第3話

 ●葉月商店街

「あれぇ?」

 商店街を歩いていた未亜が不意に立ち止まると、足を止めて何度も目をこらす。

「どうした?」

 横を歩いていた南雲が声をかける。

「うん。……先生、ちょっと待ってて」

 未亜はそう言い残して走り出した。

 買い物客の間をすり抜けた未亜は、目当ての相手の側に近づくなり、


「村上(むらかみ)先輩」


 そう声をかけた。


 その声に驚いたように振り返ったのは、まだあどけなさの残る背の高い男。

 顔はそれほど悪くない。


「え?」


 男は、人なつっこい笑みを浮かべる未亜をじっと見つめた後、驚いたように言った。


「未亜ちゃん?」


「そう!お久しぶりだね。先輩!」


●喫茶「南風」

「お久しぶり―――もう、そういうしかないか」

 喫茶店のテーブルに差し向かいで座った未亜に、男はそう言った。

 近くのテーブルに座った南雲が、何だか不機嫌そうな顔で未亜達に注意を払っている。


「そうだよ」

 未亜は少し怒ったという顔で言った。


「1年間も行方不明。学校は辞めちゃうし」


「ははっ……仕方なかったんだよ」

 男はそう言って、ちらりと横を見た。


「?ところでさ」

 未亜はその視線の先が気がかりでしかたない。


「ん?」


「その娘、誰?どこかで見た気がするんだけど」


「……」

 横をちらと見た男は、不意に黙った。

 まるで未亜を警戒している様子にもとれる。

「うーんっと」

 男が次の行動をとる前に、未亜は自分の脳内にある膨大な人物リストからそれらしき人物を探り当てていた。


「―――霧島那由他?」


「!」

 男の顔に緊張の色が走る。

 どうやら地雷を踏んだな。未亜は内心で舌打ちしながらも、表には出さずに、

「どうしたの?先輩」


「未亜ちゃん」

 男の声には明らかな緊張が聞き取れる。


「誰にも言うつもりはないよ?」

 未亜は男の心の内を読み切ったという顔で言った。


「先輩。霧島那由他とトンズラしたんだぁ。スゴいことしたんだね」


「クスツ。トンズラって……」


「あ。やっと緊張が解けたみたいだね」


「ふっ……未亜ちゃんも少しは女らしくなったな」


「そりゃ、毎晩磨かれているからね」


「ん?」


「―――先輩って、相変わらずニブいね」


「……那由他にも同じ様なこと言われてる」

 男は、苦笑混じりに横にいる少女に視線を送る。

 その視線の先にいるのは、未亜とそれほど変わらないだろう少女がいた。


「それにしてもどうしていたの?」

 未亜は不思議そうな顔で男に訊ねた。

「霧島那由他失踪って、1年前は大騒ぎになったっていうのに」


「……船で大陸に」


「成る程ねぇ。海外に高飛びしてたんだ。そりゃわかんないワケだ。―――で、ほとぼりもさめたと思って、戻ってきた。これから実家へ?おじさん達まだ元気だよ?」

「……いや。家には戻らない」


「霧島さんの家に?」


「近くにホテルをとるつもりだ」


「?どうして?」

 理由がわからない。

 この男の家はここから歩いて2分ほど。

 霧島那由他の家だって20分はかからない。

 家を避けている。

 何故?


「……」

 男は、さぐるように未亜を見つめる。


「やだなぁ」

 未亜は笑いながら男に言った。

「少しは後輩を信じようよ。それに、私ん家、空き部屋だらけだし」


「……」


 ●信楽未亜のマンション前

「で?」

 帰り道、南雲が不機嫌さを隠さない声で未亜に訊ねた。


「あの男、何者だ?」


「先生、何怒ってるの?」


「何も怒ってない」


「ウソだぁ」


「ウソじゃない」


「村上速人(むらかみ・はやと)。私達の中等部の2年先輩。美奈子ちゃんにとっては幼なじみにして初恋の男の人」


「それは」


「や、やだなぁ!」

 未亜は奇妙な笑い声をあげながら、南雲を何度も叩いた。


「先生ったら、先生ったらぁ!」

 顔を赤くにやけきらせた未亜は、今度は体をくねらせ始める。

「未亜……やめろ。世間様の視線が痛い」

「ふっふっふっ……最近毎晩だもんねぇ」

「ばっ!」

 南雲の顔が一瞬でゆであがる。


「休みの日は朝昼晩かぁ」


「そんなにすがすがしく言うな……」

 勢いとはいえ、教え子に手を出した挙げ句、それにおぼれているなんて、とうの相手に指摘されてしまっては、さすがに南雲も立つ瀬がない。

 反面、未亜はそれが嬉しくて仕方ない。


「その最愛のオンナが、どこのウマのホネともわからない男となれなれしくしてるから、面白くないんだぁ。そぉんなに、ヤキモチ焼かなくてもいいんだよ?先生♪」

「だ、誰が」

「先輩達、3時間位したら行くっていうから、それまでに済ませようね?たっぷりサービスしてあげるから♪」

「こらっ!」

 南雲の大きな手が未亜の頭を包み込むように掴む。


「にゃっ!?」


「覚悟しておけよ?」


「うんっ!……ただねぇ。大丈夫かなぁ」

 突然、現実に戻った未亜の声のトーンが落ちた。

「先輩は、ね」


「どうした?」


「警察に見つかると、ちょっとマズいんだよね」


「まて。どういうことだ?」


 未亜は語り出した。

「あのね?

 1年ほど前のある日、この先のコトハ坂の途中のお屋敷で殺人事件があったんだよ。

 えっとね?

 殺されたのはその屋敷のご主人で、広間に倒れていたのを、朝訊ねてきた通いの家政婦が見つけたんだ。

 死因は射殺。

 金庫が開けられて、中のお金や宝石がなくなっていたから、物取りの犯行とも思われたけど、少し違うんだ。

 何がって?

 お屋敷に住んでいたのは、その主人とその孫娘なんだけど、その女の子が、事件のあった夜を境にいなくなったんだ」


「それが、さっきの娘か?」


「そう。しかも、その夜、同じくこの葉月市から姿を消したのが」

「あの男」

「そう。村上先輩。霧島那由他の家庭教師もしていたんだ。だから警察も」

 未亜はマンションのセキュリティを解除しながら言うが、南雲は厳しい顔で通りの向こうを睨んでいる。

「……」

「どうしたの?先生」

 カードをリーダーに差し込む手を止めて、未亜は南雲に訊ねる

「……」

 南雲は身を固くしたまま、動こうとしない。

 わずかに視線を動かしただけ。

「未亜」

「……イヤなの?村上先輩達が来るの」

「先に入れ」

「先生?」

「急げ」

「う、うん……」

 未亜は不承不承エントランスに入る。

 防弾ガラスの重いガラスの向こうに未亜が消えたのを確認した南雲は、道路を見た。

「……」

 いない。

「……誰だ?」

 南雲は辺りを見回しながら考えた。

 確かに、ついさっき、男が道路に立ちつくしていた。

 黒ずくめのあの男。

 間違いなく、こちらに殺気をはらんだ視線を送ってきた。

 対象は俺かと思ったが、もしかしたら未亜かもしれない。

 あの殺気は尋常なそれではなかった。

 何人も殺して来た者のそれだ。

 警戒にこしたことはない。

「先生!」

 エントランスから未亜の声がした。

「村上先輩達、あと30分位で来るって!」

「そうか」

 南雲はもう一度だけ道路に視線を送り、エントランスへ入った。



 エレベーターの籠の中。

「事件のあった日の村上の足取りは?」

 未亜に訊ねるその眼は教師のそれではない。

 警官のそれだった。

「間違いなく、先輩はあそこにいた」

 未亜は答えた。

「そう。周囲の証言は一致していた」

「つまり、警察にとって、あいつ等は殺人事件の重要参考人ということか」

「うん。警察ではそう見てる」

「で?お前はなぜそこまで知っている?」

「内緒」

「内緒って……」

「私にもいろいろネットワークあるんだよ?」

「お祖母さんのか?」

「ううん。私独自」

「時々、お前が怖くなる」

「ふっふっふっ……ベッドの中?」

「確かに最近押され気味……何を言わせる!?」

「自分でいってるだけだよ」

「……」

 エレベーターを降り、南雲はマンションの鍵を取り出しながら思った。

 何とか、こいつから主導権を取り戻さねばなるまい。

 このままでは一生尻に敷かれかねない。

 男としてそれだけは勘弁してほしい。

 よし。

「未亜」

 玄関のドアを開けると、南雲は未亜に振り返った。

「何?」

「3時間だったな」

「ん?先輩達が来るの?そうだよ?」

「じゃ、いいな」

 玄関に入るなり、未亜は南雲の太い腕の中に抱きしめられた。

「にゃっ!?」

 未亜はその意味がわかる。

 二人きりの時、こうされるのが何の合図か。

 だけど、場所が場所だ。

「ち、ちょっと待って先生!こ、こんなトコじゃヤダ!」

「俺は大歓迎だ」


 抵抗する体から器用に服をはぎ取られ―――


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