


 ズリュッ。


 ズリュリュリュリュ


 その音と共に、男はまるでヘビのように床を這い、南雲達の視界から消える。


「待てっ!」

 南雲と岩田がエレベーターから飛び出した時、


「……ちっ!」


 男の死体は、姿を消していた。


 ただ、床には血まみれの何かを引きずった痕が、廊下の真ん中まで走って、そして消えているのが残されていた。


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