第7話

「えっと……綾乃ちゃんへ。今日はびっくりするようなことがあったよ?写真の子わかる?今、水瀬君の家に厄介になっているんだけど、とっても大切な」

 未亜がどうやって那由他との再開を綾乃に知らせようか迷いながら携帯メールを打っている最中、

「先生!」

 村上が血相を変えて部屋に飛び込んできた。

「な、那由他が」

「ど、どうした?」

 ちゃぶ台の回りに座ってかなめ達に事情を説明していた南雲は、湯飲みに伸びた手を止めた。

 村上の顔色はもう真っ青だ。

「那由他がいないんです!」

「何っ!?」

 南雲達は武器を手に慌てて立ち上がり、那由他の部屋へと向かった。

「トイレは?」

「秋篠―――いや、お前じゃ彼女の貞操が逆に危険だ。私が行く!」

「南雲先生、福井先生のアレは、どういう意味でしょうか?」

「俺の方が聞きたいが……秋篠、羽山と一緒に裏庭周辺を探せ。やばいと思ったら逃げてかまわん」

「了解です」

「未亜」

「な、何?」

 未亜は携帯を握りしめたまま、南雲の言葉を待った。

「この部屋に入っていろ。結界が張られているから心配いらない」

「う、うん。わかった」

「俺達も探すぞ?村上君、俺についてこい」

「は、はい!」

 


 結局―――

 10分近い捜索の末、わかったことと言えば、那由他の姿は水瀬の家から消えた。

 ただそれだけだ。


「裏口の鍵が、内側から開いていました」

 博雅がそう報告した。

「彼女の仕業、そう判断すべきだな?」

 かなめが難しい顔で訊ね、

 博雅はそれを無言で肯定した。

「でも、何故?」

 未亜の疑問はもっともだ。

「那由他ちゃんは、村上先輩と一緒に逃げていたんでしょう?それなのに、なんでここに来て村上先輩から離れるの?」

「信楽、部屋に書き置きのようなものはなかったのか?」

「文机の引き出しも調べたけど、どこにも」

「ふむ……敵に捕まったか?いや。それにしては妙だな」

「つーか、自分で外に出たんじゃないっすか?」

「羽山、それはどういうことだ?」

「つまり、事件解決の手がかりを思い出したとか。大体、俺にはわかんないんですよ。……えっと、村上さんッスよね?」

「え?ええ」

「大体の話は南雲先生から聞きましたけど……なんで、今になって葉月に戻ってきたんですか?」

「それは」

 村上が言いづらそうに言いよどみ、全員の視線が村上に注がれる。

「……那由他の希望なんです」

「那由他ちゃんの?」

「そうです」

 村上は驚く未亜をちらりと見て、

「突然、那由他が言い出したんです。確かめたいって」

「確かめる?」

「ええ。御爺様、霧島さんが、本当に死んでいたのか。もしかしたら、私達が死んでいると思いこんでいただけで、実は生きていたのではないかって」

「しかし」

「海外にいた僕達にとって、それは確かめようのないことです。那由他はそれを確かめることで突破口を見いだそう。そういいたかったんだと思います」

「成る程?それで?」

「図書館で古い新聞の記事を探して、霧島さんがやっぱり死んでいたことを見つけました。それでも、どういうわけか、那由他は楽観視していて。記事そのものがウソだって言い張って」

「那由他さん、何か知っているのか?」

「僕も同じ事を聞きました。ただ、御爺様が死んでいたら、誰が私達を襲っているんだ?っていうのが、彼女の言い分で」

 かなめは少し考えた後で言った。

「その人物のことは後で調べるとして、とりあえずは那由他さんの身柄の確保が優先だ。周囲も捜索してみよう。羽山と秋篠、私、それと水瀬にルシフェルで手分けして周囲を。村上さんと南雲先生は信楽の護衛としてこの家に……おい、水瀬達はどこだ?」

「水瀬はさっき簀巻きにして」

「全く!肝心な時に役に立たないんだから!」

 かなめの憤慨は人としてどうかと思うが、人手が足りていないことを否定することは出来ない。

「とりあえず、動ける人数で動く。秋篠、羽山、出るぞ?」

「了解」

「わかりました」

 羽山達が腰を上げた途端、

「あれ?」

 居間に入ってきたのは、エプロン姿にお盆を持ったルシフェルだ。

 普通ならそれだけで惚れ直しまくる秋篠ですら、ルシフェルの登場には白い目を向けてしまう。

「どうしたの?」

「いや。どうしたもこうしたも」

 唖然とした秋篠には上手く説明できない。

「ナナリ?」かなめも、信じられないという顔だ。

「はい?」ルシフェルはちゃぶ台にお盆の料理を並べていく。

「お前、今まで何していた?」

「お夕飯の準備ですけど?」

 メニューは魚の煮付けらしい。

「魚料理は火加減が肝心ですから、ずっと台所にいました。どうしたのですか?」

 かなめは美味そうな湯気を立てる料理を前に言った。

「お前はスゴイって、そう言いたかっただけだ」



 その頃、那由他は商店街の裏路地にいた。

 玄関からこっそり持ち出してきたサンダル履きの那由他は、ずっと町中を歩いていた。


 今の彼女に目的地はない。

 ―――いや、違う。


 彼女こそが、目的地だ。


 誰にとって?

 敵にとって、敵とされる祖父にとって、だ。


 那由他が水瀬の家を抜け出し、そして歩き続ける理由は、自分を見つけてもらうこと。

 それだけ。


 死にたくはない。

 危険なのは十分わかっているつもりだ。

 ただ、祖父と接触することで全てが終わらせる。


 祖父を問いただして、説得して、

 そして元の生活に戻る。


 そうしたいだけ。


 祖父が那由他の言葉を受け入れるという根拠はあるのか?

 そう聞かれれば、なにもない。

 那由他が、根拠もなくそう思いこんでいる。

 そうも言える程度のこと。

 それが、今の那由他にとって唯一の希望の光なのだ。


 その希望の光と共に、那由他は歩き出した。


 商店街を抜けて運河公園を通りかかる。


 昼間はにぎやかな公園だが、夜になれば人気はない。


 木々が放つ夜の空気が、冷たい針のように那由他の肌に突き刺さる。


 一枚、何か持ってくれば良かったかしら。

 そう思う那由他が身を震わせた時だ。


 ガサッ


 那由他の背後で葉の踏まれる音がした。


「?」


 振り返った那由他は、その光景に息を止めた。


 それは、


「お、御爺……様?」


 焦点の合わない瞳で、ただぼんやりと立つのは、


「御爺様!?」


 那由他の祖父だった。


「御爺様!」


 両親を亡くした後、この世に残ったたった一人の身内。

 その出現に思わず駆け出そうとした那由他は、つんのめるようにして足を止めた。


「お、御爺様?」


 祖父の手に光る物を見たからだ。


 祖父はナイフを握りしめていた。


 それが何を意味するか?


 那由他は、経験でわかっていた。


「な、何故です!?」

 震える声で那由他は叫んだ。


 村上はいない。

 自分の身は、自分で守るしかない。


「何故、こんなことをするんです!?何故、黙っているんですか!?言いたいことがあれば言えばいいじゃないですか!」


「……」

 祖父は、孫娘の言葉に答えない。


 ただ、ナイフをもったまま、那由他へと歩き出す。


 月明かりに照らされる祖父の手にはナイフが光る。


「そ、そんなに」

 祖父が1歩近づくたびに那由他は1歩下がる。

 砂利にサンダルがとられそうになるが、なんとか踏みとどまる。

 転んだら、終わりだ。


「そんなに、私達が憎いんですか!?あの時だって、私達を殺そうとしたのは、御爺様の方だったじゃないですか!」


「……」


「何とか言ったらどうなんですか!?御爺様!」


 ブンッ!


 返事の代わりは、ナイフの一閃。


「きゃっ!?」


 かろうじてかわした那由他は走り出した。


 走りながら、那由他は理解し、そして自らを呪った。


 祖父は、自分を取り戻すことなんて考えていない。


 私達を殺すことだけを考えているんだ!


 祖父にとって、終わりは私達が死ぬこと。

 

 それだけだ!


 私は、なんてバカなんだろう!


 速人さんから離れ、


 自分から助かる手段を断って、


 こうやって逃げ回るなんて!


 馬鹿!


 私はなんて馬鹿だ!


 祖父から逃げる那由他は、林の中を抜け、そして―――


「!?」


 行く手を柵に止められた。


 柵の向こうは漆黒の闇。


 この世の終わりといわんばかりに立ちふさがる柵。


 那由他は逃げ場を奪われた。


 柵の向こうで小さい光の反射が見え、その間を何か大きなゴミが流れていく。

 間違いなく、運河だ。


 後ろにはナイフを持った祖父が近づいてくる。


 那由他が横に逃げ出そうと動いた途端、


 ズルッ


「きゃっ!?」


 那由他は何かに足を取られて転倒した。


 暗闇でわからなかったが、どうやらベンチがあったらしい。


 それに那由他は躓いたのだ。


 全身が痛む中、それでも那由他は逃げようとしたが―――


「ヒッ」


 思わず振り返った光景に、那由他は息を止めた。


 そこには、自分にナイフを突き出そうとする祖父の姿があった。


 モウ、ニゲラレナイ。


 脳裏でそんな言葉が何度も反転する。


 モウ、オワリダ。


 そうだろう。


 那由他は、自分に突き出されるナイフの動きが、妙に緩慢にすら思えた。


 結局、祖父が話を聞いてくれるなんて、自分の思い上がりでしかなかったんだ。

 日本に来る時、速人さんは散々反対した。

 速人さんはあり得ないと反対したんだ。

 私のために。

 それを押し切ったのは私。

 すべてを台無しにしたのは、私。

 その私が、今、責任の支払を求められている。


 責任?


 そう。

 責任。

 速人さんの努力を無にした責任。


 それを、とるんだ……。


 那由他は目を閉じ、最後の時を待った。





 だが―――



 ガンッ!!

 

 那由他の耳に、妙に鈍い音が届いた。

 「?」

 いつまでたっても痛みが来ない。

 恐る恐る開いた那由他の目に映るのは、デカデカと描かれた「40」の文字。


「―――えっ?」


 それが道路標識だと気づいた那由他の耳に、まるで地獄の底からはい上がってきたかのような、恐ろしくドスの効いたオンナの声が聞こえた。



「このオンナは、私のエモノです」



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